ソフトボール部

2017.09.06

第52回全日本大学選手権 9月3日 岡山・新見市民運動公園

明暗分けた一球。2回戦で無念の敗戦

2回戦
早 大  
国士舘大 3X   8X
(6回コールド)
●吉田、豊田-山本
◇(本塁打)山本

 全日本大学選手権(インカレ)の2回戦が行われ、早大はこれまで各大会でしのぎを削ってきた宿敵・国士舘大と対戦した。この大会を目標に1年間を過ごしてきた早大だが、初回に先制を許すと、失った流れを取り戻せなかった。ミスが絡むなど、ベストのパフォーマンスを見せるには至らなかった中で、最後までポジティブな雰囲気は保って戦ったが、6回コールド負け。選手たちも「やっぱり国士舘は強かった」と振り返る完敗で、早大はインカレの舞台から姿を消すこととなった。

 国士舘大の先発は、今季の早大が一度も打ち崩すことができていない池田空生(4年)。国士舘大に後攻を取られたため、このエースの出端を叩いてペースをつかみたいところだったが、初回の攻撃は無得点に終わった。するとその裏に試合は動く。早大先発・吉田尚央(人4=長崎・佐世保西)は二死から安打を許し、続く相手の4番・河村聡明(4年)に右中間へ運ばれた。「あれがなかったらもっと違う試合になっていたかなと思う」と投じた本人も振り返る一球だったが、この本塁打をきっかけに国士舘大を波に乗せてしまった。続く2回も先頭打者に内野安打を許すと、焦りも見える早大ナインは2つの失策を重ね、風向きはさらに悪化。無死満塁のピンチから3点を献上し、序盤で5点差をつけられる苦しい状況に追い込まれた。

ヤマ場と位置付けた試合で先発した吉田は、初回の被弾を悔やむ

 そんな中で、吉田は3、4回にも得点圏に走者を進められたが、『あと一本』だけは許さず粘りを見せた。すると5回表、8番・山本修平(スポ4=大阪・清風南海)が、打者有利のカウントから、「甘い球が来て一発で仕留められた」と中堅にソロ本塁打を放つ。これを反撃の狼煙として流れをひっくり返したいところだったが、6回の上位打線からの攻撃は得点につなげられない。すると、投手を豊田誉彦(スポ4=兵庫・滝川)にスイッチして迎えたその裏の守備で、四球2つを選ばれてピンチを迎えると、国士舘大の八角光太郎(3年)に初球を叩かれた。右翼へ運ばれ、この打球処理の間に打者走者も本塁に到達。この瞬間、7点差でコールドが成立するとともに、早大の現チームでの日本一への挑戦は終わりを迎えた。

山本の一発で一矢報いたが…

 点差は大きく開いてしまったが、高杉聡監督(平10人卒=群馬・前橋育英)や飯泉召副将(教4=埼玉・与野)らは、「ちょっとの差だった」と口をそろえた。吉田本人も悔やんだが、1回表に国士舘大の4番打者に投じた初球が、両者の明暗を分けてしまった。ひとたび相手にポジティブな雰囲気をつくられてしまえば、試合を優位に進めることは難しくなる。この日の大舞台での「微差が大差に変わってしまう一球の怖さ」(飯泉)を象徴するような試合展開を経ての敗戦は、今後日本一への思いを継いで戦う下級生たちにとって、この上ない教訓となったはずだ。この試合をもって、現在のチームの挑戦は一区切りとなって代替わりを迎えることになり、早大のインカレ優勝を知る選手はいなくなる。しかし、インカレ優勝経験を持った選手たちによる、この1年間の積み重ねは、チームのベースとして継承されていくだろう。来年のインカレの舞台を満面の笑顔で終えるために、25人の部員たちは新たなスタートラインに立つ。

10人の4年生の選手たちは、この試合をもって引退を迎えた

(記事、写真 守屋郁宏)

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コメント

塩沼泰成主将(スポ4=福島・安積)

――今の率直な感想を教えてください

終わったんだなという気持ちです。

――1年間この大会を目指してやってきたわけですが、インカレの舞台はいかがでしたか

個人としては4年生で最後だったので、2年生の時とか3年生の時とかも出させていただいていたんですけど、気持ちの面では今までとは全然違って、そういったところでちょっと硬さが出たのかなと思います。

――きょうの試合を振り返っていただけますか

相手が後攻を選んで、先攻ということになって、序盤が鍵になるというところで初回に点を取れず、その後国士の4番にホームランを打たれたというところで、主導権が相手に渡って、その後も僕のミスとか自分らの隙を突かれて点を取られて、流れがだいぶ持って行かれてしまったのかなというところはありました。

