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ア式蹴球部

2022.03.24

ア式蹴球部女子卒業記念特集 金城実希『探究し続けた専門性 選手に寄り添うトレーナーを目指して』

探究し続けた専門性 選手に寄り添うトレーナーを目指して

 2010年4月5日、インディアナ州で行われた全米大学男子バスケットボール選手権決勝。金城実希(スポ4=沖縄・開邦)は、この日を今でも鮮明に覚えている。応援していたデューク大がバトラー大に61-59で劇的勝利を飾ったからだけではない。熱狂する会場の煌々(こうこう)と光るスポットライトの下に見え隠れする小柄な女性に目を奪われたのだ。その人は2メートル近くある選手たちの間を忙しく動き回り、ケアに勤しんでいた。忘れもしない、トレーナーという職業との出会いだった。

 

 トレーナーに出会った頃の金城。2010年デューク大優勝時のステッカーは今でも大切にしているという。

 沖縄県那覇市で生まれ育った金城は、英語教師だった母の大学院進学を機に、小学5年時に家族と渡米。現地では、スポーツが生活の一部として当たり前に存在していた。冒頭の試合を観戦したのもこの時期だ。贔屓(ひいき)のチームの優勝に、どうしようもなく心が震えた。そして、その魅力を支えるトレーナーは「自分のためにある職業だ」と思ったと明かす。『スポーツ×医療』という興味のある分野が融合したことも、惹かれた理由だった。

 トレーナーに強い憧れを抱いて帰国したが、当時の日本では認知されたばかりの職種。将来性に不安を覚え、医師を目指したこともあったという。それでも選手のケアを生業にしたい思いを捨てきれなかった。1年の浪人期間を経て、国立大と早大に合格。4姉弟の長女として私大に行くことにためらいはあったが、最もトレーナーとしての学びを深められるスポーツ科学部に行くことを、両親は快諾してくれた。「ここぞというときに分かってくれる母と、何も言わずバックアップしてくれる父には感謝しています」と、挑戦できる環境のありがたさを身に染みて感じている。

 

 試合中はピッチサイドで控えメンバーのアップを指揮した

 早大に進学後、「ア女(ア式蹴球部女子)と運命的な出会いを果たし、ア女に恋をして入部しました」と照れ笑いを浮かべる。きっかけは同じクラスのDF加藤希主将(スポ4=アンジュヴィオレ広島)に誘われ、練習に参加したことだった。「(選手たちは)ピッチ外でケアをしている時はおちゃらけているのに、ピッチに出たら選手間ですごく要求するし、(学生)スタッフも選手のために一生懸命でかっこいいなと思った」。父がサッカー関係の仕事をしていることもあり、もともとア女も選択肢の一つだったが、迷うことなく入部を決めた。

 しかし下級生時代は、専門的な役職ゆえに責任を感じて自信が持てなかったという。「やりたいことや求められることとできることのギャップがすごく苦しかった」。そんな時に、金城自身が「もうひとりの自分というくらい大切な存在」と話す安住伊代(スポ4=宮城・仙台第二)の存在が支えになった。緊張感をもたせるのは金城、雰囲気を和ませるのは安住と言われるほどタイプが異なるからこそ、バランスがとれていた。「阿吽(あうん)の呼吸。目が合っただけでお互いが考えていることが分かる」相棒に幾度となく助けられたと振り返る。互いに励まし合ってひたすら勉強と実践を繰り返し、経験値を高めた。

 

 互いに支えあった金城と安住。インカレ決勝進出が決まったあと、金城が真っ先に駆け付けたのはスタンドで応援した安住の元だった

 金城が4年生として臨んだ今季、ア女は関東大学女子リーグ連覇を逃すなど、思うような結果を残せずにいた。そして不完全燃焼のまま迎えた最後の大舞台、全日本大学女子選手権(インカレ)。前年度はまさかの初戦敗退に終わり、「この悔しさは自分たちの代で絶対に晴らす」と誓っていたが、大会直前になってもフォーメーションが定まらない。ピッチ内の課題がチームに暗い影を落とす中で、「選手の体を整えて、スタッフでコミュニケーションをとって、チームが最良の状態にいかに近づけるか」に専念した。その献身性が功を奏したのか、ア女は重苦しいムードをはねのけて快進撃を続け、悲願のインカレ優勝を達成。選手たちの華々しい活躍の裏側には、間違いなくピッチ外における金城の貢献があった。

 今後はアメリカのアーカンソー大学で最先端のスポーツ科学を学ぶ予定だ。ゼミの恩師や外部トレーナーの助言をもとに、より険しい道を選んだ。理想は、医学的に正しいかだけではなく選手の信念を理解したうえで判断するトレーナーだ。「いつ声がかかってもいいように、常に”ready”の状態でいたい。チャンスが転がってきたときに、つかみにいけるから」。根底にあるのは、自分を魅了してくれた選手たちを最大限サポートして、自分自身も誰かの心を動かす手伝いがしたいという強い思い。「けがはなくならないけど、防げるけがはある」。スポーツで心を躍らせてきた金城は、飽くなき向上心を原動力に理想像を追い求め続ける。

(記事 手代木慶、写真 手代木慶、前田篤宏)

◆金城実希(きんじょう・みき)

1997(平9)年5月13日生まれ。156センチ。沖縄・開邦出身。スポーツ科学部4年。モットーは『自分にできることは全力で。自分にしかできないことは丁寧に』。初心を忘れないため、スマホケースには転機となった2010年デューク大優勝時のステッカーと当時の自分の写真(本記事1枚目)を入れているそうです。インターン先で、優勝メンバーの一人であるライアン・ケリー選手と12年越しに日本で会えたという秘話を明かしていただきました!