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2015.06.28

第30回サハラマラソン 4月3~13日 モロッコ王国・サハラ砂漠

サハラの地で早大生が躍動!日本人2位の快挙を達成

 アフリカ大陸北部に広がるサハラ砂漠。この地で、『世界で最も過酷なマラソン』と称される大会が毎年4月に開催されていることをご存じだろうか。サハラマラソン2015。支給されるテント・水を除いた必要な物資はすべて持参し、全長約250キロのコースを1週間かけて駆け抜ける。信じられるのは己の脚力、そして気力のみ――。そんな壮絶なレースを見事に走破し、さらに日本人2位という快挙まで成し遂げた早大生がいる。男の名は、野崎貴臣(政経4=東京・成城)。普段はポーラーベアーズというサークルでアイスホッケーに励む、至って普通の大学生である。なぜ野崎はサハラマラソンへの出場を決意し、ここまでの好成績を残せたのか。その軌跡を追った。

 時は、昨年の2月にまでさかのぼる。テレビ番組でのドキュメンタリーで、お笑い芸人がサハラマラソンを完走。過酷な環境下でも決して諦めない姿に、勇気と夢をもらったという。「自分が走ることで何か人に伝えられたら」。しかし、アイスホッケーには支障をきたしたくなかった野崎は、12月後半のシーズン終了まで競技に専念した。大会まで残り3カ月、フルマラソンの経験もない。他の参加者からは後れを取っていた。しかし、ここから野崎の怒濤(どとう)の追い込みが始まる。まずはアイスホッケーの練習後、週5日のペースで東伏見の練習場から自宅までの12キロを走行。また、個人的な合宿も多くこなした。九十九里浜の砂を本番に見立てての縦断などもしたが、本人が一番つらかったというのが東京から山梨までを走ったことだという。荷物を背負った状態でのマラソンはやはり体に大きな負担がかかるのだ。自分を極限状態にまで追い込み続け、脅威のハイペースで3カ月間の調整を終えた。

1日最低2000キロカロリーを摂取するというルールがあったため、入念に計算したという

 そしていよいよ本番。1日ごとにコースは決まっており、そこまでたどり着けないと脱落というルールだった。初日の36キロ、ここでいきなり苦しめられることとなる。自分のペースは出発前の練習で決めていたが、どうしても暑さからか終盤で足が止まってしまった。2日目も思うようにタイムを伸ばせない。しかし、その日の夜に転機が訪れる。同じテントにいた経験者の日本人に「スピードがあるならいけるところまで全力を出せばいい」と助言され、3日目は序盤からハイペースで走行。すると順位は飛躍的に上がった。4、5日目は合同で、35時間以内に92キロを走る『オーバーナイト』という名物コース。普通では考えられないような過酷さに、何度も心が折れかける。それでも何かを伝えるため、決して足は止めなかった。気合で乗り切り、最終日の6日目。42.195キロの人生初フルマラソンは、3日目の経験をもとに序盤から飛ばしていく。完全にペースをつかみ、それをキープしたまま見事に完走した。日本人内での順位は1位こそ経験者に譲ったものの、初挑戦を感じさせない大健闘の2位でフィニッシュ。参加者全体で見ても1300人中177位と、3カ月間の準備とは思えない素晴らしい成績を手にした。

レースの過酷さを語った野崎

 「大学生にしかできないこと、その極限をやりたい」という心意気で成し遂げた今回のレース。達成感はひとしおだが、次に挑戦するとしてもこのつらさを忘れたしばらく先だと笑う。しかし、3カ月間でここまでの結果を残せたのは何か走る才能があるに違いない。その可能性を試すため、トライアスロンへの挑戦も視野に入れているそうだ。ワセダの超人が今後新たなステージで輝く日も、そう遠くはないのかもしれない。

(記事 中丸卓己、写真 高柳龍太郎)

完走者に贈られるメダルを手に、笑顔の1枚です!

◆野崎貴臣(のざき・たかおみ)

1991年(平3)6月26日生まれ。東京・成城高出身。政治経済学部経済学科4年。全ての荷物を背負って走らなければならないサハラマラソン。グラム単位の軽量化を図るために、野崎さんは歯ブラシの柄を折って短くし、コンタクトの洗浄液すらも限界まで捨てたそうです。快挙の裏には涙ぐましい努力もあったのですね!