――主将としての1年間はいかがでしたか

あっという間ではあったんですけど、4年生でキャプテンとしてやってきた1年は今まで以上に一日一日が濃かったと思います。

――4年間の競技生活を振り返っていただけますか

僕は高校の時は野球をやっていて、ワセダのソフトボール部に魅力を感じて大学からソフトボールを始めたわけなんですけど、何もわからない状態で、先輩の役に立つために応援とか雑用とか頑張って、その中でインカレで優勝して日本一という景色を初めて見させていただいて、日本一ってこんなに素晴らしいんだって思えて、自分もここからはプレーで頑張っていこうというと思いました。先輩方や先生方の指導もあって、1年の秋からずっと(試合に)出させてもらってはいたんですけど、なかなか結果がついてこなくて、正直苦しい時間が長かったなというのは、技術的にはすごく思っていて、どうにか迷惑をかけないようにチームに貢献できるようにっていうのを考えて日々練習してきて、そんな中で2年生の夏くらいから結果が出るようになってきて、そこからプレーとしてどうやって自分が引っ張っていかなきゃならないかというところで責任を持ってやってきました。3年生のときもずっと中軸を打たせてもらって、次の代のキャプテンもやるだろうと、自分の中では思っていて、どうやったらうまくやっていけるのかということはすごく考えながら、でもインカレとかでは結果を出せずに自分らの代が来て、プレーもしながらですけど、監督代行であったりキャプテンとして、どうやったらチームがより良くなっていくのかというのはすごく考えながらやってきました。今日まで頑張ってきたのかなという風に思います。

――同期について

いい仲間に恵まれたのかなっていうところで、10人っていうのはここ数年では多い方なんですが、その中で一人一人が役割を見つけながら、僕のサポートであったり、チームがどうやったら良くなるのか考えてやってきてくれました。3年生まで仲良くやって、良い関係性をつくれてきた中で、4年生になってどうやってチームをより良くするかというのを一緒に考えて1年間やって来れたので、一緒の同期でよかったなというのはすごく思います。

――後輩に向けてかける言葉はありますか

勝負事は勝たないと意味が無いっていう中で、1年間やって結局結果は出せていないので、その結果というのは僕らがうまく運営できなかったという表れで、結局うまくいったかうまくいかなかったかって言ったら、結果から見ればうまくいかなかったと思えると思います。どうやったら結果を出せるのか、結果を出すためにどうやってやるのかというところをしっかり考えてやれないと、結局最後は優勝して終われないかなと思うので、そこだけを目指して頑張ってもらいたいなと思います。

――今後競技に携わっていく予定はありますか

一応ことしは福島県の方で国体選手として出るので、10月の最初に本国体があって、そこは出場するんですけど、今後は福島で教員をやりながらクラブチームとかでソフトボールを続けていければなと思っているんですけど、どちらにしてもソフトボールでご飯を食べていけるわけではないので、ある程度線引きをしなきゃいけないというか、ソフトボールばかりってわけにはいかないと思うので、がっつりソフトボールに浸かるというのはきょうで終わりだと思います。

――塩沼選手にとって早大ソフトボール部はどういったところでしたか

社会人になる手前の僕たちにとってすごく良く成長できる環境が整っているのかなというのはすごく感じます。1年生の時はアメリカ遠征に行ったりして、ソフトボール本場の地でいろいろ体験できたり、練習の時とかも選手主体でやってるわけなので、自分らで考えて行動していかなきゃいけないので、そういったところでは考える力はすごくつくのかなと思いますし、先輩方もすごく良い方々に恵まれていて、礼儀であったり、社会に出て当たり前にできなきゃいけないことを指導してくださるので、そういうところで人間的に成長できたんじゃないかなと思います。あとは4年生になったら自分たちで運営もしていかなきゃいけないというところで、練習試合の相手をどうやって組んでいくかというとか、遠征先とか、その都度その都度で練習試合の相手の監督さんであるとか、自分らよりも年が上の方と接する機会とかも増えますし、そういうところでどうやって関係性を築いていくかとか、いろいろと社会に近い環境で部活動をやらせていただけるというのは、他の体育会でも他の(大学の)ソフトボール部でもなかなかできないことだと思うので、そういうところが学べたのかなと思います。最後の学生生活というところもあったと思いますけど、人生において一つのターニングポイントじゃないですけど、節目になっているのかなと思います。

飯泉召副将(教4=埼玉・与野)

――今の率直な感想はいかがですか

残念の一言というか…。東日本のいいイメージもチームの中にあったと思いますし、国士舘も相当ウチのことを意識しているだろうという中で、がっぷり四つになるだろうなというのは考えていました。ちょっとの差だったとは思うんですけど、点差はすごくついてしまって、残念です。結果としてうちがやりたかったことを国士舘がやったということだったんで、完敗だったなと思います。

