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the truth of 219.7KM 〜箱根路の真実〜
【Vol.8】三輪真之選手
猛追してくる駒大にぐんぐん差を詰められたとき、たすきを受け取った。裏2区とも呼ばれ、正念場である9区で駒大の実力派・堺と激しいトップ争いを演じた三輪真之(人3)。忍び寄る駒大に抜かれてしまうが、そのとき、三輪は。
――9区を走った経緯は
消去法でした。竹澤(健介=スポ3)の故障に続き、本多(浩隆=スポ4)さん、朝日(嗣也=教3)の離脱が重なり、9区を走る予定だった尾崎(貴宏=教2)が1区に行かざるを得なくなったんです。僕は最初8区や7区あたりを、ということでしたが。
――ではかなりぎりぎりになって走ることを聞いたのですか
もうほんと直前です。3日前くらいです。
――その瞬間どう感じましたか
9区は復路のエース区間ですから、僕でいいのかなと正直思いました。ただそういうところを任せてくれたのは信頼されているということなのかと感じました。それなりの結果を出さなきゃいけないなぁと思ったのを覚えています。
――往路の躍進を見て勇気付けられましたか
駒野(亮太駅伝主将=教4)さんのゴールすごかったですよね。僕はでも駒野さんだけではなくて…往路全員の走りに、特に3区の竹澤の走りに感動しました。すごい足が痛くって何回も止まろうと思った、という話を終わってから(竹澤に)聞きまして。それでもたすきをつなごうと思ったんだ、と。あれを見て、頑張ろう、頑張らなくてはと思いました。
――それは往路の夜に竹澤選手と話した中で?
そう、2日の夜に明日についてということで竹澤が電話をくれて。そこでちょっと話しました。
――当日の朝、駒野選手から声をかけられたようですが
ウォームアップが終わり、準備する直前に、駒野さんと下平(芳弘主将=スポ4)さん二人で中継所に来てくれて。「やることやってきたんやから自信持っていけ」、「抜かれてもそんなに気にするな」、「お前でだめならチームもだめということや」などと言ってくれました。
――やはり力になりましたか
そうですね。1番、1番、という重荷がふっと抜けたような気がしました。
――そこまでトップでたすきがつながれていたことで、逆にプレッシャーは大きかったですか
ええ。正直、7、8区で駒大が出て来るんじゃないかなと最初は予想していて、そしたら石橋(洋三=スポ4)さんや飯塚(淳司=スポ4)さんが粘ってくださったのでずっと1番で来て、自分もやっぱり1番で神澤(陽一=理工2)に渡したいと思っていましたから。
――実際走ったときのことをうかがいます。当初としてはどのような作戦でいこうとしましたか
直前に言われたのは、最初の下りを使って駒大は一気に追いついてくるだろうから、追いつかれてからが勝負だ、追いつかれても後ろについてできるだけ粘れ、ということです。
――堺選手という強いランナーと対戦することになったわけですが
持ちタイムや実績では向こうが数段上なのは分かっていたし、どうしようもないことなので。でも僕は、駅伝は「持ちタイムじゃない、気持ちだ!」と思ってますから、粘ろうと思い走りました。ただ下りが苦手で…権太坂あたりで離されすぎました。直線で詰めようとは思ったのですが、やっぱり下りで離されたのが予想以上に大きかったです。
――9区に急きょ決まったということは影響しましたか
設定タイムよりは早く走れたので、特別コースに無理があったとかはないですが…堺さんの実力がやはり上だったということです。もう少し粘れれば…という悔いはあります。
――ご自身の持ち味であるヒップホップ走法は機能しましたか
箱根では封印しました。ヒップホップ走法というのは気持ちの上でのモチベーションの上げ方というか、「俺は絶対負けない」みたいな強い魂を持って走るものなのですが、駅伝は(チームの)みんなの顔のほうが先に浮かんできますから。あの日はみんなの顔をずっと思い浮かべて走りました。
――途中渡辺康幸監督(平8人卒)や相楽豊コーチ(平15人卒)から何か指示はありましたか?
