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wasedasports.com >  2005年度卒業記念特集 >  高岡弘


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 卒業記念特集(24) 高岡弘 



 ワセダの記憶に名を刻んだ男

高岡弘  記録も凄いがそれ以上に記憶に残るランナー。去年の箱根駅伝。シード権を逃し、両手を合わせたままゴールテープを切る選手の姿を覚えている人も多いのではないだろうか。また主将である弟、その3歳年上の兄が2年後輩として、同じ大学のチームに所属するという異色の兄弟ランナーとして記憶している人も多いだろう。その男こそ今年度駅伝主将高岡弘(人)である。

 「家族全員が早稲田ファンなんですよ」。という高岡が、早稲田でエンジのユニフォームを身にまとうことは当然の成り行きだった。2年の時、小学生の時からの憧れであり、陸上を始めたきっかけでもある箱根路を初めて踏んだ。初めての箱根は高岡自身6区の部内記録を更新するも、チームはシード権を逃し納得のいく結果を残せなかった。この時の走りに触発され兄・高岡稔(二文2)は、通っていた大学を辞め、一般入試を経てワセダの競走部へ入部。一風変わった兄弟の二人三脚が始まったのもここからだ。

 前年の雪辱を期すため挑んだ2度目の箱根。高岡は主力の一人として10区に起用された。高岡がタスキを受け取った時はチーム11位。前にいる1人を抜けばシード権を獲得できる順位であった。高岡はひたすら前を見て走った。しかし、その差はなかなか縮まらない。区間記録を更新しながらも、わずか22秒という壁が立ちはだかり、シード権には届かなかった。「ごめん」と言いながら、ゴールに倒れこむシーンが全国に流れた。

 駅伝主将として「全員駅伝」という目標を掲げ臨んだ今シーズン。「情けない」という全日本大学選手権予選落ち。なかなか上がらないチームの状態。「このままではいけない。」という焦りと主将としてのプレッシャーが高岡を襲う。そのような暗中模索の状態から開放されたのは秋以降からだった。箱根予選会を2位で通過し、チームは目標である「3番以内」に向け順調な仕上がりを見せた。しかし、箱根本番直前に、主力の故障が相次いだ。高岡も予定ではなかった5区を走るなど、想定外の出来事が相次ぎ、結果は13位。シード権を獲得できず、3度目の正直とはならなかった。ゴール先には涙を流す高岡兄弟の姿があった。

 卒業後、テレビ局に一般就職をし、競技の第一線から退く高岡。「後輩になにかを感じてほしい。」と2月12日の東京国際マラソンに出場。エンジのユニフォームで走る最初で最後のフルマラソンだった。完走はならなかったが、主将のラストランは、高岡のワセダ魂を後輩だけでなく、多くの人に伝えることができたはずだ。ワセダに高岡という駅伝主将がいたこと。それは人々の記憶に長く刻み続けられるだろう。

(山田豊) 
◆高岡弘インタビュー

高岡弘  ―2月に行われた東京国際マラソンがエンジを着ての最後の走りということになりましたが、走ることは前々から決めていらっしゃったんですか
 いえ、それは箱根駅伝の直後で。考えて考えて、やはり箱根駅伝で何にも伝えられなかったっていうのがあったんで。みんなはすごく色々感じたよって言ってくれるんですけど、自分の中でやっぱり踏ん切りがつかなかったんで。最初は別にエンジとかじゃなくて一個人として走ろうって思ってて、こっそり出ようと思ってたんですけど、そしたら監督に、おまえエンジで走ってこいって言われて。最後くらいテレビにも映るだろうから、自分の思うように走ってこいって。途中棄権してしまったんで申し訳ない気持ちがあったんですけど、あの途中棄権にも色々あって。

 ―色々なことっていうのは
 それは、本当はついて行かないつもりだったんです。自分の記録を残そうと思ってて。でも走り始めたら、競技者としてやってきて、自分との戦いじゃなくてやっぱり人との戦いっていうのがすごく蘇ってしまって。前にいれば追いたいっていう気持ちになってしまって。それもあの日は同じ名前の高岡さん、あの人は陸上界にとっては神様みたいな存在で、その他にもエチオピアの選手とかこれは一生走れないだろうっていう方がいっぱい来られてて。そんな状況でなんでついて行かないんだろうだろうって思ったら、自然ともう国立出たときには前に食いついてて、結果的には前についていったことは良かったと思うんですよ。ただやっぱり練習不足ですね。最後まで走り切れなかったのは。

 ―走り終わった時のお気持ちは
 マラソンもそうだけど人生もそうで、距離が伸びていくほどきつくなって、要求されることが大きくなれば難しくなるっていうのが今回のマラソンで良く分かったんで。今回は投げ出してしまう形になったけど、社会に出たときに絶対に投げ出さないっていう気持ちになりました。