――チームの中で中心的な存在の一人として、この大会を目標に準備してきたと思うんですけど、大会として総括していただくとどうですか

振り返ってなんですけど、これまでの3年生までの3年間というのは、先輩たちのために一生懸命やろうと言っていて、優勝を目指していることに変わりはないんですけど、誰かのために一生懸命、その人が言ってくれた道を100%に近いかたちで再現しようという風にやっていました。この1年間はこれまで自分たちが先輩のためにってやっていたのを、今度は自分たちのためにと思ってもらえるように、なんとか道筋を立てたりだとかというところで、それまでの3年間とはまた違った難しさがあって、僕自身も後輩たちにすごく厳しい声をかけたりとかしていて、よくついてきてくれたなと思いますし、それで目に見えて丹野(太郎、スポ2=兵庫・滝川)だったりとか、他にもたくさんいるんですけど、(下級生の)成長が実感できていただけに、最後結果的に勝てなかったら意味がないので、チームとして負けてしまったというのは残念です。

――4年間の競技生活を振り返っていただくとどうですか

高校までは野球をやっていたんですけど、甲子園優勝、それこそソフトボールに照らし合わせたら、インカレ優勝ということは現実的とは言えないような感じでした。僕が(ソフトボール部に)入った時はワセダはインカレを2連覇していて、その強いワセダに憧れて入部を決めて、1年生の時に3連覇目を経験させてもらって、こういう先輩になりたいと実際に憧れましたし、僕らも4年生になった時は信頼もできるし実力もあるという4年生になりたいと思ってやってきたんですけど、最後負けてしまって、そうなれたかと言われたら、あの時の先輩に比べたら何かが足りなかったから結果が出なかったんだろうなとは思います。

――同期について

仲も良くて、途中から萩野谷と村松も入ってきたので10人になって、結構人数が多かったんですけど、多くてもある程度まとまってやれていたし、このインカレに向けてもまずは4年生が束になってまとまって、一緒にやっていこうという空気をつくれたので、最高学年として取り組み姿勢というのは間違ってなかったなと思っています。

――後輩に向けてかけたい言葉はありますか

まずは僕らに相当言われながらもついてきてくれて本当にありがたいというか、後輩の気持ちに応えられなかったのが申し訳ないというか、結果を残すことでついてきてくれた後輩にも恩返しがしたかったし、それしか恩返しの方法はなかったと思うので、その点については申し訳ないとしか言いようがないという感じですね。これから新しいチームになると思うんですけど、きょうもちょっとの差が点数としては大差になってしまったし、微差が大差に変わってしまう一球の怖さというものは分かったと思うので、一球にこだわってやっていかないと、なかなか難しいし、僕らもそれをやってきたつもりでしたけど、それでも全然足りていなかったということなので。僕らがワセダがインカレで優勝した時を知っている最後の代で、(これからは)大学ソフトでの優勝は経験がない世代になってしまうんですけど、あの時1年生で経験した優勝は、全然プレーに関与していなくても、本当に気持ちいい格別なものなので、そこを目指してやっていってほしいなと思います。まあ目指すとは思うんですけど(笑)。

――今後はこの競技に携わっていく予定はありますか

選手としてはないかなと思っています。教員になる可能性があるので、もしタイミングと縁が良ければ、ソフトボールに指導者というかたちで携わる可能性はあるんですけど、選手として本気でやることはもうないかなと思います。

――飯泉選手にとって、早大ソフトボール部はどういったところでしたか

ずっとソフトボールのことばかり考えてやってきたので、大学生活そのものだというか、他の場所にも友達とかはいたりしますけど、夏休みとかも毎日会って遅くまで一緒に練習してというところで、最後に本気でやれるチャンスを与えてくれた場所だったかなと思います。

坂本大樹(法4=愛知・名古屋)

――率直に、今のお気持ちを聞かせてください

ずっと目標ではないですけど、ライバルにしてきた国士舘に負けたので、悔しいですね。結局去年の秋からずっと国士舘を倒すために練習してきて、チームづくりをしてきたんで、その相手に負けるというのは自分たちに足りないものがまだあったのかなという気持ちもあります。

―― 最上級生になってからの1年間を振り返っていただけますか

自分は主務で、あまりソフトボールに関しては貢献できなかったかもしれないんですけど、みんなに迷惑はかけたけど、チームづくりに自分のやれることはできたのかなと思います。ただ、それが結果には結びつかなかったので、もしかしたらまだまだやれた点はあったのかなというのが、率直な感想ではあります。

――選手として結果を残すことを目指しつつ、主務の仕事を並行してやっていくことに難しさはありましたか

そうですね。両立っていうのは難しいです。いろんなところに気をつかわなければいけなかったし、その面で大変さはありましたけど、でも最初にチームができた時に、キャプテンの塩沼と副将の飯泉が、「ちゃんと選手としてもやってほしいし、坂本みたいな選手が選手として輝ければ、たぶん他の人たちの励みにもなるし、チームとしても盛り上がるから、ぜひ選手は続けてほしい」ということはしっかり言われて、僕自身ずっと右膝をケガしていて、選手としてもという感じもあったんですけど、その言葉はやっぱり励みになったというか、もう一回ちゃんとやろうと思ったきっかけではありました。

