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2018.02.04

【連載】箱根事後特集『臙脂』の意地 第6回 石田康幸

 関東学生対校選手権(関カレ)のハーフマラソンで入賞してから好調が続き、主力としてチームを引っ張ってきた石田康幸(商4=静岡・浜松日体)。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)は主要区間である4区を任されたが、往路のスピードに圧倒され思うようなレース運びができなかった。現役ラストレースを終え新たなステージに旅立つ今、何を思うのか。箱根を振り返るとともに、競走部での4年間について伺った。

※この取材は1月10日に行われたものです。

「唯一、走った1時間だけやり切ることができなかった」

丁寧に質問に答える石田康

――箱根が終了して、退寮はされましたか

 はい、もうしました。

――一人暮らしということで、いかがですか

 料理道具をまだ置いていなくて外食ばかりで。寮飯のありがたさを感じています。

――同期と仲が良かったと前回に伺いましたが、離れて暮らしていていかがでしょうか

 卒論の関係で、学部の友達が家に泊まり込んでやっていたりしてるので、そんなに1人で寂しいと思うことはないです。

――帰省はされましたか

 そうですね。お礼を言いたい人とかに、4年間ないしは今まで競技を続けてきて、サポートしてくれた人に伝えて回りました。

――秋田大和先生に取材させていただく機会がありましたが、その後お会いされましたか

 4区走り終わった中継所で応援して待ってくれていたので、そこでありがとうございましたと伝えて、今度浜松に帰ったときにゆっくり話そうと話しました。

――家族の方もお話されましたか

 家に帰って、話しました。そこまで終わったことを話すタイプではないので、ぼちぼちという感じです。

――箱根の話に入ります。4区を走ることになったのはいつ頃でしたか

 永山(博基、スポ3=鹿児島実)が1週間くらい前に往路は無理だということで、僕の往路が決まったという感じです。その時に4区しかないと思ったので5日前くらいですね。

――4区だと思った理由というのは

 走ってみても思ったんですが、タフなコースで。いろんな要素が必要ですし、粘り強さなどのタフさが必要だと思います。藤原滋記(スポ4=兵庫・西脇工)とかの方が向いているとは思ったんですがチーム事情で1区に回ったので、その次で僕が入ることになったんだと思います。

――4区を走るうえで、相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)から求められたことはありましたか

 たぶん、安井(雄一駅伝主将、スポ4=千葉・市船橋)に先頭との差が少ない状態でつなぐことだと思うので、安井にいいかたちでつないでくれと言われました。

――当日のコンディションはいかがでしたか

 自分のコンディションは普通でした。気候としては、気温は少し高かったですが風も例年になく弱かったですし、コンディションはよかったと思います。

――3区までのレースはご覧になっていましたか

 1、2区の途中まで見ていて、いい流れで来ているなと思っていました。アップした後も、光延(誠、スポ4=佐賀・鳥栖工)がいいかたちで向かってきているなと思ったので、すごいいい流れできていると感じました。

――その光延選手からタスキをもらったときに、声掛けはされましたか

 光延と呼んで、ありがとうかサンキューと言った気がします。

――笑顔でタスキ渡しをしているのが印象的でした

 いつもは笑顔を出せなかったり、きつい顔で渡すことが多かったんですけど、今回最後なので笑顔は心がけていました。

――走り出して、神奈川大の大塚倭選手と並走するかたちになりました

 すぐ後ろで、一緒に並走していくんだろうなと感じていました。自分の中で10キロ地点くらいまでは並走して、そこから勝負に出るつもりだったんですが、向こうが区間賞の走りでしたし、(最初の1キロを)2分46秒くらいで入って、自分の思っていた以上のペースで入ってしまいました。このままのペースで行ったら上りもありますし、やばいなと思い一度引いて自分のペースで行こうと思ったんですが、最初に速く入った分、中間走でいいリズムに乗れなかったと思います。

――気温が高かったことは、関係はしてないんでしょうか

 最初のペースが速すぎたというか、自分の得意なペースでいけていなかったというのがあります。

――離れたときに後ろの監督車からの指示はありましたか

 特に指示はなかったです。先頭を2人で追っていけという指示は相楽さんからありましたが、ハイペースだと感じたので、自分で落ち着いて後半に勝負しようと考えたので離れました。

