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競走部

2022.05.13

【連載】関カレ直前×新体制特集『新風』 PART2 新入生特集② 障害

 今回の対談は障害ブロックに新しく入った2人。110メートル障害(トッパー)を専門とし、昨年のインターハイ優勝、日本陸上競技連盟の次世代アスリート強化育成プログラム「ダイヤモンドアスリート」認定選手にも選ばれている西徹朗(スポ1=愛知・名古屋)と、400メートル障害(ヨンパー)でインターハイ4位、51秒台の自己記録を持つ盛岡優喜(スポ1=千葉・八千代松蔭)。2人はどのような思いで入学し、これからどういった結果を目指すのか。それぞれの信念に迫る。

※この取材は4月24日に行われたものです。

早稲田大学に入学して

――まず競技以外のことからお聞きします。学校生活や、所沢での生活には慣れましたか

西 そうですね、競走部の寮に来てから1カ月ほど経ちましたが、親元を離れて全部1人でやるというわけではないですけど、自分で洗濯をしたり、寮内の掃除はみんなでやったりしています。そういった寮の中での生活、親元を離れてみんなで生活するというのにはだいぶ慣れてきました。

――寮生活は初めてですか

西 はい。

――お二人とも初めてですか

盛岡 そうです。

――盛岡選手は寮生活には慣れましたか

盛岡 そうですね、自分も寮に来て1か月くらい経ちましたが、先輩たちがしっかり優しく教えてくれたり、同級生で協力し合って過ごす生活ができているので、だいぶ慣れてはきました。

――大学で面白い授業はありますか

盛岡 自分は「基礎解剖学」がおもしろいなと思っています。どこにどんな筋肉が通っているかとか、自分のやっているスポーツに関連して、痛いところがどこの筋肉なのかというのがその授業で学べるので、自分はその授業がおもしろいと思っています。

――スポーツ科学を学びたくてスポーツ科学部に入学されたのですか

盛岡 そうですね。最初は、自分は放射線技師になりたいと思っていたりしたので、人体とかについてすごく学びたいなと思っていました。

――西選手はおもしろい授業はありますか

西 僕がとっていておもしろいなと思った授業は「スポーツの生理学入門」です。運動生理学やスポーツ生理学の入門として位置づけられてる授業なんですけど、人体がどういう仕組みで動いているか、人体の反応がどういうものかというのを基礎として、1年生でも分かりやすく簡単に教えてくださるという対面の授業です。毎週授業を受けて自分が今までもってなかったような新しい知識や、自分の日常生活や競技生活に応用できそうなところがいくつものあるなと思いました。

――授業は週にどれくらい入っていますか、結構忙しいですか

盛岡 自分は今回23単位分とっています。

――上限くらいですか

盛岡 そうですね、だいたい上限くらい今期はとりました。

――毎日対面があるという感じですか

盛岡 月曜日以外は対面があるかたちです。

――では月曜日は完全にオフですか

盛岡 はい、月曜日はオフになっています。

――西選手はいかがですか

西 僕も結構オンデマンをド多めにとっているので毎日対面というわけではないですが、火曜日から木曜日まで対面の授業を入れています。ソフトテニスの授業をとろうとして、選外になってしまいました。だからそこまでぎゅうぎゅうに授業を詰めているとか、授業がいっぱいあるから練習に参加できないという状況になることはなるべく避けるようにしています。その中でも自分がおもしろいなと思ったり必要だなって思ったりした授業をとっています。

――2人とも寮生活が初ということですが、早起きは得意ですか

盛岡 自分はものすごく苦手です。

――そうなんですね、今は何とか耐えているという感じですか

盛岡 自分は目覚ましをアップルウォッチと携帯で二重にかけて、5分前と起きる時間に2回かけて起きるようには意識しています。

――2回、2つでかけたら起きられますか

盛岡 そうですね、腕に振動があるので、それでだいぶ起きれるかなって感じです。

――西選手は早起きはどうですか

西 得意か苦手かで言ったら、どっちかというと得意な方に入るのかもしれないです。高校時代も朝練があって、そんなに早くはないですけど、毎日6時に起きていました。試合などで遠征に行くと早く起きるというのが結構多かったので、そういうのもあり意外と早く起きることや自分でアラームかけて起きるというのにはそれなりに慣れているかなと思っています。