――4年間の競技生活で印象的な出来事はありますか

膝をケガしまくったということですかね(笑)。結局3回ケガして、苦しめられた競技生活でした。けど、それでも僕のキャラを引き出してくれたというか、チームを盛り上げさせるために使ってくれたなというのは、4年間で毎年思いましたね。毎年の代ごとにそれぞれ違う盛り上がらせ方というか乗せ方をさせてくれていたんで、僕を使って生かしてくれたのかなって思います。ソフトボールがヘタな僕でも、ちゃんと輝ける場所を作ってくれたのかなというのは、ソフトボール部の伝統的な魅力なのかなと4年間を通して思います。

――同期について

みんなそれぞれがそれぞれの目的意識を持ってやれていた代だなというのは、すごく感じていました。インカレ始まる直前くらいに、同期みんなで1回チームをまとめるために話し合おうってなった時も、それぞれがちゃんとした考えを持っていて、話し合いもすごい盛り上がって、チームをいい方向に向けようという思いはすごく強かったのかなという風に思いました。すごい心強い同期だったのかなと、僕が困ったときは同期みんなが助けてくれたし、逆に動機が困ったときには僕自身が助けるというようないい関係だったのかなというのは感じますね。

――後輩にかけたい言葉はありますか

もう雪辱を果たしてくださいということしかないですけど、それぞれ後輩には伝えたんですけど、絶対大変なことというのはあると思うんで、そうなった時には自分一人で抱え込まず、きちんと同期と、仲間たちと一緒に解決するというのが、こうしてチームスポーツをやっている中では大事だと思うんで、結局その積み重なりが、ひいてはこういう大きな舞台でチームプレーを発揮できる礎になると思うんで、そこを大切にしてほしいと思います。

――今後競技に携わっていく予定はありますか

ないかなと。ソフトボールはやらないと思います。

――坂本選手にとって、早大ソフトボール部とはどういったところでしたか

ちょっとさっき話題にも出たんですけど、やっぱりどんなバックグラウンドを持った人でも、輝けるような環境をつくってくれるような場所だと思います。ソフトボールがヘタな人だっているし、コミュニケーションが苦手な人だっているかもしれないけれど、それぞれが輝けるような場所をつくってくれる、懐の大きな部活だなというのはすごく思います。そこは僕がソフトボール部を他にアピールするときでも、いちばん言うところなので、それでお互いがカバーしあって、その中で人間として成長できる環境なのかなと、先輩たちから受け継いできたものもすごくあると思うんで、そういう部活だと思っています。

村松俊太朗(教4=埼玉・早大本庄)

――振り返っていかがですか

今回、自分はベンチからチームを見てたんですけど、毎試合突破して勝ち上がっていくんだと強い気持ちを持って戦うことができたのかなという印象があります。
1回戦もそうなんですが、チームのいい雰囲気はきょうも出せていたのかなと思います。でも、その中で負けてしまったというのはすごい悔しいです。

――ことし1年を振り返ってみていかがですか

自分としても、この1年を通して、少しチームを離れてしまった期間もあったので、今までチームには結構迷惑をかけてしまった分、インカレでは少しでも勝利に貢献しようというのがあって。そこの部分では少し悔いが残るかなと思います。

――選手としてやっていく一方で、副務としての仕事もあったと思いますが

主務の坂本や、学連の増形をサポートしていくっていう立場だったんですけど、去年選挙で選んでいただいて、責任感をもって1年間仕事をすることはできたのかなと思っています。次は実重(僚右、人3=島根・高卒認定)が副務になるんですけど、少しでも多くのことを引き継いでいけたらと思います。

――同期について

自分と萩野谷が後から入部したんですけど仲良くしてくれて、温かい雰囲気でやらせてもらったなと思っています。さっきも行ったんですけど、特に自分は少し離れていた時期もありながら、戻ってきた時はすごく温かい雰囲気で迎えてくれて、自分としてもありがたかったですし、感謝しかないですね。

――後輩にかけたい言葉などありますか

このインカレで優勝するということを(ずっと)掲げてきた中で、3年間達成できていないので、とにかくそれを目標にして、絶対に達成するという気持ちを持って、プレーしてもらえたらなと思います。

――今後、何かしらのかたちで競技に関わっていく予定は

自分はないです。

――村松選手にとって、早大ソフトボール部とはどういったところでしたか

大学生活もソフト中心に回ってきた中で、自分がいられる居場所というのが、ここにはあったかなと思います。温かくチームの一員としてずっとやらせていただいたのは、すごくありがたいですし、自分にとっては、やっぱり居場所だったのかなと思います。

増形俊輔(社4=千葉敬愛)

――今のお気持ちを教えてください

僕はすごくやり切ったなという感じがあります。優勝を目指していた中で、結果は2回戦っていう早い段階で負けてしまったんですけど、それでも全力でやって来たし、自分の力は出し切ったと思っているので、終わってみると、悔いというかやり切ったという気持ちでした。

――1年間目指してきた舞台で、

日本一を目指していたので、正直結果だけ見ると悔しさは感じますけど、終わってすぐだからか何なのかはわからないですけど、あまり実感はないので、悔しいというよりは、国士舘相手に全力で戦った結果負けたということなので、納得できる部分があります。