――後半、拓大の西智也選手に追いつかれてしまいました

 大塚に離されてから、きつくて自分のリズムで走れていなくて。かなり自分の中でやばいなと感じていたんですが、拓大に追いつかれてからは一緒に走ったり競る中で自分のリズムを取り戻すことができました。追いつかれたことはいいことではないですが、追いつかれてから自分の走りに気づけたという感じです。

――スパートで競っていた印象です

 ラスト7キロくらいから、スパートのかけ合いをしていました。向こうも(1万メートルの自己記録が)28分40秒台と強い選手で何回もスパートをかけられて追いついてというのを繰り返していました。ラストは勝ちたかったんですが、そこで負けたところは悔いが残りました。

――タスキを安井選手に渡すときは、いかがですか

 安井に渡すときは何を言ったのか覚えていないんですが、きつい中でも安井は笑顔で待ってくれたのでしっかり送り出そうとタスキリレーをしました。

――改めて、区間11位、1時間3分52秒という結果は

 タイムは去年の洋平さん(鈴木洋平、平29スポ卒=現・愛三工業)のタイムで走るように言われていてほぼ同じくらいだったんですが、コンディションが昨年より良かったので他大の選手がそれ以上のタイムを出していて、設定通りとはいえ設定通りではないなと思います。区間順位に関しては最低でも区間5番以内で走ろうと思っていたので、その順位に関しては後悔しかないなと思います。

――往路を走ったことに関してはいかがでしょうか

 早大に入って、自分が往路の主要区間を走るというイメージは正直無くて。そんな中でもコツコツとやってきて4区という重要な区間を任せてもらえたということが、自分の中ではうれしいことでしたしこれからも誇っていけることかなと思います。

――最後の走りということで、事前取材で色紙に「やり切る」と書いていただきましたが、やり切ることはできましたか

 練習や生活はやり切ることはできました。唯一、走った1時間だけやり切ることができなかったという思いがまだ残っています。

――安井選手がゴールした時はどのようにご覧になっていましたか

 自分がタイム差を広げてしまった分を取り返してくれたので安井に助けられたと思うと同時に、4区で東洋大の選手と同じタイムで走れていれば優勝を狙えていたので、そういった意味では悔しさが残る3位でした。

――復路はどのようにご覧になっていましたか

 復路は7、8、9区を応援して、ゴールに向かいました。

――見ていていかがでしたか

 6、7、8区と苦しい走りでしたが、耐えてくれたおかげで9、10区で順位を押し上げることになったと思うので復路の5人全員で勝ち取った3位だと思います。

――谷口耕一郎選手(スポ4=福岡大大濠)を迎えるときの気持ちを教えてください

 興奮していて何を考えていたのかあまり覚えていないんですが、後ろもいた中でよく粘っていてくれたなと思いました。

――総合3位という結果についてはいかがでしょうか

 下馬評からしたら周囲を見返すことができたと思いますが、優勝を目指していた中で圧倒的な差で負けてしまったので、あのような展開でなかったら悔しいと思える3位だったかなと思います。

「力の源にしたいと思えるような箱根でした」

区間11位と結果を残すことはできなかった

――これで競技は引退ということですがこれまでを振り返っていかがですか

 高校から始めて、高校2年生くらいまではトントン拍子でタイムも上がってきたんですが、高校3年生からは思うように走れなかったり、違和感を覚えることも多かったです。苦しかったことや悔しかったことが8割、9割でその中でも1割くらい楽しいことが味わえました。早大ではなく別の大学だったら、ここまで悔しかったり苦しかったりすることはできなかったと思うので早大でよかったと思います。

――高校時代は下田裕太選手(青学大)と同じ地域だったと思います

 高校時代はあんまり負けることはなかったんですが、大学に入って差をつけられてしまって。自分も負けないという気持ちを持ち続けられたから、4年目で結果を残すことができたかなと思います。

