野球部

2017.03.17

訪台百年記念交流試合 3月1日~5日 台湾・台北市立天母棒球場ほか

9年ぶりの台湾遠征は2勝2敗

 野球部が2008年(平20)以来9年ぶりとなる台湾遠征を行った。日本統治時代の台湾に初めて遠征してからことしで百年。台湾人の早大OBらで作る『早稲田大学台湾校友会』が開催を早大側に提案し、訪台百年記念交流試合が実現した。ナインは現地の大学と4試合を戦い、2勝2敗。試合会場には応援部も駆け付け、公式戦さながらの盛り上がりを見せた。

12得点で新チームは白星発進(3月1日・対遠東科技大)

TEAM
早 大 12
遠東科技大

 先制点は主将のバットから生まれた。初回に4番・佐藤晋甫(教4=広島・瀬戸内)が左翼線を破る適時二塁打を放ち、幸先良く先制する。すると2回には7番・長谷川寛(社4=宮城・仙台育英)の中越え2点本塁打で加点。終わってみれば5本塁打を含む14安打の猛攻で遠東科技大を圧倒した。

 重要な初戦、先発マウンドには二山陽平(商4=東京・早実)。1、2回こそ無得点に抑えたが、3回に5連打を浴び4点を失ってしまう。ここで黒岩佑丞(スポ4=早稲田佐賀)がマウンドへ。ピンチでの登板となった黒岩佑は後続を併殺に仕留め、反撃の芽を摘む。黒岩佑はその後6、7回に3点を失ったが、8回から登板した3番手の奈須怜斗(社4=宮崎・延岡学園)がきっちりと試合を締め、新チームの船出を白星で飾った。

 

打線がつながらず悔しい初黒星(3月2日・対高苑科技大)

TEAM
高苑科技大
早 大

 この日は北濱竣介(人4=石川・金沢桜丘)が先発マウンドに上がった。3回まで毎回安打を許しながら得点を許さない北濱だったが、4回無死一、二塁から右越え適時二塁打を浴びると次打者には死球を与えてしまい、ここで無念の降板。代わった清水陸生(人4=宮崎大宮)も無死満塁から犠飛や野選により3失点。北濱は「相手打者の情報を伝えきれていなかった」とバッテリー間での意思疎通の不徹底を悔やんだ。

 4点を失った直後の攻撃、1死後に3番・三倉進(スポ4=愛知・東邦)が中前打で出塁すると、5番・戸谷光助(教4=東京・早実)が左前適時打を放ち、1点を返す。しかし、後続が倒れこの回の反撃は1点にとどまった。その後もなかなか得点を挙げることができず7回に1番・八木健太郎(スポ4=東京・早実)の左前適時打で2点差に詰め寄るのが精いっぱい。安打9本を放ったが、好機で攻め切ることができず新チーム初黒星を喫した。

 

主導権を握れず・・・痛い連敗(3月4日・対台湾体育大)

TEAM
早 大
台湾体育大

 初回、先頭の八木健太郎(スポ4=東京・早実)が中前打で出塁すると、二進後に3番・三倉進(スポ4=愛知・東邦)の左前打が飛び出す。この打球の処理を左翼手が誤ると、八木は一気に本塁へ。ほしかった先制点を奪った。ところが、先発の奈須怜斗(社4=宮崎・延岡学園)は先頭打者に四球を与えるとそこから5安打を集中され、4点を献上してしまう。ここで二山陽平(商4=東京・早実)へとスイッチ。二山は低めを丁寧に突き打たせて取る投球で4回までを無失点に抑える好投。味方の援護を待った。

 打線が追い上げを見せたのは6回。佐藤晋甫主将(教4=広島・瀬戸内)が左翼の頭上を越える適時三塁打を放ち2点目を挙げる。すると次打者の初球が暴投となり、自らも生還。1点差に詰め寄った。しかしその裏の守りで二山が2点適時打を許し、再び3点を追いかける苦しい展開に。9回は四球と内野安打で2死一、二塁の好機をつくったが、小野寺旭(人4=岩手・水沢)がニゴロに倒れゲームセット。悔しい連敗となった。

 

 

投打がかみ合い快勝(3月5日・対文化大)

TEAM
早 大
文化大

6回無失点の好投を見せた小島

 先発の小島和哉(スポ3=埼玉・浦和学院)は5回を除き毎回走者を出したが、要所を締める投球。伸びのある直球を主体に6回を5安打無失点に抑えてみせた。7回から登板した北濱竣介(人4=石川・金沢桜丘)もテンポ良く投げ込み、一人の走者も許さないパーフェクトリリーフ。盤石のリレーで文化大打線に得点を許さなかった。

 この日も打線に火を付けたのは上位打線だった。先頭の八木健太郎(スポ4=東京・早実)が左前打で出塁すると、1死二、三塁から4番・佐藤晋甫主将(教4=広島・瀬戸内)の左前適時打が飛び出し鮮やかに先制する。5回には5番・戸谷光助(教4=東京・早実)が右中間を深々と破る適時三塁打を放ち、中押しに成功。そして終盤にも敵失や犠飛できっちりとダメ押し点を奪った。投打がガッチリとかみ合った早大が、台湾遠征最後の試合を勝利で締めくくった。

 

 

(記事 郡司幸耀、写真 アシックスジャパン株式会社提供)

★グラウンド外でも充実

 試合はもちろん、グラウンドの外でも充実した遠征となった。台湾に到着すると、台南での歓迎レセプションを受け、交流試合後は対戦した選手たちと交流。また、交流試合のなかった3日には嘉義市及び国立嘉義大学を訪問。1931年(昭和6)夏の甲子園で嘉義農林学校(嘉農、現・嘉義大学)のエースとして活躍し、のちに早大に留学した大先輩・呉明捷投手について学び、彫像と記念撮影も行った。嘉義大学にも足を運び、嘉農を甲子園出場に導いた日本人監督・近藤兵太郎氏の銅像や甲子園準優勝記念碑などを見物するなど、学ぶことも多かったようだ。

台湾でもWASEDA人気は健在だった

※リーグ戦開幕前の記事は都合により試合当日に公開することができないことがございます。読者の皆様には大変申し訳ございませんが、何卒ご了承頂きたく存じます。リーグ戦は従来通り、即日公開致します。

※記事中の学年は新年度のものです。