1キロ3分ペースでずっといけ、と。途中離されたのですが、ペースは変えず、焦らず頑張れ。との指示でした。
――堺選手に離されたときはどんなお気持ちでしたか
1秒でも縮めたいなと思ってひたすら走り続けました。やっぱり前の選手が見える位置で神澤にたすきをつなぎたかったですから。
――結局2位で神澤選手につないだわけですが、9区全体を振り返ってご自身で何点くらいをつけられますか
目標タイムよりは早く走れたのですが、粘れなかったので40点くらいです。
――チームとしては総合2位という結果ですがこちらは
出来過ぎたと思います。でもこれで満足とか絶対してはいけないと僕は思っていて。調子乗って痛い目見たくないです。気を引き締めて次からもやっていかないとまただめになっちゃう。どんどん上を狙っていくのみだと思います。
――今回「竹澤選手の故障により早大はまとまった」との見方もありますがこれに関して三輪選手はどのように思いますか
僕は故障したからまとまったという考え方自体はあまり好きではないです。ただ駅伝はそれまで竹澤に頼りっぱなしでした。竹澤が故障してそのことにあらためて気付いたというのは事実だと思います。一人じゃなくてみんなで走らなきゃ、と全員が気付かされたきっかけではあると思います。
――そうして好成績に終わったわけですが、三輪選手、ご自身は貢献できたと感じていますか
まったく貢献できてないと思います。抜かされた時点でチームには迷惑をかけたということになります。
――9区において区間6位という成績は評価されるのでは
いえ。粘れなかったので。一切貢献できたとは思えません。
――しかし1年次の箱根と比べたら成績がまったく違いますが、具体的にどんなところが違うと思いますか
スタートラインに立ったときの気持ちがまったく違います。1年時は、何がなんだか分からない状態。今年はもう少し冷静でした。実力がついたという自信も少しはついたと思います。1年のときは自分しか見えてなくって「走りゃいいんや!」みたいな。今年はチームやたすきの重みがより分かった上で走りましたから。
――そのような成長は今年1年通して実感できていましたか
はい。学年が3年になって下を指導していかなくてはならない立場になって、見えてきたものがいっぱいありました。
――そんな三輪選手ですがここにくるまでに辞めようと思ったこともあったとうかがいましたが
ありました。1年の箱根が終わったあとの1週間くらいは家から出られなくなりまして。自分の存在意義はない、むしろチームの中で自分という存在がマイナスになるなら、いっそ辞めてしまえと本気で考えました。
――どうやって乗り越えられたのでしょうか
そのときも竹澤からかけてもらった言葉のおかげです。「お前が辞めて済む問題じゃねぇ。お前がチームに迷惑かけたと思っているんなら、それならなおさらお前が辞めれば解決する問題じゃないはずだ、例えもし辞めるんなら、結果出してから辞めろ」と言われました。
――かなりきつい言い方でしたか
そうですね、そのときはぐさっと来ましたけど、その言葉があるから今の自分があると今は本気で思っています。
――そして2年後こうしてまた箱根路に帰ってきて、周囲からは喜ばれたのではないですか
みんな喜んでくれますよ。でもだからこそ、その分悔しいです。抜かれたのになぁ、と思う自分がいます。
――三輪選手にとって竹澤選手の存在はとても大きいようですね
今の僕があるのはすべてあいつのおかげです。竹澤は厳しいことをがんがん言うけど、駅伝はそれほどシビアなものなので、甘ったれたことを言っていたら勝てないですから。命がけですから。
――相思相愛の瀬古利彦さん(昭55教卒)からは何かお話はありましたか
自信持ってけ!と言っていただきました。終わったあとは話す機会はなかったですが。
――最後に今年の目標を教えていただけますか
とうとう4年になり、下しかいなくなるので気を引き締める。竹澤に負担かけたくないです! 具体的には、三大駅伝制覇します!
(取材・編集 渡邉りさ)
◆三輪真之(みわ・まさゆき)
1986年(昭61)4月12日生まれのB型。167センチ、53キロ。石川・星稜高出身。
08年箱根駅伝 9区 1時間10分50秒(6位)
5000m:14分31秒83
10000m:29分44秒86
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