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2018.02.03

【連載】箱根事後特集『臙脂』の意地 第5回 永山博基

 2年生時にはトラック、駅伝で好成績を収め、今季はエースとしての活躍が期待された永山博基(スポ3=鹿児島実)。しかし、度重なる故障により1年間不調が続き苦悩のシーズンに。自身3度目となる東京箱根間往復大学駅伝(箱根)にも調子が上がらず7区での出走となり、終始苦しい走りとなった。箱根から約1週間 が経ち当時の心境と今後について伺った。

※この取材は1月10日に行われたものです。

「万全な状態で箱根を迎えることはできなかった」

ケガに1年間苦しめられた永山

――箱根が終わって約1週間が経ちますが、どのようにお過ごしでしたか

帰省期間だったので(地元の)鹿児島に帰って実家でゆっくり過ごしました。

――箱根までのコンディションはいかがでしたか

ケガなどもあり万全な状態で箱根を迎えることはできませんでした。

――集中練習の消化具合は

結局、ケガで集中練習はほとんどできませんでした。最終日の大事な練習も参加することができませんでした。

――箱根当日のケガの状態はいかがでしたか

痛み止めを何度か打ったりしてなんとか試合に向けて走れるようにしたというかたちでした。あまりいい練習ができない中で試合当日を迎えてしまいました。

――普通のレースならば出走しないような程度のケガだったのでしょうか

そうですね。

――いつごろから傷めていたのでしょうか

11月の八王子の記録会(八王子ロングディスタンス)が終わって1週間後くらいから膝を傷めていました。

――現在の状態は

今は軽く練習しているという感じで、ラストイヤーになるので春からしっかり結果を残すために1、2、3月しっかり体づくりしていこうということで取り組んでいます。

――1月21日には都道府県駅伝(全国都道府県対抗男子駅伝)も控えていますが

本番、走るかどうかはわからないですが気持ちは切らすことなくできる範囲で準備していきたいと思っています。

――それ以降の予定されているレースは

唐津10マイル(唐津10マイルロードレース)と福岡クロカン(日本選手権クロスカントリー)を予定しているのですが、はっきり出るか出ないか決まっていないですしこれからの練習の出来次第で考えていこうかと思っています。

――箱根当日の話に移らせていただきます。元々希望していた区間は他にあったのでしょうか

2区を走らなければいけないというか走りたいという気持ちもありましたし、去年からそこで戦いたいと思って2区を見据えて練習はしてきました。

――いつ頃7区での出走が決まったのでしょうか

(正式に出走が決まったのは)直前ではあったのですが、おそらくケガもあったので2区などの主要区間では無くて3区であったり7区であったり、復路のどこかの区間の比較的走りやすい区間になるだろうという想定でした。

――ケガも気になる状態であったと思います。最終的に永山選手が出走されたのはなぜでしょう

監督などとも話をして最終的には自分自身で出走を決めました。

――チームの往路の走りをどのように見ていましたか

寮のテレビで見て、自分自身はそれから練習したのですが諦めたらダメだなという事を改めて感じさせてもらって復路の準備をしました。

――6区の1年生、渕田拓臣選手(スポ1=京都・桂)とのタスキリレーとなりました。会話などはされましたか

特別多く会話したというわけでは無かったのですが、彼は意外と強気でいい表情を移動の時などもしていたので、こっちも安心して待っていました。

――中継所では監督と電話されていましたがどのような話をされたのでしょうか

レース前は、自分の走りに集中して自分のペースでしっかり7区を走ってこい、というふうにメッセージをいただきました。

――永山選手の付き添いは中距離ブロックの齋藤雅英選手(スポ2=東京・早実)でした

うちは部員数も少ないので、短距離や中距離ブロックの選手にも付き添いをしてもらっているのですが、話しやすい選手なので彼には申し訳なかったのですがお願いしました。

――7区のレースプランは

うまく練習もできていなかったので最初から突っ込んでいかないように自分のペースで21キロを通して今の力を出し切りたいと思って走りました。

――実際はいかがでしたか

最初の1キロを通過したときに、体が動かなすぎて、スピードに乗れず、どんどん後ろとの差が詰まってきてしまって。途中でボードを出してサポートしてくれる人がいるのですが、その人からの情報でどんどん後ろと差が詰まっているというのは自分でも頭に入っていました。

――後ろの法大との差が詰まっていると聞いた時のお気持ちは

焦りももちろんありましたが最後までしっかり自分の走りをしようと思ったのと、後ろの監督車からラスト5キロあたりだったと思うのですが「8区の大木のために1秒でも大切に、意地を見せてくれ」と言われてハッと思わされました。

――やはり監督からの言葉で走りに変化はありましたか

気持ち的な面ですごく変わって、しっかり走らないといけないと改めて思いました。

――それまでに監督からはどのような言葉があったのでしょうか

それがあまり監督からの言葉は無くて、ボード出しの人からで距離が縮まっていることは分かったのですが、その事は監督からは何も伝えられなくて気になってはいたのですが、自分のペースで走ろうと集中していたのであまりわからなかったです。

