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2016.10.18

早稲田大学リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック報告会 10月15日 早大井深大記念ホール

リオ出場選手たちが大会結果を報告!

 今夏、リオデジャネイロで約2カ月間にわたり開催された五輪・パラリンピック。多くの夢と感動を与えてくれたことは記憶に新しい。この世界で一番大きなスポーツの祭典に、早大からも多くの現役生や校友が出場した。早大はこの日、その選手たちの活躍をたたえるべく報告会を開催。計16選手が出席し、鎌田薫総長(昭45法卒=東京教育大付駒場)をはじめとする大学関係者や、抽選で当選した早大生に結果の報告、そして今後の抱負などを語った。

 現役6名・校友13名が出場し、現役2名・校友1名がメダルを持ち帰ったリオ五輪。入賞者も多数輩出するなど、名門校ぶりがうかがえる大会ともなっただろう。女子200メートルバタフライで銅メダルを獲得し、先日引退を発表した星奈津美(平25スポ卒=現ミズノ)は「これから後輩たちのためにサポートをしていきたい」と、4年後の東京五輪に向けた支援を宣言。また、現役・校友計5名が出場したリオパラリンピックでは、男子400メートルリレー(T42―T47)に出場した多川知希(平20先理卒=現AC・KITA)、芦田創(平28政経卒=現トヨタ自動車)が銅メダルを獲得。早大で培った魂を、世界の舞台でも見せつけてくれた。

 大盛況のうちに幕を閉じた今回の報告会。多くの選手たちが語ってくれたのは、リオ大会の結果報告はもちろんのこと、やはり4年後に開催される東京五輪・パラリンピックへの熱い思いだった。今大会のうれしさ、悔しさ、得た経験を全て糧にし、4年後こそは必ず表彰台へ――。既に次の大会を見据え、厳しい練習に励んでいる選手たち。4年後、『W』の誇りを胸に世界の舞台で戦う選手たちを、ここ日本で見られる日が今から待ち遠しい。

(記事、写真 中丸卓己)

集合写真

★河合純一氏がパラリンピック殿堂入り!

岩井方男所長から表彰される河合氏(右)

 日本人として初めてパラリンピック殿堂入りを果たした河合純一氏(平10教卒)。それを記念し、報告会では競技スポーツセンター所長賞の授与式も行われた。河合氏は1992年のバルセロナパラリンピックから2012年のロンドンパラリンピックまで、6大会連続で水泳競技に出場。金メダル5個を含む計21個のメダルを獲得した。現在もパラスポーツ発展のため日々尽力しており、その功績が認められてのパラリンピック殿堂入りとなった。早大でも講演を行うなど、後輩たちにも影響を与えている河合氏。授与式の際には満面の笑みを浮かべていた。過去の競技スポーツセンター所長賞の受賞者としては平井伯昌氏(昭61社卒)が挙げられる。

コメント(卒業年度順、現役生は学年順)

木村潤平(平19教卒=現NTT東日本)

――リオパラリンピックの報告などをお聞かせください

今回は本当に大きな応援をしていただいてありがとうございました。早稲田大学を卒業して10年たって、このようにお話させていただけるとは思っていなかったので、感慨深いと思います。今回パラトライアスロンに出場して、結果としては10番でした。紹介にありましたように、アテネからロンドンまでは水泳で(パラリンピックに)出場しました。3大会出場した時もメダルは取れず、今回競技転向をしてトライアスロンで新しい気持ちを持ってメダルを取りに行きました。しかし今回もメダルを取ることはできませんでした。しかし、10年たって年も取ってきたのですが、僕の持ち前は『諦めが悪い』というところがあります。次の4年後も僕がどこまでできるかは分からないのですが、力の続く限り頑張っていきたいと思うので、これからもどうかご声援をよろしくお願いします。

――木村選手が水泳からトライアスロンへ転向したのはどのような理由からでしょうか

もちろんいろいろ理由はあるのですが、新しいことにチャレンジしたかったというのがあります。僕はこれまで水泳というところで自分の強みを武器に頑張ってきたので、それを生かせる競技はないのかと考えたところ、トライアスロンという競技を選びました。また日本にはなかなかマルチアスリートという人がいなく、今後マルチアスリートみたいに2種目、3種目やれるような選手が出てくればいいなと思っていましたので、僕が先駆けとしてできたらいいなという気持ちはありました。

