スケート部

2016.06.12

練習取材 6月10日 ひょうご西宮アイスアリーナ

中塩美悠 練習取材&特別インタビュー

 昨年、一人のトップスケーターが早大の門をたたいた。高校日本一、ジュニアグランプリシリーズファイナリスト。輝かしい実績を残してきた中塩美悠(人通2=広島・ノートルダム清心)だが、歩んできたスケート人生は決して順風満帆とは言えない。故郷の広島県には通年リンクがなく、十分な練習時間を確保することはできなかった。強化選手に選ばれたのも、高校3年次のこと。同世代の選手に遅れを取りながらも、焦らず、自分のペースで成長を遂げてきた。そんな中塩は現在、早大の人間科学部通信教育課程(eスクール)で学びながら、実家を離れ兵庫県で日々汗を流している。今回は、新しい練習拠点である「ひょうご西宮アイスアリーナ」を訪れ、その現在地を探った。

※この取材は6月10日に行われたものです。

新天地

林コーチからアドバイスを受ける中塩。バンクーバー五輪銅メダリスト・高橋大輔らを指導した名コーチだ。

――現在はどのような練習をされているのですか

中塩 ここは土日にジャンプの練習などができないので、土日は貸し切りの時間だけ練習していて、あとは週一で休みがあります。自転車で通っているのですが、自転車で来て一般で滑って一回帰って夜に貸し切りに入るとか、朝やって一般で滑るとか、1日3時間くらいは滑っています。こっちに来てから重点的に始めたのがサークルの練習です。基本のサークルができていないことを先生が気にしてくださって、一般の時間は先生のレッスンでジャンプをしたあとに、毎回少しずつ難しくなってくのですがサークルを教えてもらっています。今はジャンプの改善とサークルを中心にやっています。

――西宮のリンクは通年リンクですが、その点で去年からの変化は感じますか

中塩 全然違いますね。高校生の頃までは学校があったので、終わったあとに2時間かけて岡山まで行って、1時間半滑ってまた2時間かけて帰る、という生活をしていました。ギリギリにリンクに着くのでアップとかもできないし、1時間半の練習も貸し切りだったりするのでスケーティングを中心にできないし、行ったら最低限のことだけやってすぐ帰るといった感じなんですよ。帰っても11時くらいになっていたので疲労は溜まるし、といった練習環境でした。去年は大学生になって、オンラインなので時間があるのでアメリカに行ったりしていたのですが、高校生までは大変でしたね。

――西宮に練習拠点を移した経緯を教えてください

中塩 本当はワセダのeスクールに入った理由は、海外を拠点にして練習するためだったのですが、去年行ったコロラドが私に合わないという部分がありました。パワースケーティング中心で腰を痛めてしまって、ケガも多くなってしまったので。でもせっかく大学に入ってスケート中心に生活できる環境になったし、女子選手は引退までが短いので、広島にとらわれる必要はないのかなと思ったんですよ。それで通年リンクがあるところに住もう、大学の期間はスケートを中心にやってみよう、と思って通年を探してここに来ました。

――新しく師事されている林祐輔コーチはどのようなコーチですか

中塩 こっちに来て初めて、「スケートってこういうものなんだ」と感じました。スケーティングとかジャンプとか全部今まで感覚で跳んでいて、手を前にしなくてはいけないとか基本的なことは分かっていたのですが、どこを注意しなくてはいけないとか、どういう仕組みで回転しているとか、そういった物理的なことまで教えていただいています。筋肉の使い方とかそういうことを理解できる歳になったということもあるのですが、今まで感覚でやっていたスケートが、今は考えながらできています。フィギュアの選手って、考える派の人と感じる派の人がいるらしくて、感覚で跳ぶ人と角度がどうとか考えて跳ぶ人がいるんですよ。私は結構考えて跳ぶタイプなので、私には合うコーチです。

――同じリンクで田中刑事選手(倉敷芸術科学大)が練習されていますが、田中選手の印象は

中塩 田中選手は元々岡山の選手で、知っているくらいの選手でしたがそんなに仲良くはありませんでした。社交性があまりなくて、最近やっと喋れるようになりました(笑)。すごく頑張り屋というか、すごく練習する選手です。私がこっちに来た時に、家からリンクまでの道とか全然分からなくて、そういうことも教えてくれたりして、意外と優しいなと思いました(笑)。面倒見もいい人で、練習も熱心で、彼もスケートを中心にやっているので一般の時も貸し切りの時も一緒に練習することが多いのですが、毎回貸し切りの前と後に走っていて、すごく真面目な人だなと思います。