――ことし1年を振り返っていただいてどうですか

大学ソフトボールを始めてから、いちばん苦しかった一年だと思っていて、やっぱり4年生として結果を出さなければいけないという重圧だとか、幹部としての仕事が増えたりだとか、就職活動でなかなか練習に行けなかったりとか、そういう時期が長くて、ソフトボールに打ち込む時間が激減したという時期だったので、成績も3年生の時の方が打ってたりして良かったり、苦しかったと思います。

――幹部の仕事との両立は、やはり難しさがありましたか

それは役職にもやるんですけど、僕は学連委員という立場で、練習を抜けて学連の運営に行ったりだとか、委員会に行ったりということが多かったので、大事な試合前に(練習を)抜けるとか、そういう点では非常に難しいなと感じていました。

――4年間の競技生活としてはいかがでしたか

僕は高校で日本一を目指してやっていて、そこでなれなかったので、大学では日本一になりたいと思ってこの部に入ってきて、実際に1年の時に先輩たちの代で日本一になれて、その時にベンチに入って貢献できたということで、その点では(目標を)達成できたので、いい経験だったという風に思います。でも、その時は試合に出られなかったので、自分たちの代で日本一になりたかったという思いはあったんですけど、結果的にはなれなくて、残念ではあるんですけど、その過程としては全力で突き進んできてやってきた4年間だったので、結果優勝できなかったですけど、悔いはないです。

――同期について

人数が段階的に増えていって、気付いたら10人になっていたみたいな、そういう代で、人数が多かったんですけど、仲が良かったなという風に思っていて、1年生の時もずっと毎日遅くまで残って、10人ほぼ全員で、みんなで小手指でご飯を食べたりだとか、そういうことがかなり多かったので、すごい良い代だったなと思います。苦しい時とか、同期にはいろんな言葉をかけてもらって、助けられたりしたんで、すごい感謝してます。

――後輩に向けてかけたい言葉はありますか

僕は特に(打撃の)小技というところで引っ張ってきたので、期待したいのは西川(航太、社3=東京・早実)とかですかね。一生懸命やってきていたんで、彼はまだまだ伸ばせると思いますけど、それでも彼なら一生懸命さでチームを引っ張ってくれると思うので、期待したいです。

――今後もソフトボールに関わっていく予定はありますか

現段階では、何らかのかたちでソフトボールに携わりたいなと思っています。まだ(今後に)少し不透明な部分はあるので、それ次第でどういったかたちで関わるかは決めていきたいなと思います。

――増形選手にとって、早大ソフトボール部はどんな場でしたか

ソフトボールをやっていればそれ以外のことは考えなくて良くて、ソフトボールに集中するだけという環境がすごい良かったと思っていて、勉強の成績があまり良くないだとか、就職活動がなかなかうまくいってないとか、生活でうまくいってないなという時期でも、ソフトボールの練習をやっている時は、そういう悩みは全部忘れて、ソフトボールのことしか考えずに済むという、そういう場だったので、僕の学生生活や青春には欠かせない場だったかなという風に思います。自分を自分たらしめるような場で、ソフトボールをやっていない自分は想像できなかったなと思います。ソフトボールをやってなかったら、僕はここ(ワセダ)に来ていないと思うので、今のところ、ソフトボールは僕の人生みたいなものですかね。

萩野谷知大(人4=茨城・水戸一)

――今の率直な心境としてはいかがですか

この試合に関しては、完敗かなというところですね。東日本で良い試合ができて勝っていたので、こっちとしても良いイメージで臨んだんですけど、チームとしてはふがいないとという結果かなというところですね。個人としても、先頭バッターで自分が出なきゃと自分を気負わせて、ここで出れば勝てるし出られなければ負けるというくらいの勢いで臨んだんですけど、初回三振というところで、個人としてもチームとしてもふがいなかったかなと思います。

――インカレを振り返った時に、萩野谷選手は初戦のホームランがあると思うんですが、公式戦での柵越えの本塁打は初めてだったそうですね

そうですね。小学校、中学校、高校と野球をやってきて、大学でソフトをやってきたんですけど、一回も柵越えのホームランというものを打ったことがなくて、狙っていることはないんですけど、きのうの場合はビハインドだったんで、強い気持ちでチームを勢いづかせたいという気持ちが乗って、行ってしまいました(笑)。

――ここでの競技生活を振り返って

高校生で野球をやっていた時に悔しい思いがあったので、それを挽回したいという思いで1年生の2月という時期にソフトボールをやり始めて、2個上のキャプテンの溝口さん(聖、平28人卒=長崎・佐世保西)の代で必死に、一日一日食らいついて練習しようという気持ちでやってきて、その当時は周りのレベルもとても高くて、練習で差を縮めるのが精一杯というところで、どこまで自分が上がっていけるのかというビジョンは見えていなかったんですけど、次の金子さん(祐也、平29スポ卒=長崎・佐世保西)の代でかたちが見えて、4年生という立場になって、チームの打線の中で中心として機能できるバッターというか、軸になれたというのはかなり自信を持っています。