――新たな種目でのパラリンピック出場は、どのように感じましたか

本当に難しかったです。これまで水泳で養ってきた経験ももちろんあるので、それを生かせば自分にアドバンテージがあるかなと思いました。しかしやはり別競技は別競技で、競技独特の雰囲気など難しいところはありました。そこを体験できたのは僕にとってもいい経験でしたし、これを多くの人たちに広めていければなと思います。

――では東京パラリンピックも期待していいということでしょうか

頑張りたいと思います(笑)。

多川知希(平20先理卒=現AC・KITA)

――リオパラリンピックの報告などをお聞かせください

今回リオパラリンピックでは、100メートルと4×100メートルリレーに出場させていただきました。100メートルは全体9位ということで、あと一歩で決勝に進むことができず悔しい思いをしましたが、4×100メートルリレーではこのように銅メダルを獲得することができたので、本当にうれしく思っています。この銅メダルはロンドンから4年間仲間と勝つためにいろいろなことをやってきた結果だと思っています。ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、僕たちは繰り上げで銅メダルになりました。真摯(しんし)に受け止めて、非常に価値のあるメダルだと思っておりますが、今後も東京に向けて、次は個人種目でもリレーでも実力でメダルが取れるように頑張りたいと思いますので、応援のほどよろしくお願いします。

――銅メダルをもらったときはどのようなお気持ちでしたか

4年間仲間と一生懸命やってきた結果だと思っているので、率直にうれしかったですね。

――東京でのメダルが楽しみですね

そうですね。みんなで戦うというのは、陸上ではリレー競技だけなので、高い意識を持って臨みたいと思います。

――ワセダの選手が二人選ばれているというのも一つの大きな力ですよね

ワセダの力で4年後も頑張りたいと思います。

星奈津美(平25スポ卒=現ミズノ)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

きょうはこの場にお招きいただいたことをうれしく思います、ありがとうございます。私は4年前現役の学生として五輪に出場して、今回もその時と同じ銅メダルではあったんですけれども、今回の方がいろんなことを乗り越えての4年間だったので、すごく重みを感じています。先日引退を発表致しまして、これからは選手としてではないですが、私が4年前出場したときは水泳部からは(五輪出場者が)一人だったので、こういうふうに活躍している後輩を見て、私もこれから後輩たちのためにサポートをしていきたいなと思います。もっと大きいことを言うと、2020年の東京五輪に向けて自分ができることをして、競泳界に貢献していきたいなと思っています。改めて本当に今までたくさんのご声援ありがとうございました。

――選手から指導者への移行期間ということで、今の心境をお聞かせください

指導者とはっきり自分でまだ言い切れないのですが、やっぱりコーチングなどは大学4年間でたくさん学ばせていただいたので、そういったことを生かして将来活躍できればいいなとは思います。今はいろんなところにイベントとかで呼んでいただいているので、そこでの水泳教室などを通じて、自分なりに水泳の面白さなどを伝えていければなと思います。

大迫傑(平26スポ卒=現ナイキ・オレゴン・プロジェクト)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

リオの応援ありがとうございました。世界陸上などでもそうなのですが、陸上界、特に長距離では、毎回ケニア人選手がいる中で厳しい戦いを強いられています。今年は順位こそ1万メートルで17位という結果だったのですが、自分の中では手応えがありました。まだどの種目(に出場できる)か分からないですが、東京五輪に向けて今度は戦えるぞと思えるようになりました。まだ4年間ありますのでしっかりと強化をしていって、また4年後自分の納得するような結果を出せるように頑張っていきたいと思います。応援よろしくお願いします。

――大迫選手はアメリカのオレゴン・プロジェクトで世界のトップランナーと激しいトレーニングをしていると伺いました。日本での練習とアメリカでの練習はどういった違いを感じますか

内容的にはそんなに変わりません。しかし今回マラソンで銅メダル、1500、5000、1万メートルで金メダルを取った選手が周りにいるので、そのような中でもまれることによって日ごろ刺激を受けています。また自分も頑張らなければいけないなというように、強い向上心を持って競技に取り組むことができています。