――仲良い同期はいますか

西、盛岡 全員です。

西 寮に住んでいる寮生と寮外の同期も全体的に、みんな仲がいいです。寮内は一緒に生活していることもあって結構仲いいかなと思います。

――1年生は結構人数が多いですが、まとまってみんなで仲良くという感じですか

盛岡 そうですね、はい。みんなわちゃわちゃして楽しく話しています。

西 まだあんまり時間がないので、みんなで遊びに行くというのはできてないですが、時間ができたり、シーズンが終わったりしたらみんなで一緒に遊びに行ってみたいなと思っています。

――仲のいい先輩はいますか

西 僕は1個上の同じく110メートルハードルをやられている池田海(スポ2=愛媛・松山北)先輩とは高校の時から一緒に走ったこともありました。また、同じ110メートルハードルということでいろいろ刺激をもらったり、教えていただいたりして、すごく尊敬しています。いろいろと話しかけてもらっているので、仲いいというかいちばん身近な先輩です。

盛岡 自分もその流れで言うとヨンパーの先輩たちがすごいアドバイスをしてくださり、自分より速いタイムで走るのですごく憧れとか尊敬を持っています。競技としての関わりが深いのかなと思っています。

――西という苗字が西裕大(教3=埼玉・栄東)選手とかぶっていますが、なんと呼ばれていますか

西 大前(祐介、平17人卒=東京・本郷)監督から下の名前の徹朗と呼ばれていたりとか、にしてつと略されたり、いろいろな呼び方をされますが、基本的に同期の中では西と呼ばれることが多いですね。

――誰が呼ばれているんだろうと迷ったりはしないですか

西 その時は僕は呼ばれていないものだと、先輩が呼ばれているものだと考えています。それでもし、西裕大さんが何も反応ないと、あ、僕が呼ばれているのかなと。

――盛岡選手は呼び分けていますか

盛岡 西さんと西という感じですね。

西 長距離に伊藤さんがいっぱいいるので、大変そうだなと思っています(笑)。


「自分がやっている競技で強い大学に行きたいという気持ちが強かった」(盛岡)

質問に答える盛岡

――早稲田を志した理由を教えてください

盛岡 (高校の)顧問の先生が大学で続けるならトップだ、とずっとおっしゃっていて、自分が400メートルハードルを始めたときに強い大学というので知ったのが、また強い大学として認識したのも早稲田大学でした。自分がやっている競技で強い大学に行きたいという気持ちが強かったので早稲田大学を志しました。

――ヨンパーが強いという環境がメインの理由でしたか

盛岡 そうですね、ヨンパーが強い(というのがメインの理由でした)。

――西選手はいかがですか

西 僕がまず早稲田を志望した理由が、早稲田大学のスポーツ科学部、そこでスポーツに関する勉強ができるということがやはりいちばん大きかったです。僕は高校を決めるときも大学を決めるときも、陸上だけにならないようにということはすごく意識していました。早稲田大学は伝統のある学校ですし、ここ早稲田大学スポーツ科学部でしっかり研究できる環境や、スポーツを学べる環境というのがあります。その中で陸上と学問、勉強、スポーツを学ぶことを高いレベルで両立できる大学だなと思いました。競技面でも自分で考える練習が多く、今トッパーは人数が少ないですが、与えられたメニューをこなすだけじゃなくて自分たちで考えることができます。OBとして野本周成(平30スポ卒=現愛媛陸協)さんという方がいらっしゃって、今練習に来てくださっているのですが、速い人もいらっしゃいますし、1個上に池田海先輩がいるというのもすごく大きいことです。一緒に練習していける仲間というか先輩、相手がいることはすごく大きいと思います。早稲田大学は陸上自体も強いのでそういう環境で自分を高めていきたいなと思ったからです。

――入る前の池田選手のイメージと今実際に直接先輩後輩になって変わったことはありますか

西 高校時代から池田さんは背が高くてごつくて、真面目な人だというのは思っていましたし、怖い人なのかなというのは思っていました。でも全然そうじゃなくて、優しく喋ってくれます。結構かわいいものが好きという、Twitterのアイコンも猫ですし、すごく親しみやすい先輩だなと思っています。

――実際に早稲田に入ってみて練習などの面で高校との違いはありますか

盛岡 高校がひたすら走るとういうか、走る練習が多い学校だったのですが、早稲田に来て量より質という練習に変わったというのと、自分の走力の無さを痛感したなという感じです。

――そこから今改善しようとしている点などはありますか

盛岡 自分は400を走っているときに、最後になると身体が後傾してしまって、左右に振ってしまうという癖があるので、最後まで身体の体幹を締めて前傾姿勢になりながら走るようには意識しています。