 ―それではこの1年間のことをお伺いしたいのですが、キャプテンをやっていて一番難しかったことは何ですか
 チームのことと、自分の競技の両立、この2つの点をどううまく絡めていけるかというのがすごく難しかったですね。

 ―それはどのように両立されたんでしょうか
 そうですね、どちらかというと両立と言うよりも、同学年と、周りのスタッフというかマネージャー、監督をはじめとする周りの人達と後輩が、すごくサポートというか、自律してやってくれていたんで。自分としては最初はけっこうもうこれやらないといけないあれやらないといけないって一人でやろうとしてたんですけど、そういったところが無くなってきてだいぶ助けられたんで。自然と両立できていってたなっていうのは実感しましたね。

―高岡さんは「全員駅伝」という目標を掲げて来たわけですが、これはいつ頃から意識し始めたんですか
特に意識し出したのは夏くらいからでしょうかね。

 ―夏に何かきっかけがあったのですか
 全日本大学駅伝の予選に落ちてしまって。自分も4年生だったんでけっこうその前の4月前後に就職活動をやっていたんで、そういったことで後輩に迷惑をかけたってという気持ちが強かったのと、自分たちが抜けたら、やはり後輩は目標を見失ってしまうこともあるし、逆に自分たちは後輩がいなかったら支えていこうという気持ちも起こらないし。こういったところからやはり全員でなんとかしないといけないなっていう気持ちに自然となったので。それから全員駅伝っていうのを菅平合宿くらいから意識し始めてやろうっていう風に。

 ―その意識はすぐにチームに伝わりましたか
 それはなかなか伝わらなかったんですけど。ただ、何を言ってもしょうがないなって、とりあえずやることをやらないといけないなっていうことを考えていて。それなんで練習をしてる中で、そういう気持ちの面で引っ張っていくことで、やはり後輩もそういった事を分かってきたというか。一人練習で遅れたりすると、それがもし予選会だったら、箱根駅伝だったらということを考えた時に、どうするんだっていう気持ちになったんで。

 ―就任前、こんなキャプテンになりたいという理想像などはありましたか
 理想像と言うよりも、自分はどちらかというと元々強く言えないタイプなんで。上に立つ以上、強く言えないっていうことはやはりマイナスになる面もあるんですけど、逆にプラスになる面を考えて。どうやって後輩を自分のもとにまず集めていけるか、それによって後輩が何かをつかんでやっていけるかっていうようなことを考えていましたね。主体はやはり上級生なんだっていうチーム作りを目指したのと、理想像はやはり歴代のキャプテンみなさんが理想像であったので。その方々の良いとこ取りで、どういうことをしていったらいいかっていうところに着目してやっていましたね。

 ―今年の箱根は13位という結果でしたが、今はこの結果をどうとらえていますか
 終わったことを言ってももう僕は競技者として戻れるわけではないので。あれから2ヶ月くらい経ってみて、やはりあの時こうしておけば良かったなっていうのは実際いろいろ浮かぶんですけど、それは話すときりがないので…。結果に関してはちょっと1年生を多く使ってしまったっていうことですね。もちろん1年生は走りたいし。ただやはり上級生主体で箱根駅伝に臨みたかったけれども、そうではなかった。しかも直前でケガ人が多く出てしまったりして。それは自分の管理能力の無さが露呈してしまった部分だったかなって思います。

 ―高岡選手自身は満足のいく走りはできましたか
 いや〜、出来なかったですね。出来なかったというか、前を追うことに夢中だったので、満足したかしないかじゃなくて、チームをどうやって上げるかしか考えていなかったので、結果論としては満足はしていないです。

 ―高岡選手は尊敬する選手として小林雅幸選手の名前を挙げていらっしゃいましたが、小林選手も山登りを走りましたよね
 そうですね。雅幸さんは自分が小6か中1くらいの時の山登りのスペシャリストで、あの方を目指して、早稲田を目指してたんで。自分も山登りしたいなって思ってたんですけど、1年の時に連れてってもらって全然走れなくって「お前はやっぱり下りだな」って言われて、それから下りを走るようになったんですけど。やはり今回は最後だし、山登りを走りたかったのが現実になって、自分の中では嬉しかったっていうのがありますね。結果とは別に。

 ―どんな思いで走っていましたか
 もう前が見えない状況だったので、前をひたすら追うという気持ちと、あとはもう本当に去年みたいな気持ちは味わいたくないって気持ちでずっと走っていましたね。

 ―その時には嬉しいっていう気持ちは感じずに?
 それはですね、応援の方がすごかったんですよ。それに関してはすごい嬉しかったんですよ。もう本当に最初から最後まで鳥肌が立ちっぱなしみたいな感じで。スタートしてからすっと。それも9番でもらったのにも関わらず、ワセダコールがすごかったり、ワセダ関係者じゃなくても自分の名前を呼んでくれたり、ワセダの名前を連呼してくれたりっていう人がすごく多かったので。特にあの区間は応援してくれる人の人数が半端じゃないので、本当に嬉しかったですね。