――西宮の生活には慣れましたか

中塩 だいぶ慣れてきたのですが、今までの練習時間が少なすぎて、体力的にはまだまだ慣れないです。一人暮らしなのですが、こっちはお姉ちゃんがいるんですよ。だからたまにお母さんが来てくれるのですが、一人暮らしは大変です。

分岐点

 シニアデビューを果たした昨シーズンは、まさに激動の1年であった。早大への進学、アメリカでの練習、グランプリシリーズへの出場。確かな経験を積んだが、その分何度もカベにぶつかった。最大の試練は年末。ケガによる全日本選手権の棄権だ。スケートができなくなり、頭をよぎった『引退』の2文字。それでも、再び氷上へ戻ることを決意したのはなぜか。特別な1年を振り返っていただいた。

――早大に入学するに当たって、同郷の町田樹選手(2015年から早大大学院に進学)の影響はあったのですか

中塩 願書を出した時は知らなかったので、偶然です。

――町田さんはどのような存在ですか

中塩 歳も離れているしすごく仲が良いわけではないのですが、それこそ小さい頃から知っている選手で、海外の合宿とか練習とかでも何度もお世話になっています。そのチームの中にうまい人がいるとコーチのレベルもチームのレベルも上がるので、彼がいることによって秦先生(安曇、昨季まで師事していたコーチ)もチームのみんなも私も一緒にいろいろなことを学ぶことができました。町田選手は広島出身で、そういう環境の人がオリンピックに出たということで私にとっては希望でした。名古屋や大阪や東京の人たちが通年リンクで小さい頃からコツコツやっている中で私たちは違うので、半分諦めていたところがあったのですが、それでも大学に入ってアメリカに行ったり大阪に行ったりしてオリンピックに行けるんだということを教えてくれた尊敬する先輩です。

――eスクールではどのような勉強をしているのですか

中塩 人間環境科学科なのでジャンルは広いのですが、ペットを飼っているので動物について学んだり、いろいろ興味があることを選択できて幅が広いんですよ。将来の道が広がるように1つの分野に絞るのではなくて、スケートに必要な摂食障害とか身体的なものから、ドイツ近代史みたいなものまで、いろいろ取っています。

――羽生結弦選手(ANA)や今井遥選手(新潟県連)とは違い、eスクールに通いながらスケート部に入部した理由はなんですか

中塩 インカレ(日本学生氷上競技選手権)に出たいからです。彼らはインカレに出たいからワセダに入ったという感じではないと思うのですが、私は出られるなら出てみたかったので入りました。

――早大スケート部の選手とは関わりはあるのですか

中塩 山野井英未ちゃん(国教2=千葉・渋谷教育幕張)が同い年で同じ誕生日でワセダに入ったと聞いて、ブロックも西と東で違うのでそんなに友達ではなかったのですが、そういう縁があって英未ちゃんとはすごく仲がいいです。

――改めて、去年の夏アメリカで練習してみていかがでしたか

中塩 私は英語があまり得意ではなかったので、英語が少し喋れるようになったことであったり、ジェイソン・ブラウン選手とかマライア・ベル選手といった世界で戦う選手と一緒に練習できたのはすごくいい経験になりました。

――グランプリシリーズを経験して感じたことはありますか

中塩 グランプリシリーズは不完全燃焼でした。それでも12人の中に選ばれてその中で演技できたことはいい経験になったし、一度出させてもらったのでもう一回出たいな、リベンジしたいなという思いはあります。

――その後全日本選手権の棄権も経験し進退を迷ったこともあったとおっしゃっていましたが、それでもスケートを続けることを選んだ理由はなんですか

中塩 全日本に出られなくてスケートを休まざるを得なかったのですが、その間にこのまま辞めてもいいかなとも思ったんですよ。でも…なんでですかね(笑)。やっぱり跳べなくなるのは辛いけど、その分跳べた時の喜びが大きかったんですよ。今まで普通にできていたことができなくなって、それはすごく辛かったのですが、その分どうでもいいことでも少しできるようになったらうれしくて…単純なんで(笑)。スケートを辞めたらそういう喜びもなくなるし、大会の緊張感や試合での喜びもなくなってしまうと思って、それは嫌だなと思って続けようと思いました。