――西選手は高校との違いは感じていますか

西 高校だと練習、走るメニューにしろ補強にしろ先生からふられたメニューをみんなで一緒にこなすということが多かったのですが、大学ではだいたい何をやるというのはありますが、そこがメインではなく全員でやる種目をやってその後また追加で走ったり、メインで走る種目も自分たちで考えてやったりします。自分で必要なメニューを取捨選択し、それを考えてやるということそうです。また、ウエイトトレーニングのフィジカル系の補強を結構やっていて、自分は高校生の時にあまりそういう補強をしてこなかったので、そういうところが弱いのかなと思っています。高校生でも補強をやることありましたが、決まった種目をみんなでやることくらいしかやってなかったので、補強に関しても自分で必要なことを選んでそれを実行するという、すごく考えるというプロセスが増えたかなと思っています。

――補強やトレーニングで走りに生きてきたなという感覚はありますか

西 僕は入学する前に腰を軽く痛めていて、まずそこを治すというか再発しないようにするために体幹系の補強を多めしたのですが、走るときに身体が安定するようになり、パワーの発揮もだいぶ改善してきたかなと思っています。

――今練習は西選手は池田海選手と、盛岡選手はヨンパーの先輩方と練習をしているという感じですか

盛岡 そうですね、走るメニューが短短と短長に分かれて練習が組み立てられているのですが、走るメニューは短長の選手たちとやって、その後に必要な競技の練習をヨンパーの先輩たちとやっています。

――盛岡選手は高校時代トッパーもやられていたと思うのですが、大学はヨンパーメインになりますか

盛岡 そうですね、ヨンパーメインでというかたちになります。機会があればトッパーもやりたいなと思っています。

西 早慶戦(早慶対抗競技会)で出る可能性があるみたいなことを誰かが。後藤(颯汰、スポ4=長崎・五島)さんとの勝負があるっていうのを誰かが言っていました(笑)。

盛岡 そうですね、機会があればやりたいですね(笑)。


今までの競技生活について

質問に答える西

――陸上を始めたきっかけを教えてください

盛岡 自分は中学受験をして中学校に入ったのですが、中学受験したきっかけがいちばん最初はサッカーをやりたいという理由でした。そこからやりたいことが変わって、レスリング部に入りたいと思って。それでレスリング部に入りたいと親に相談したのですが、耳がつぶれるからやめなさいと言われて。その時に部活の体験期間が終わってしまっていて、何に入ろうかとなった時に走ることがどちらかというと好きな部類だったので、じゃあ陸上部に入ろうと思って、陸上部に入りました。走ること好きだからという理由で決めました。

西 消去法で(笑)。

――親に反抗してサッカー部に入ってやろうとか、レスリング部に入ってやろうという考えはなかったのですか

盛岡 なく、従順に陸上部に(笑)。

――その決断を後悔した瞬間はありましたか

盛岡 いや、後悔した瞬間はありません。陸上トラックが学校にあり、トラックの横でサッカー部が練習しているのですが、たまーに見ると、サッカーしたいなーとふとちょっと思ったりはします。でも好きな度合いというかやりたい競技というと陸上の方が勝つのかなという感じです。

――レスリングをやってみたかったなという思いはありますか

盛岡 レスリングは多分その時やってみたかっただけなのかなとは思っていて、今やりたいかと言われたら、いややりたくないなと。

西 「スポーツ方法実習」の科目とかにあったりしない?

盛岡 レスリング? いや、それでもとらないかな(笑)。

――西選手は陸上を始めたきっかけはなんでしたか

西 もともと幼稚園、小学校のころくらいから足はちょっと速い方ではありました。小学校低学年くらいのころにフットサルをちょっとやっていたんですけど、あんまりうまくはなかったです。小さい頃大阪府の守口市というところに住んでいのですが、そこは毎年学校対抗で学年ごとに走るちびっ子駅伝大会みたいなものをやっていたんですよ。低学年の時は5、600メートルくらいの距離だったと思うのですが、速い子が3、4人集まってその中からメンバーと補欠を決めることになりました。そんなに人数が多い学校でもなかったので、小3の冬くらいで補欠になりました。その小3の冬で僕以外の速かった子は地域の陸上クラブみたいなところに入って陸上をしていて、それで僕も入ってみたいなというか、みんな入っているしやってみたいなと思いました。小4の夏くらいに愛知県に引っ越して、そこでTSM(トータル・スポーツ・マスター)という陸上クラブに出会い、そのままそこからずっと陸上、短距離をいろいろ続けている感じです。直接的に言うと入ったきっかけは球技が下手だったからです(笑)。