――同期について

人数も多くて、最初は8人だったらしいですけど、僕と村松が入って10人になって、かなり賑やかな代になったんじゃないかなと思っていて、いじられ役の坂本であったり、増形が煽ったりというところを中心に、それがチームに伝播してというところで、楽しい雰囲気でやらせてもらったなという印象がかなり強いです。

――後輩に向けてかけたい言葉はありますか

僕自身1年生の2月に入って、一個下の鳥岡(健、スポ3=岡山・高梁)だったり前多(悠登、人3=東京・小山台)だったりっていうヤツらと一緒に、下級生として部の仕事であったり、チームの下積みというところを一緒にやってきたので、(次の代は)かなり親交が深い代で、プレー期間はだいたい彼らと同じなので、期待というか、頑張ってほしいという思いは強いですね。

――今後もこの競技に携わっていく予定はありますか

ないですね。競技人生は終わりですね。

――萩野谷選手にとって、ソフトボール部はどういったところでしたか

自分が小学校からやってきた競技の集大成というところで、自分の気持ちの弱さゆえにあまり結果が出ないことも高校生までは結構あったんですけど、今まで溜まってきたものが一気に吐き出されたというような場所でした。

吉田尚央(人4=長崎・佐世保西)

――今の率直な心境を教えてください

紙一重というか、自分の中ではあの一球だったなと思います。

――それはやはり、初回にホームランを許したシーンの一球のことですか

そうですね。後悔するのはあれだけです。あれじゃなかったらもしかしたら勝ってたかもなと。点差はそうは見えないかもしれないですけど、あれ以外は別で、流れとか雰囲気とかの問題だと思うので。あれがなかったらもっと違う試合になっていたかなと思います。

――その後悔は、ボールの選択へのものですか。それとも投げたボールの質へのものですか

ボールの質ですね。投げる力とかそういうのを間違えたなと思います。

――1年間この舞台を目指してやってきたと思うんですけど、この大会についてはいかがでしたか

自分は悔しいというよりも、自分はやれることは全部やり切ったなと思っているので、国士舘強かったなという感じがあります。

――4年間の競技生活を振り返っていただくとどうですか

ケガとかよくしたなと思います。1年は運よく(インカレ)優勝のマウンドに立たせてもらって、いろいろ苦労してという感じですね。それ以降はいろいろケガしてうまくいかない中っていうのがありました。

――どちらかというと、全体的に言って悔いもあるという感じなんですかね

結局(きょうの)最後の国士戦で負けはしたんですけど、国士の選手たちと話して、「打ちづらかった」とかそういうことを言ってもらえたんで、負けはしたんですけど年間を通して嫌だった、打ちづらかったということを言われたんで、結果は別として、それは自分としてはやってたことは間違ってなかったのかなと思います。

――同期について

いろんなヤツがいました。自分はどちらかというと静かにして一人でいるタイプで、今回のホテルも自分だけ一人部屋が良いって言って一人部屋を選んで、他の同期は後輩とかと一緒にいたりするので。でも、一緒にいると楽しいなと、こいつらといるのもいいなって思うような同期でした。

――後輩に向けてかけたい言葉はありますか

自分と豊田とキャッチャーの山本もいなくなるというのはしんどいとは思います。そこをどうカバーするか、バッテリーを来年のインカレまでに良くしないといけないと思うんで、自分は引退するんですけど、卒業もあと卒論だけになったので、練習に行ける時は顔を出して、ピッチャーに教えてあげたり、キャッチャーの育成とか、後輩に伝えるとか、プレー以外に自分がいたという証を残していくように、これからは卒業まで恩返しということをやっていきたいなと思います。

――今後は競技に携わっていく予定はあるんですか

東京に残れたら関わっていこうかなという風に思っていたんですけど、自分は地元に帰ることになったので、関わるとしても地元の高校の試合とか高校に顔を出すくらいかなと。選手としては、もう(地元に)帰ることになったので、ケガとかもいろいろと多い4年間だったので、無いかなというのが正直あります。

――吉田選手にとって、早大ソフトボール部はどんなところでしたか

自分らしくいられる場所って感じでしたかね。あとは自分はもともと普段は一人でいることが多いので、人と絡んだりする機会はソフト部がほとんどだったので、自分らしさを出せて、確認できる場所だったなって思います。

豊田誉彦(スポ4=兵庫・滝川)

――今の率直な感想を教えてください

(きのう)1試合目をしっかりと勝って、2戦目に挑んで、一番思ったのはやっぱり国士舘は強かったなということですね。まあ、自分たちのプレーもしっかりできた部分はあると思うんで、(試合の)後半のほうとかも、点差が空いてもベンチは明るかったですし、すごく楽しめた試合だったんじゃないかなという風に思います。