冨田真紀子(平26国教卒=現世田谷レディース)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

女子7人制ラグビー日本代表の冨田です。ラグビーは今回初めて五輪の競技種目となり、ラグビー界にオリンピアンが生まれた記念すべき大会となりました。ですが私たちがもちろん目指していたメダルは取れず、10位という結果に終わってしまいました。さまざまな経験をしてやはり五輪に行って良かったなと思ってはいるのですが、メダルを取ってなんぼの大会だということを身をもって痛感しました。なので4年後の東京五輪の舞台で今度はメダルを持って帰りたいと思っています。引き続き応援よろしくお願いいたします。/p>

――リオ五輪が閉幕して2カ月ほど経ちましたが今のお気持ちは

意外とまだ2カ月しかたっていないんだなという感じです。競技を終えて1週間足らずで閉会式にも出ずに帰ってきたので、すごく遠い昔のように感じています。

――リオ五輪が昔に思えるほど終わってから練習されているということでしょうか

そうですね。既に4年後に向けてスタートしているので、逆にあと4年しかないという思いで今はトレーニングに励んでいます。

野澤啓佑(平26スポ卒=現ミズノ)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

本当にリオでは応援ありがとうございました。結果としては予選で自己ベストを出して、準決勝に進むことができました。準決勝ではタイムを落としてしまい、ファイナルに進むことはできませんでしたが、準決勝で予選と同じタイムで走っていたらファイナルが見えていましたので非常に悔しく思います。ただ、準決勝のレースでは自分にとって次の東京五輪などにつながるいいレースができたと思っているので、これを機会にもう一段階強くなれるように頑張りたいと思います。応援ありがとうございました。

――リオ五輪で一番印象に残っていることはありますか

五輪で印象に残っていることは準決勝で落ちて、自分の種目の決勝を見た時に自分がまだファイナルで戦うレベルではないということをそのレースを見てすごく感じました。

松本潮霞(平26社卒=現ALSOK)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

早稲田大学ウエイトリフティング部はことし60周年を迎えます。そして、部が正式に創設されてから五輪に出場するのは私が初めてで、そのような年に出場できて私はすごくうれしく思っています。結果は9位と入賞に一歩及びませんでしたが、次につながる数字だと私は感じています。三宅宏実選手(いちごグループホールディングス)の銅メダルを目の前で見て、4年後私もあのように活躍したいと強く思いましたので、あと4年、覚悟を決めて競技を続けたいと思います。応援ありがとうございました。

――初めての五輪、どういった気持ちで臨みましたか

スポーツをする上で五輪というのは目標にはしていたのですが、いざ出場が決まって、自分が五輪の選手になれたというのはいまだに実感がないんですよね。

――五輪が終わった今でもですか

(五輪が)終わっても、最近は本当に8月にリオにいたのかなと思うくらいです。

――東京五輪の目標というのはどんな目標がありますか

先ほど言ったように、三宅選手を見て日本人の選手が重量挙げでメダルを取れるんだという姿を垣間見て、日本の女性でも世界でメダルを取ってやるという気持ちになりました。

横尾千里(平27社卒=現東京フェニックスRC)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

こんにちは、横尾千里です。冨田も言っていたように、私たちにとって初めての五輪で結果は10位でした。もちろん1位を目指していたので、自分たちが本当に思っていたところと程遠いところにいて、今はすごく悔しい気持ちでいっぱいです。本当に早大に通いながらラグビーに対して努力していた日々を結果として表したいので、また東京に向けてこれから必死に努力していきたいと思っています。これからも応援よろしくお願いします。

――リオ五輪で印象に残っているシーンはありますか

私たちが目指していた金メダルをオーストラリアの選手が掲げて表彰台に立っている姿が印象に残っています。4年後には自分たちがその舞台に立ちたいなという思いがより強くなりました。

芦田創(平28政経卒=現トヨタ自動車)