――ハードル競技を始めたきっかけを教えてください。

盛岡 自分は陸上部に入った時にいちばん最初にやっていたのは幅跳びでした。幅跳びの後ろでハードルが並んで先輩たちが練習をしていたのですが、そのときに先輩に跳んでみろよー、と近くにいた1年生が言われて、跳んでみて、ハードルって楽しいんだな、ハードルいいなあと思ってハードルを始めました。

――幅跳びはどの程度までやっていましたか

盛岡 小学校のときの学校対抗の大会に学校の選手として幅跳びを一瞬やって、中1の春とかですぐハードルに切り替えました。

――では中学の部活からはずっとハードルということですか

盛岡 そうですね。メインはハードルでした。

西 僕は小4からTSMというチームに入っていたのですが、TSMというチームは結構ハードルドリルをみんなでしていました。そういうのを大事にしているチームで、ハードル競技はその時まだしていなかったのですが、最低限の基礎だけはあったという感じでした。本格的に始めたのは中2の夏ぐらいからで、もともとメインは小5の秋くらいからずっと高跳びをやっていて、中1のときも高跳びをやっていました。そのときに混成競技は高跳びもあるし、1回ハードルもやってみたいし出てみようという思いで混成競技に出場しました。そのまま混成競技を中3の夏くらいまでずっとやっていました。混成競技はハードルがあり、それで結構ハードルが伸びてきて、中2の夏ぐらいからはハードルをしっかり、混成がメインですが、ハードルをしっかりやるようになりました。だから混成競技のハードル得意な人みたいな感じでずっとやっていました。ハードルに本格的に専念したのは高1、高校に入ってからです。

――ハードルに専念するきっかけはありましたか

西 もともと高校に入るときにハードルをやろうということで、名古屋高校に入りました。高校に混成競技をやる人がそんなにいなかったですし、正直そんなにやっている余裕もなかったです。ハードルは高校で中学のときより高さが上がるのですが、跳んでみたら意外と跳べて、意外と跳べたというか、しっかり跳べたので、ハードルをしっかりやっていこうという感じで始めました。

――高校に上がった時点で身長は結構高かったのですか

西 高1の入学時点で181センチくらいでした。

――昨年池田選手も、身長が高くて高校に入ってからの高いハードルの方が跳びやすかったというお話をされていたのですが、そのような感じですか

西 たしかに中学校のハードルは、若干低いなとは思っていたというのがあって、それに無理やり低く合わせようとしちゃっていたところがなくなったというのは大きかったと思います。

――高校までで印象に残っている試合はありますか

盛岡 自分はインターハイの準決勝のレースが印象に残っています。そのレースが自己ベストのタイムでした。最後の組だった気がするのですが、前の組が走って自己ベストを出さなければ通過ができない、決勝に出られないという状況に追い込まれたときに、リラックスして走ることができた、いちばんテンポよくリラックスして走ることができたレースがその準決勝だったので、そこがいちばん印象に残ってるかなと思います。

――何か特別意識してリラックスする状態にもっていけた理由はありますか

盛岡 あまり意識した点はなかったのですが、謎の自信がありました(笑)。なんかいけるんじゃないかみたいな謎の自信があったのと、走っている最中に前の2人が速くて前半の方は離されたレース展開になっていたのですが、300メートル終わった地点で直線に入るタイミングで前に、割と前に2人がいて心が折れそうになったタイミングがありました。その時に自分の出身高校の高校記録を知らされていて、せめてそれは越えようという気力で走っていく内に段々段々追いついて、そのせめて越えようというラインが(前の2人を)抜かそうというラインに一瞬で変わったのが最後まで(心が)折れることなく走れた理由かなと思います。

――他に気持ちの持っていき方が成功したなというレースはありますか、そこが今のところ一番良いかたちですか

盛岡 自分のなかだと、一番良いかたちだったのはそのレースです。

――後半追い上げる方が得意ですか

盛岡 その準決勝のときはあまり落ちなかったというか、最初から最後までタッチダウンがあまり落ちすぎないレース展開ができたのかなと思います。後半に人を抜けた要因がそれなのかなと思います。