90分間の貸切練習で真剣な表情を見せる中塩

――スケーターの方々はスケーター同士で仲が良いイメージがありますが、特に仲の良い選手はどなたですか

中塩 岡山で同じチームだった岡本万柚子ちゃん(就実大)です。同じチームだったし、野辺山合宿でもずっと同じ部屋で小さい時から知っているので、幼馴染みたいな感じです。私は小さい時から強化選手ではなかったので、強化選手って上の存在だったのですが、強化になって合宿や試合で一緒になってから段々みんなと仲良くなって、今まで上の人というイメージだったのが意外とみんな人間味があって(笑)。加藤選手(利緒菜、中京大)はアメリカで一緒でアンソニー・リュウコーチだったので、仲良くなりました。あとは永井優香ちゃん(駒場学園高)とか新葉ちゃん(樋口、日本橋女学館高)とか、ファイナルで一緒だったメンバーで、海外試合でみんな仲良くなるのかなと思います。

――普段はスケーター同士でどのような話をしているのですか

中塩 普段はスケートの話もするのですが、どうでもいい話が多いですかね。でも、悩みを相談したりもします。一般の大学に通っているスポーツ選手ではない人には分からないスポーツ選手の悩みを共有できるし、同じ環境でフィギュアを熱心にやっている時に共通点が多いと思うんですよ。同じことを言われても、先輩や一緒に頑張っている人に相談する方が信じられるので、そういう話もします。

――一方で熱狂的なファンが多いフィギュアスケートですが、どのような印象をお持ちですか

中塩 私は小さい時からファンの方がいるような選手ではなかったので、最初は戸惑いもありました。「美悠ちゃん!」とか言って抱きついてきたりするんですよ(笑)。「誰?」みたいになるんですけど(笑)。でも、田中選手も町田選手もファンの方に優しくて、こういう風に接したらいいのだなということを学んでやっと最近接し方が分かってきた気がします。

――現在コラム(毎日新聞、『中塩美悠の青いバラ』)の連載をされていますが、元々文章を書くことはお好きだったのですか

中塩 いや、現代文の点数は最低でした(笑)。

――では、始めるきっかけは

中塩 毎日新聞の方がスケートファンで広島支部の方で、私の高校の先輩が毎日新聞に勤めていて、編集部の人に私を推薦してくださって書かせていただいたのがきっかけです。

――現在のマイブームはなんですか

中塩 新居になったので、こっちに来てからの思い出の写真を撮ってコルクボードに貼ってデコってるんですよ。それくらいかな(笑)。

――スケート以外に得意なスポーツはありますか

中塩 全くできないんですよ。高校の時に体育を取ったらと言われて、多分私の担任の先生は私が体育ができると思って単位が取りやすいから勧めたのだと思うのですが、テニスとかの球技が全くできなすぎて逆に危うかったです(笑)。

――好きなスケーター、目標としているスケーターはどなたですか

中塩 鈴木明子選手です。元々あっこ選手の滑りが好きで憧れていたのですが、コラムにも書いたように、全然喋ったこともないのに全日本でケガして出られなかった時にすぐに連絡をくださって。摂食障害になったりして全日本どころか氷にも立てなくなったような辛い経験をしている方だからこそ、そういう気持ちを分かってくださったのかなと思って、人間的にも憧れるしスケートも憧れます。30歳くらいまでスケートを続けられているので、大学生になって体力が落ちてきて、年齢のハードルを感じるようになった時に私なんかまだまだだなと思えるようになりました。そういう面も尊敬しています。