――リオパラリンピックでの報告などをお聞かせください

パラ陸上・上肢障害の芦田創と申します。まずは、リオでのたくさんの応援ありがとうございました。私は5歳から15歳までがんで闘病生活でした。そういったことも踏まえて、今回のリオは支えてくださったたくさんの方々に恩返しできた大会であるとともに、何より親孝行のできた大会なのかなと思っています。リオでの結果は、4×400メートルリレーで銅メダル、個人の走幅跳では12位で予選敗退でした。個人では全く世界と勝負ができずに悔しい思いをし、リレーでは4年間こだわってきた部分での銅メダルだったので、酸いも甘いも経験できたかけがえのない大会となりました。しかし、やはり個人で勝負できなかったということが何よりも悔しくて、この悔しさが次の4年間で自分を強くしてくれると信じてまた頑張っていきたいと思いますので、今後ともご声援のほどよろしくお願いします。

――パラリンピック初出場でしたが、どのような気持ちで臨みましたか

初出場ではあったのですが、4年後の東京という舞台を見据えてリオでは何が経験できるかというところを大事にしていました。勝負という部分にはこだわってはいたのですが、初めてだからこそ、個人競技の走幅跳では頭が真っ白になって自分の思うようなパフォーマンスのできない大会だったので、次の4年後にはしっかりと冷静に、圧倒的な実力を持ってメダルを狙えるような選手になりたいなと思っています。

――ことしは4年後を見据えて活動したということですが、4年後に向けて一番近い目標を教えてください

4年間のうちですと、2017年に世界選手権、2018年にアジア大会、2019年に世界選手権と国際大会が毎年続くので、その中でできるだけ多くのメダルを取る。その3年の間に必ず1つはタイトルを取るという目標を持って、この4年間を過ごしていきたいなと思っています。

久保倉里美(スポ院1=現新潟アルビレックスランニングクラブ)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

私は今回3回目の五輪でしたが、過去2大会よりも結果を出せずに終わってしまったので、非常に悔しい思いで帰ってきましたし、今回に関しては雰囲気など慣れているからこそ難しい部分が大きかったなと思います。今後に関しては、まずは修士論文という高いハードルがありますので、そこに向かってしっかりいい論文を書き上げたいと思います。

――慣れているからこそ大変な部分があったというのはどういうところでしょうか

国際大会にも何回か出場してきて雰囲気にも慣れていたので、その分自分の気持ちを一番いいパフォーマンスが出せるところまで持っていけなかったというふうに思います。

――悔しさが残る部分があるということでしょうか

そうですね。五輪が終わってから数カ月たちましたが、その時を思い出すとやはりまだ悔しさがありますし、この悔しさは五輪じゃないと消えることがないだろうと思います。

――選手としての今後はどのように考えていらっしゃいますか

今回の五輪が自分にとっての集大成という位置づけで臨んだので、今後に関して来年どうするかということはまだ決めていないのですが、いずれにしても4年後の東京五輪では何らかのかたちで陸上競技を盛り上げられたらと思っています。

岩渕幸洋(教4=東京・早実)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

このたびはたくさんのご声援ありがとうございました。今回は初出場ということでしたが、自分はメダル獲得を目標に臨みました。しかし、結果は予選リーグで2敗してしまい、予選敗退という悔しい結果になってしまいました。対戦相手の仕上がり方やお客さんの入る大会の雰囲気など、普段の国際大会とは全く違う、パラリンピックならではの雰囲気を学ぶことができ、そして、この舞台で結果を出すことの難しさを感じることができました。この経験を生かし、東京パラリンピックでは金メダルを目標に頑張りたいと思いますので、またご声援よろしくお願いします。

――早大に入って強くなった要因は

早大卓球部に所属させていただいて、健常者の部員たちと共に練習しています。早大卓球部は非常にレベルが高く、五輪の選考にかかるような選手もいて、そういった選手をみて刺激を受け、強くなれたと思います。

瀬戸大也(スポ4=埼玉栄)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

皆さんこんばんは。リオ五輪ではたくさんの熱い応援ありがとうございました。おかげさまで銅メダルを獲得することができました。ですが、やはり自分の目指していたところは金メダルだったので。今4年生なのでしっかり卒業論文を提出して卒業できたら(笑)、東京五輪ではOBとして臨むオリンピックなのでワセダの誇りを持って、絶対に東京では金メダルを取ることができるようにこれからも頑張っていくので、応援よろしくお願いいたします。

