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2007年度卒業記念特集
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卒業記念特集(11) 下平芳弘
日本一
2005年(平17)6月3日。夕刻の国立競技場にまぶしい閃光が走った。
日本選手権第2日目、男子800メートル決勝。国内の海千山千の強者たちを退け、ラストスプリント勝負を制したのは、実績皆無の19歳、当時2年生の下平芳弘(スポ)だった。
無名の大学生が日本一。もちろん、客席にはどよめきの声がこだました。ただ、結果に驚いたのは本人も同じだった。当時の下平は、その年の4月に1分50秒のカベを突破したばかりの、いわば発展途上の選手。翌月の関東学生対校選手権(関カレ)を制して波に乗ってはいたが、自身にとっても「まさか優勝できるとは」という初夏のサプライズだったという。
「あの時は勢いだけで勝った」と下平。しかしこの大殊勲走を機に、下平は着実にトップ選手としての地歩を築き上げることとなる。直後の日本学生対校選手権(全カレ)を制し、学生のタイトルを総なめにすると、記録面でもコンスタントに40秒台をマークできるようになった。夏場には日の丸を付けてアジア選手権に出場し、決勝に残った。3年時の5月には、ゴールデンゲームズinのべおかで日本歴代9位のタイム(=当時、1分47秒92)を樹立。日本選手権で実感した「勢い」を本物に、長足の進歩を遂げていった。
そんな気鋭の若者の飛躍ぶりを見て、無論、周囲が黙っているはずがない。「勝って当たり前だよね」。期待を乗せた声が下平のもとへ届くようになる。折しも07年には世界選手権が大阪で地元開催されるため、停滞する日本にも開催国枠を活用して最低1人、選手を派遣できる権利が保証されていた。いつからか代表入りは、周囲そして下平自身の共通意識となっていた。
「国内無敗でいかなければいけない」。
誰もが1番で当然と考える中、見えない重圧、使命感…。結果を追求する強い気持ちとは裏腹に、にわかに歯車は狂い始める。3年時は前年の“無敵状態”とは少し違った。のべおか後の全カレは体調不良で8位、連覇を狙った日本選手権は準決勝敗退。歴代9位の華々しいタイムの陰で、大舞台で失速する光景があった。4年時のシーズン当初は深刻だった。「走りと感覚が全然合わない」状態に苦しみ、関カレも全カレも勝てなかった。それでも、「世界陸上もワセダ代表として狙いたい」。走れないのは、「自分の力が足りないからだ」とひたすら自身を追い込んだ。
世界選手権代表の懸かった、昨年6月の日本選手権。一時期のどん底状態を脱し、一縷の希望を持って予選のスタートラインに立った下平。しかし、待ち受けていたのは信じられない、信じたくない結末だった。ラスト1周、周りがギアを切り替える一方で、下平の足が伸びない。得意のラスト勝負を前に、先頭からずるずる離される。前を追おうとする意志は表情や動きに見て取れるのだが…。無残にも突きつけられた結果は、予選落ちだった。
「臨む前は、決勝でどう勝負しようかっていうことだけしか考えていなかったんですよね。なのにああいう結果で…」。決勝を制したのは、「下平さんに勝ちたいです」と慕ってくれていた横田(慶大)だった。
この瞬間、夢は潰えた。同じ学生として高め合ってきたライバルが、自分より上の舞台で戦う現実も目の当たりにした。すべてをのみ込んだ上で、下平は新境地に達した。
「2年生の時から、日本ではどのレースでもどんな状況でも1番を取らなきゃいけないとか、部の中でも、日本選手権や世界大会で走ってる姿を見せなきゃいけないという思いが自分の中に強くあったんですけど、それがゼロに戻ったというか。もう一度初心に戻って、一から純粋に陸上を頑張っていきたいな、と」。
卒業後は、中距離の名門・富士通で再起を目指す。視線の先には北京五輪もあるが、原点の真っ白な気持ちはもう忘れない。
無心に走った3年前の日本選手権。エンジのWは下平の胸で、日本一輝いた。
(石川祥子)
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