返り咲き

 通年リンクに拠点を移し、1日約3時間の練習時間を確保できるようになったという中塩。この日は、一般営業後の貸し切り練習に密着した。スケートクラブや関西の大学に所属する20人以上の選手が同時に練習を行う90分間。まずは音楽に合わせ、全員でスケーティングの基礎を固める。中盤からは曲かけを行い、あらゆる種類のジャンプに挑戦。この日は転倒が相次ぎまだまだ本調子ではないようだが、時折林コーチのアドバイスを受けながら調整を進めた。
20歳を迎える今シーズン、中塩は初心に戻ろうとしている。スケートの基本やジャンプの仕組みを学び、改めてその本質を知った。また新プログラムでは、王妃を演じた昨季の『シェヘラザード』から一転、今季は『普通の女の子』を表現する。現在は試行錯誤の途中だが、その完成が楽しみでならない。強化選手の座を取り戻し、再び世界で戦うため。インカレでワセダを日本一に導くため。そして、その先にある『喜び』を感じるため――。“遅咲きの青いバラ”は、これからも氷上で、強く咲き誇る。

ショートは昨季に引き続き『ゴファー・マンボ』。フリーでは新境地に挑む。

――ズバリ、今季の目標は

中塩 去年全日本に出られなくて強化から外されたので、もう一度強化に入れるように、全日本で12位以内というのがことしの目標です。

――「ことしはここを見て欲しい」という部分はどこですか

中塩 こっちに移ってきてスケーティングやジャンプを一から変えようとしているので、今までと違う成長した私を出せたらいいなと思います。フリーが振り付けの方も変わってジャンルも変わって、今までとは全然違う雰囲気のフリーになっているので、そこも見せられたらいいなと思います。

――今季カギを握るジャンプはどのジャンプですか

中塩 全部ですね。男子の選手なら4回転というような、これさえ降りればいいというジャンプはないので、全部を降りることが一番の近道だと思います。

――ことし20歳を迎えるということで、表現面や見せ方を変えようと意識していることはありますか

中塩 フリーを変えたのですが、普通大人になったら大人っぽい表現をするように心がけるところを、私は逆に素の自分を出してみようと思って、人間味のあるいろんな感情を持った女の子という設定にしました。気取って舞台でダンスしているような設定ではなく、普通に朝起きてご飯食べて、「きょうは何しようかな?」みたいな、普通の女の子を演じてみようと思いました。でもそれってすごく難しいんですよ。役にハマりきったらその役でできるのですが、人間は喜怒哀楽があるので、それを表現して日常生活を演じることって意外と難しいんです。だから、端から見たら「ちょっと子供っぽくなったな」くらいに思われるかもしれないですが、私は人間味のある表現をしたいなと思ってプログラムを作ったので、20歳になってわざとらしくない表現ができたらいいなと思います。

――ワセダの一員として戦うという意識はありますか

中塩 一回しか学校に行ったことがなくて、あまり早大生ということを大声で言えない部分はあります。「私通ってないんですよ」と思いながらも、世間の方から見たらワセダというだけで一目置かれるし、広島の方も応援してくれているので、そういう面ではプラスかなと思います。

――コラムのタイトルにもなっている『青いバラ』には、『夢かなう』という花言葉があります。中塩さんの夢はなんですか

中塩 私の夢は、昔は強化選手になることでした。それをかなえてしまって、夢を高く持つタイプではなくて、実現できなかったら辛いから実現できそうな夢を持ってしまうんですよね。だから、大きな夢を持ちたいのですが、身近な夢ばかりで目標みたいになってしまいます。でも、引退したあとのことも考えるようになって、私は試合でのメンタルが弱いので大学で心理学を学んでいるのですが、心理学にも興味があるので、スポーツ心理とかメンタルトレーナーとか、女性にしか分からないスポーツの悩みとかを学んで資格も取りたいと思っているし、小さい夢から大きい夢までたくさんあります。

――最後に、ファンの方々へのメッセージをお願いします

中塩 去年の全日本に出られなくて、ファンの方々からもいろいろな言葉をいただきました。「早く復帰して」とか「頑張って」とかそういった言葉で支えられた部分もあるので、それに恩返しするため、元気になって頑張っていますということを見せられるように、成長した自分を見せられるように頑張ります。

――ありがとうございました!

(取材・編集、記事、写真 川浪康太郎)

『がむしゃらに頑張る』という言葉を書いてくださいました!

◆中塩美悠(なかしお・みゆ)

1996(平8)年10月21日生まれ。153センチ。広島・ノートルダム清心高出身。人間科学部人間環境科学科通信教育課程2年。様々な年齢層の選手が練習しているこのリンクでは、大学生の中塩選手はお姉さん的存在。練習の前後、待合室で仲間と楽しそうに話す笑顔が印象的でした。