――東京五輪を見据えているということですけれども、今一番近い将来の目標は何でしょうか

12月に世界短水路選手権という25メートルのプールで行われる世界大会があるので、今のところ400メートルの個人メドレーで2連覇しているので3連覇を目標にして、来年の世界水泳でも3連覇がかかっているのでそこをしっかりと獲得することです。東京五輪に向けて400メートル個人メドレーだけでなく、他の試合でも活躍したいと思っているので、種目数を増やしてタフな選手になっていきたいと思います。

加藤修也(スポ3=静岡・浜名)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

4×400メートルリレーに出場させていただきました、競走部に所属しております3年の加藤修也です。今回の結果としましては予選敗退という残念なものとなってしまいましたが、学部生のうちに出場できたという点に関しては光栄に思っています。競走部は今シーズン、日本選手権リレーや、長距離ですと全日本駅伝(全日本大学駅伝対校選手権)や箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝)も残っていますので、そちらにも注目をしていただけるとうれしいです。五輪を経験して、これからも頑張っていきますので応援よろしくお願いします。

――一番身近な目標としてはどのようなこと考えていますか

先程も言った日本選手権リレーという大会が今月末にありますので、そこで1位を目指して頑張りたいと思います。

――その先に見据えているものはどのようなものでしょうか

当然東京五輪は目指さなければいけない大会だと思っているので、一つの高い目標として今後やっていこうと思います。

坂井聖人(スポ3=福岡・柳川)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

こんばんは、競泳の坂井聖人です。たくさんの応援本当にありがとうございました。リオ五輪では銀メダルを獲得することができて非常にうれしく思います。しかし悔しさもあり、うれしさもある銀メダルだったと思います。この悔しさをバネに東京五輪ではしっかり金メダルを獲得できるように精進していきますので、これからも応援よろしくお願い致します。

――坂井選手は瀬戸選手に憧れて早大に入学したと伺ったのですが、一緒に練習する中で自分が変わっていったなと思うことはありますか

僕は瀬戸さんがリラックスしている部分を大学に入って初めて見たのですが、普段は非常に面白いです。練習している時は本当に真剣な顔で練習されているのですが、普段はちょっとリラックスしていてやっています。そこを僕も見習って、オンとオフの切り替えをちゃんとやりたいなということを学びました。

渡辺一平(スポ2=大分・佐伯鶴城)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

こんばんは、競泳の渡辺です。熱い応援ありがとうございました。五輪という、僕が水泳を始めた時からの夢である舞台に出場できたことはすごくうれしく思います。しかし準決勝では五輪新記録を樹立することができたんですが、結果的に決勝でそのタイムを出していれば金メダルを取れていたという、とても悔しい大会になりました。4年後には東京五輪があるので、五輪記録をまた僕が樹立して金メダル、というのを目標に4年間頑張っていきたいなと思います。これからも応援よろしくお願いします。

――準決勝で自分のタイムを見た時はどんなお気持ちでしか

僕の準決勝のレースの前に、先輩の坂井聖人さんの決勝のレースがあって、僕がちょうど水着を着替えている時にそのレースで、すごいアドレナリンが出ちゃって(笑)。ラスト流すこともできたんですけど、あれはこの人のおかげでもあり、この人のせいでもあります(笑)。

――ワセダの水泳部のエネルギーがうまく巡っていたということでしょうか

はい、そうだと思います。

渡部香生子(スポ2=東京・武蔵野)

――リオ五輪の報告などをお聞かせください

こんばんは、渡部香生子です。五輪ではたくさんの応援ありがとうございました。ロンドンに続き、準決勝敗退という悔しい結果に終わってしまいましたが、4年後の東京大会に向けて、また気持ちを新たに頑張っていきたいと思っています。これからも引き続き応援よろしくお願いします。

――2大会連続出場ということですが、ロンドンとリオではどんな違いが自分の中でありましたか

ロンドン五輪の時は、自分自身初めての国際大会ということで、周りがあまり分からないで、大会自身もあまりよく分からないまま終わってしまったんですが、リオは逆に去年の世界水泳で優勝したという結果が自分の中でうまく処理をし切れていなかったのもあると思います。ロンドンの時もリオの時も、自分にとってすごくこれからにつながるいい経験にはなったと思っています。

――まさに東京五輪につながるいい経験というものになるんでしょうね

はい。ロンドンとリオでポップ、ステップだと思って、東京では思い切りジャンプできるようにしっかり頑張りたいと思います。