 ―3年次のゴールシーンは全国で有名になったと思うんですが、それに関しては何かありますか
 あれに関しては結果的にはすごく残念だったんですけど、日本中の方に見て頂いて応援のメッセージとか色々届いたりして、個人的にはすごく嬉しかったっていうのがあります。でもそれではやはりチームっていうものは引っ張っていけないっていうのも反面ありましたね。

高岡弘  ―その時有名になったことでのプレッシャーはありましたか
 全くないですね。有名になったっていう気持ちにもならなかったですし、実際自分たちはいくらテレビに写っても結果が数字で出てしまうんで。その数字をシビアに見る方はやっぱり多いので。もちろんテレビの取材や新聞の取材を受けさせて頂いたりっていうのは、ワセダを応援してくださる方への気持ちを伝えるっていう手段でもあったので、それに関しては有名になったというよりも声をかけて頂いたりということが嬉しかったですね。

 ―ちょっと気の早い話になってしまうのですが、来年の箱根はどのように見ていますか
 また予選会からになってしまったし、僕的には藤森憲秀、あいつが中心となって今度の箱根は頑張って欲しいですね。低学年で速い子がいるんですけど、あの子はもちろん伸びないといけないし、どんどん世界に行って欲しいと思ってるんですけど。でもそれ以上にやはり箱根駅伝っていうのは上級生で作るものだっていうのを改めて僕は再認識したので、苦しんでると思うんですけど、憲秀君には頑張って欲しいって気持ちがあります。

 ―チームの後輩へメッセージはありますか
 特に最上級生の4年生はチームを引っ張って行かないといけなくて、これから苦しむこともあると思うし、すでに苦しんでいるかも知れないんですけど、最終的な目標が絶対見えていれば、そこを目指すことによってそういったことも絶対に乗り越えていけるんで。ひるむことなく頑張ってくださいってことを言いたいですね。

 ―高岡さんにとって箱根とはなんでしょうか
 最初は夢だったんですけど、もう出てしまってからは、自分の人生においての糧となるものになったかなっていうのは、結果的にありますね。たかが箱根駅伝、されど箱根駅伝ってよく言うんですけど、本当にその通りで。たかが関東の学生が集まった駅伝なんですけど、それを完成させていくまでに色んなドラマが自分の中であったので、そういうのが結果以上に経験として残ったかなっていう。本当に糧、ですね。

 ―卒業後も競技は続けていかれますか
 就職先の熊本はけっこう陸上が盛んなところで、合宿とかも行われるところで。クラブチームがあるんでそこに所属して、一般ランナーよりはちょっと上のランクで走ってみたいなって思ってるんですけど。そういう風に思えたのはやっぱり東京国際マラソンですね。

 ―じゃあ続けると決めたのは本当に最近なんですね
 そうですね、そこの東京国際マラソンにちょうど熊本の人が来られていて、最後に声をかけて頂いて。これからは楽しい陸上をやればいいじゃないかって言われて。そこに入る予定ではあるんですよ。箱根終わって走ることは本当にやめようと思っていたんですけど、やっぱりやめきれない自分がいたんで。

 ―引退の際には渡辺監督から何か言葉をかけられましたか
 2月の始めにお会いして、その時によく頑張ったなって言ってくださいましたね。

 ―以前の取材の時に兄弟でとても仲がいいということをお聞きしましたが、最近もお2人で出かけたりはするんですか
 最近は兄貴の方が練習で忙しくて、一緒に出かけると言うことは特にないんですけど。あ、風呂行ったりはしますね。スーパー銭湯とか(笑)

 ―早稲田での4年間を振り返ってみてどうでしたか
 すごく自主自立を重んじるというか。自分に任せられる部だなって思いましたね。自分がやらなきゃどうにもならないし、結果的にチームのためにもならないっていうのが分かったんで、社会に出たときにも上から言われて働くんじゃなくて自分から働くっていうのが重要だなって言うを分からせてくれたのが、早稲大学だと思っています。

 ―高岡さんにとってWの文字を背負うことはどのような意味がありましたか
 そうですね、先輩方が築いてきてくれたものもすごい大きいとおもうんですけど、これからWを背負う奴らに対してのメッセージというか、そういう人たちにとって、受け継いでもらう為の走りをしないといけないなっていう。そういう気持ちになるWですね。

 ―最後に、高岡さんにとって陸上とは
 人生のスタートラインだったかなって思いますね。物心付いたときには箱根駅伝があって、それがきっかけにこういう今の人生を歩んでいる自分がいるんで。それが本当にスタートラインかなって。







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