――箱根に2回出場されましたが、箱根というのは石田康選手にとってどのようなものでしょうか

 箱根についてはいい思い出が作れなかった2回でした。箱根の悔しさがある分、この先の人生で社会人になっても日の目を見ることがあるだろうと思っているので力の源にしたいと思えるような箱根でした。

――下級生のころは怒られることが多かったと伺いましたがそちらはいかがでしょうか

 下級生というか、2年生の時に夜遊びに行って朝練に寝坊したりと、外に出た時の管理の甘さで体調を崩すことがあったので、そこで相楽さんに怒られて。2年生の時に言われたおかげで4年目に見返そうというようになれたので4年間指導してくださってありがたいと思います。

――特に最後の1年間は関カレの入賞や、自己ベストの連発だったりと主力として存在感を示すような結果を残すこと多かったと思います。その原動力はどういったものだったんでしょうか

 去年の箱根が終わってから、あと1年だと思うと手を抜けないというか、練習で後悔を残していると後々悔やんでも悔やみきれないと思ったので、練習で手を抜かなかったのが原因だと思います。それで4年目にある程度の結果を残すことができたのかなと思います。

――4年目はチームの中で厳しいことを言う立場にあったと伺いましたがそちらはいかがでしょうか

 僕としてはもっと言ってほしかったんですが、マネージャーの2人も安井も後輩に強く言えなかったので、高校の時にキャプテンだったというのもあって、(厳しい言葉を)言うことに対して抵抗がなかったので僕が引き受けるかたちで後輩の面倒を見ていました。ただ、強く言うだけではなくて頑張ったやつには褒めたり、後輩と近い存在でありたいと思っていたのでそういうことを請け負っていました。

――後輩に対してメッセージをお願いします

 僕に近い本キャンに通っている人が何人かいて、そういう人が移動に時間を取られたり、勉強で忙しくてもやれるということを、先輩であれば井戸浩貴さん(平29商卒=兵庫・竜野)や柳利幸さん(平28教卒=現・日立物流)もいますし、そういう人を毎年出すのが早大なのでそういうことを後輩は引き継いでほしいと思います。ただ、最後の箱根でいい走りができたに越したことはないので最後に華を咲かせられるように頑張ってほしいと思います。

――太田智樹選手(スポ2=静岡・浜松日体)は特に高校から一緒でしたが、何か伝えたいことはありますか

 あいつは自分から何か言わなくても頑張ると思うんですけど、早大に来てくれてありがとうということと、ここから先のステージ(実業団)に自分が行かなかった部分もありますが、行けなかったので、太田は行ってくれると思いますし、この先も頑張ってほしいなと、勝手に自分の思いをのせています。

――次の駅伝主将である清水歓太選手(スポ3=群馬・中央中教校)に関してはありますか

 この1年間、まったく走れていなくて結果も出せなくてという中で、自分も少し捨てていた部分もあったんですが、最後の箱根で歓太が区間賞の走りで順位を押し上げてくれたので、あいつの思いを感じ取って歓太になら任せられると思いました。頑張れと伝えたいです。

――エンジのユニホームというのは石田康選手にとってどのようなものでしたか

 憧れであり、誇りであり、責任感をくれるユニホームでした。

――競技生活に悔いはありますか

 悔いは結構あります。この悔いを次の社会人で晴らしたいと思います。

――市民ランナーとかは考えていますか

 野球もやりたいので、走るのは体型維持であとは好きなことをやっていこうかなと思います。仕事をずっとやっていてもいいと思っているので。2月に愛媛マラソンを走ってタイム出して、レースはこれで最後にしようと思っています。

――最後に同期への思いをお聞かせください

 同期には迷惑かけてしまったりうるさかったこともあったと思うんですが、4年間見てくれた同期には感謝しかないのでありがとうだけでは済まないとは思いますがありがとうと言いたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 平松史帆)

◆石田康幸(いしだ・やすゆき)

1995(平7)年12月21日生まれ。175センチ、56キロ。静岡・浜松日体高出身。商学部4年。自己記録:5000メートル14分10秒30。1万メートル29分29秒16。ハーフマラソン1時間03分28秒。2017年箱根駅伝6区1時間00分23秒(区間12位)。2018年箱根駅伝4区1時間03分52秒(区間11位)

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