――どれくらいのタイムを想定していましたか

それは色々と通過距離ごとにタイムを設定していたのですが、かなり下回る結果となってしまいました。

――永山選手はいずれも笑顔でタスキリレーをされていましたが何か意識はされていましたか

やっぱり6区も1年生が走って、7区がいると思って走ってきてくれたと思うし、後輩が待っていてくれるので最後はしっかり渡そうとは思っていました。ただ、結果的に8区にも負担をかけてしまうような走りをしてしまったので情けなかったです。

――1時間06分20秒、区間12位というご自身の結果についてはどのように捉えていらっしゃいますか

ケガとかも言い訳に過ぎないと思っているので悔しいというか情けないというか話にならないような結果だと思っています。

――復路のチームの走りについてはどのように見ていましたか

自分が走り終わってから気になっていたので急いで9区の歓太(清水、スポ3=群馬・中央中教校)の応援に行きました。自分の区間で大きくブレーキしてしまって、8区も思うように走れなかったのですが9区でなんとか流れを変えてくれる走りを歓太がしてくれたので諦めないで良かったと思えました。

――谷口耕一郎選手(スポ4=福岡大大濠)がゴールした時、永山選手の眼には涙も見えました

そうですね、あんなに自然に涙が出てきたのは初めてというか、うれしい気持ちやみんなへの感謝の気持ちなど色々な気持ちがありました。

――ゴール後、4年生とはお話しされましたか

終わって慰労会などがあったので先輩方とは一人一人とお話ししました。いろいろな先輩から色々な話をいただいて改めて、これから自分が最上級生になるので結果であったり姿勢でチームを引っ張っていかないといけないなと感じました。

――4年生の中で特にお世話になった選手は

やはり光延さんですかね。1年生の初めのころからずっとお世話になっていて指導してくださっていたり、それ以外にプライベートでもご飯に連れていってもらったりしていて色々な話をしていただいて。なんだかんだ一番お世話になった先輩かなと思います。

「伝統を引き継いでいきたい」

7区出走も区間12位に沈んだ

――新チームの駅伝主将には清水選手が決まりました

(駅伝主将を決めるにあたって)2人で話し合ったりしました。自分は特に役職としては何もついていないのですが結果でチームを引っ張ることはもちろん、最大限、歓太のサポートができればと思っています。

――どのようなチームにしたいですか

これまでの3年間を振り返ると、毎年それぞれいいチームだったと思えたので、最後の僕たちの代も後輩たちにそう思ってもらって笑って終われるようなチームができればと思います。

――新チームのキーマンとなる選手、期待している選手はいらっしゃいますか

Bチームの選手たちにもすごく期待していて、一緒にがんばっていきたいのですが、やはり太田(智樹、スポ2=静岡・浜松日体)、新迫(志希、スポ2=広島・世羅)ですかね。高いレベルで戦っている選手なので自分もそうですが共に高めあっていきたいです。

――今大会は出走した10人中半分が4年生でした

まずは9区の歓太の区間賞を獲得したことについて自分も全日本(全日本大学駅伝対校選手権)で区間賞とったことあるのですがその時にうれしい言葉をたくさんもらってうれしかったけど、今回歓太が区間賞とったこともその時くらいうれしかったです。その一方で来シーズンからチームを引っ張っていかないといけない3年生が(エントリーは)3人、出走は2人しかできず、自分たちの学年はまだまだ力がおよんでいないのは事実なので、最上級生として言葉や行動で示していくのも大切だし、まずは自分たちが結果を残そうという話もしました。

――これからの永山選手ご自身の目標は

インカレ(関東学生対校選手権、全日本学生対校選手権)で結果を残したいというのが一番で、ただ現状を考えてもそこで戦える力が無いというのも事実なので、一歩ずつ着実にステップアップしていきたいと思っています。去年は色々な事を欲張りすぎて、逆に結果を残せなかったというところもあるのでコツコツ地道にトレーニングを継続してトラックシーズンに入っていきたいと思います。

――ではチームとしての目標は

すべての駅伝で3位以内は最低限の目標としてやっていきたいと思っています。箱根でも2年連続でメダルを獲得していますし、そういった先輩方が作り上げてきた伝統を引き継いでいきたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 斉藤俊幸)

◆永山博基(ながやま・ひろき)

1996(平8)年7月20日生まれ。168センチ、51キロ。鹿児島実高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル13分58秒81。1万メートル28分25秒85。ハーフマラソン1時間2分55秒。2016年箱根駅伝4区55分54秒(区間4位)。2017年箱根駅伝2区1時間8分50秒(区間10位)。2018年箱根駅伝7区1時間6分20秒(区間12位)

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