――今回のインカレを通した感想としても、それと同じになりますか

そうですね。選手一人ひとりすごい楽しくやっていたと思います。ベンチにいる時もマウンドにいる時も、そういう真剣な中に、どこかしらに楽しさが見られたので、やっぱりインカレってそういうものなんだなって思います。

――この1年間を振り返って

去年のインカレ以降もう一度新しいチームをつくり直して、チームのかたちを形成して、ここまであっという間だったんですけど、すごく中身の詰まった練習はできて、去年以上のかたちはできたんじゃないかなと個人的には思います。

――4年間の競技生活を振り返って

4年間、調子が良いとか悪いとかはありましたけど、1年目よりも2年目、2年目よりも3年目、3年目よりも4年目という風に成長していけたんじゃないかなと思います。ピッチャーをやっていて、球のいき方だったりとか、変化球のキレだったりとかというのは、やっぱり4年が一番良かったんじゃないかなと、成長し続けたんだなと思いますね。

――同期について

4年間ピッチャーで打たれたりして、いろんな試合を崩してきましたけど、責められることもなく、こっちもしっかり抑えることができた試合で打ってくれなくて負けたみたいな試合もあったんですけど、こっちも責めることはなく、終わってみれば仲良くやれたんじゃないかなと思います。誰かと誰かが仲悪いとかも全然なかったですし、みんなソフトボールという競技で集まって、こうやって4年間過ごせたっていうのは良かったんじゃないかなと思います。

――後輩にかけたい言葉はありますか

頑張ってくれとしか言いようがないですけど、やっぱり楽しくやってほしいなと。さっきも言ったんですけど、真剣な中に楽しさというものを見つけて、自分なりのソフトボールっていうのを探して、そこを伸ばして、みんなチームに貢献してほしいなと思います。

――今後は競技に携わる予定はありますか

プレーヤーとして真剣にやるのは大学までということにしているので、実業団とかから声もかかることはしたんですけど、行くことは今のところは考えていないです。でも、何かしらのかたちで、地域のソフトボールかもしれませんし、もしかしたら指導者として何かに携わるかもしれないですし、そういったかたちでは少しでも続けていきたいなという風には思っています。

――豊田選手にとって、早大ソフトボール部はどういったところでしたか

日常生活の一部と言いますか、4年間やってきて、ほぼほぼ毎日のようにずっと練習とかやって、それが無い日はすごい暇でと考えると、学生生活とセットだったのかなって思います。ほぼ毎日練習やって、楽しくソフトできたということが、学生生活の中心になっていたとは思いますね。

山本修平(スポ4=大阪・清風南海)

――今の率直な感想を教えてください

東日本は準優勝で、国士舘にも勝っていたので良いイメージで、この試合を勝てば上位を狙えると思って挑んだんですけど、力の差を見せつけられて悔しいというか、ミスとかもあって自分たちの力を出し切れなかったんで、「あ、終わってしまったな」という感覚です。

――一矢報いるホームランもありましたけど、あのシーンについて

1打席目は三振だったんですけど、高杉監督(聡、平10人卒=群馬・前橋育英)に「なんかお前きょう打てそうなスイングしてるよ」みたいなことを言ってもらったんで、「あれ、いけるのかな」と思って。あとは、ОBの溝口さんから開きが早いということを指導してもらって、それだけ意識すれば打てないこともないのかなと、良いイメージで打席に入ることができたので、インカレは(大会に)入る前から自分自身も調子が良かったので、甘い球が来て一発で仕留められたかなと思います。

――4年間の競技生活を振り返っていかがですか

最初に1年生で入部した時は、こうやってレギュラーになっていたりだとか、インカレでホームランを打つようなバッターになっているとは全然思わなかったんですけど、2年生の秋から少しずつキャッチャーで出場させてもらって、その中で自分の1個上の松木さん(俊皓、平29スポ卒=宮崎・日向)だとか、1年生の時に4年生だった沓澤さん(翔、平27スポ卒=大阪・関西大倉)や柏原さん(祐太、平27スポ卒=大阪・清風南海)というキャッチャーを見て、そういう存在になりたいと思う中で松木さんの指導を受けてっていう感じで、自分がソフトボール選手として4年間で大きく成長できたかなって思うので、同期とのいい出会いもありましたし、先輩にも恵まれて、大きく成長できたなという風に思います。

――同期について

10人いるんですけど、それぞれの個性的なキャラがあって、ただその中でもチームのためにっていう思いは塩沼や飯泉を中心に全員が強く持っていたので、4年間このメンバーとソフトができて楽しかったというか、いい出会いだったんじゃないかなと思います。

――後輩に向けてかけたい言葉はありますか

僕たちはしっかり練習してきたつもりで、東日本以降の練習試合もしっかり全部勝って来ていたんですけど、インカレになってしまったら相手チームの勢いにのまれてしまって、自分たちのプレーが思うようなプレーができずに負けてしまうというのが悔しかったので、勝たないと一番の喜びというのはつかめないと思うので、結果にこだわってやってほしいかなと思います。

――今後ソフトボールに携わっていく予定というのはあるんですか

いえ、いまはないですね。少し遊び程度ならやるかもしれないんですけど、競技としてはこれが最後なので、その最終打席がホームランで締められたというのは、良かったのかなと思います。

――山本選手にとって、早大ソフトボール部はどういったところでしたか

居心地がいいというか、ソフトボールをしていなかったら出会わなかったというか、しゃべることもなかっただろうという部員とも多く出会えましたし、その中でそれぞれの個性と面白さとというところに気付くこともありました。今まで経験したことなかったアメリカ遠征だったり、高校時代には出られなかった全国大会だったり、新しい経験を自分に与えてくれた部でもありますし、いろんな人との出会いもある素晴らしい部活かなと思います。

西岡卓哉(スポ4=香川・高松)

――率直に今の感想を教えてください

チームとしてはインカレで優勝して日本一というところを目指してやってきて、きょうの国士舘戦がヤマ場だろうということで、チームもかなり盛り上がってやってきて、すごく気持ちも入っていて全力を出し尽くしたと思います。それでも敵わなかったというところで、実際に負けてしまって、自分は選手ではないので、トレーナーとして(チームを)支える立場にあるんですけど、自分にももっと何かできることがあったんじゃないかなと。後悔ではないんですけど、もっとできることがあったんじゃないかなという風に思ってはいます。

――他の部員とは少し違った立場からチームを支える立場にあったと思うんですが、4年間を振り返っていかがですか

この部でトレーナーというのは、そもそも僕がソフトボール部の歴史の中でも2人目で、実際にトレーナーとして活動されていたOBの方で佐藤さん(裕務、平25スポ卒=北海道・函館中部)という方がいらっしゃったんですけど、その方が抜けてから、僕が1年生の時から一人でというかたちでやっていたので、なかなかチームにも(トレーナーという役職が)浸透していないというか、マネージャーみたいにチームにいて当たり前という役職ではなかったので、なかなかやりづらいところはあったんですけど、自分が試行錯誤しながらいろいろ取り組んでいくことに対して、その中で同期だったり先輩後輩たちが、寛容に受け入れてくれました。自分もこれが本当に正しいのかというのがわからないということもあったんですけど、僕のそのトレーナーとしての行動を受け入れてくれということに、チームで僕が関わったチームメイト、先輩・同期・後輩すべての方々に感謝したいなというところです。

――後輩には、トレーナーを兼任する織部選手や山内選手もいますが、期待することはありますか

一応、1年生の石田(裕樹、スポ1=福島東)も将来はトレーナーを目指したいということを言っていて、今は結構選手に気持ちが行っていて、チームにいるうちは選手でいって、将来はトレーナーをやりたいということを言っているんですけど。僕が選手兼トレーナーをやっていたことがあって、その流れで後輩たちもそういうかたちでやっていて、そういうのはこのソフトボール部でしかできないことなのかなと思っていて、そういうソフト部だからこそできることというのにどんどんチャレンジしてもらいたいなと思っています。両立ってすごい大変なことだと思うんですけど、選手とトレーナーもどっちも100%で頑張ってほしいなと思います。

――同期について

僕は4月の終わりくらいから入部して、ちょっと遅めの入部だったんですけど、個性が豊かで、1年生の時から一緒にいて楽しくて、面白いメンバーでした。他の部のトレーナーとかに話を聞いていると、なかなか選手とトレーナーというように役職が違うと、一線がある感じがあったりするそうなんですけど、この部だったら(違って)、一致団結していろんなことに取り組めました。部のこともそうですし、それ以外でもいろいろ同期の間での思い出というのはいっぱいつくれた、楽しい代だったなという風に思います。

――今後もトレーナーを目指してやっていくことになるんですか

卒業して大学院に進学して、そこで主にトレーニング系の研究をしていって、大学院の後の進路というものはまだ定まってはいないんですけど、自分としてはそういう大学院で研究したことに関連した職業、トレーニング系のトレーナーということで活動していけたら良いかなということを思っています。

――西岡さんにとって、早大ソフトボール部とはどんな場でしたか

他の部だったら絶対経験できないことを経験させてもらえたな、というのがあって、さっきも言ったんですけど、選手兼トレーナーというのも、吉村正先生(女子部監督、昭44教卒=京都・平安)のすすめみたいなものがあってやらせていただいたんですけど、そういった経験は他のところだったら絶対にできなかったし、選手もやることでトレーナーとしてやっていく中に生きる部分もあったので、そういう経験ができたというのもすごい良かったなという風に思いました。実際に、トレーナーとしては2年生の夏から専属でやるっていうかたちになって、一人という環境がそうさせたとも思うんですけど、チームにできる限りのことをしっかりやらなきゃいけないという責任もやっぱりあったんですが、そこから自分がやりたいことをすぐに実践できる場になって。この4年間で選手としてもトレーナーとしても貴重な経験をさせてもらいましたし、吉村先生は普段人間力という言葉をおっしゃられているんですけど、人間的な面でも成長させてもらえたんじゃないかなと思います。