西 確かそのとき多分ホームストレートが結構な追い風とかだったのも好影響だったのかもしれないですね。

盛岡 そうですね、風とか環境とか、暖かかったので動き続けられたっていうのもあるかなと思います。

――ヨンパーはよく前半型、後半型という表し方をされることが多いと思うのですが、どっち型ですか

盛岡 自分は多分後半型かなとは思います。前半のタイムはおそらくインターハイ入賞した組だと、前半のタッチダウンは多分最低速なのかなとも思ったりします。後半の落ち幅が少なく走り抜けられるっていうのはタイム的に強みなのかなと思っています。

――西選手の高校まででいちばん印象に残っている試合はなんですか

西 いちばん印象に残っている試合は高3の10月に出た田島記念の決勝です。シニアの大会に高校の間に1回出てみたいということで、エントリーしたのですが、高校生のレベルだったら勝って当たり前というか、勝たないといけないという感じでしたが、一般のレベル、シニアでのレベルは全然違うということが分かりました。一応(インターハイで)高校記録を出しはしましたけど、僕も結局タイムが出たのはその1回ですし、そういうみんなが速いような環境で何本も走っている人は全然違うんだなと思いましたし、まだまだ自分とトップ選手との差というのが広くあるんだなと痛感しました。自分がそのレースではあまりスタートで出ることができずに、追うようなかたちになったのですが、そこで焦りすぎて途中でハードル倒してしまい、最終的に失格になってしまいました。今までそういうことはなかったのでやっぱり、速い人と走って自分の走りが崩れてしまったということが分かったので、これからやってくためにはそこを改善していかないといけないなというのを痛感した試合でした。

――インターハイで高校記録を出した時の感触を教えてください、その時のレースはタイムが出そうという感覚はあったのでしょうか

西 当日の調子的には、かみ合えばそれぐらい出るというか、実際それぐらい出るようなぐらいの調子は良かったと思います。やっぱりインターハイだったのでそこに向けて調整してきて、調子の波のいちばん上を合わせることができて、予選で流して無風の状態でベストを更新して、これは調子がいいと思いました。この調子ならだいぶいいタイムが出そうだと感じました。前日から結構調子が良くて13秒台を狙える、13秒7とか6とかまで狙いにいけそうだというのをなんとなく思っていたのですが、その時は予選の走りでもしっかりタイムが出るという確信に変わりました。あの時はただただ追い風参考にならないことを祈っていました。

――大学に入ってまだ記録伸ばせそうだなみたいな感覚はありますか

西 そうですね、まだ調子は上がりきってないという段階ではありますが、インターハイの時よりも100メートルのタイムが若干伸びていますし、大学に入って練習が変わり最初はまだ慣れない部分があるとは思いますが、6月の日本選手権や、それ以降の日本学生対校選手権(全カレ)では、まだまだ記録が更新できる余地はあると思うのでどんどん今年からベストを更新していきたいなと思います。


「考える質は誰にも負けたくない」(西)

4月29日に行われた織田記念がエンジデビューとなった西

――ご自身の競技における強みはどのように考えていますか

盛岡 強みは最後まで走ることができる力なのかなと思っていて、高校の練習がスピードをガツンと出して数本というよりは一定のペースで数をこなす練習メニューが多かった冬期だったので、その冬期のイメージというかそのスピード感で耐え続けるという力が身についてヨンパーにつながったのかなと思います。

西 僕は強みだというのはあんまり認識してないかもしれないです。強いて言うなら自分でもここは誰にも負けたくないと思っているのが、しっかり考えるということをいちばん重点をおいています。高校の時も結構そういうのは考えるようにしていて、例えば今週このメニューがこの日にあるから、ハードル練習をやる日がこの日に決まっているから、そこまででどうやってハードル練習をやる日にいちばんいいコンディションで臨めるか、試合がここであるからいちばんいいパフォーマンスを出せるためにはどうすればいいかとか、自分の動きの中で分析したり、考えたりする時間というのは結構多くて、考える質は誰にも負けたくないなと思っています。

――早稲田は自分で考えて練習を組み立ててというスタイルですが、それを高校の時から結構やっていたという感じですか

西 そんなにがっつりではないですが、多少自分で考えて先生と相談してという感じでした。そういう部分が、早稲田は結構考える練習が多いというのも、話が戻りますが早稲田に決めた理由の1つでした。自分で考えて行動することを目標としていたので、そういう環境、自分で考える、考えて動くことと考える練習が多いというのが早稲田に決めた理由の1つとしてもあります。

――今憧れや、目標にしている選手はいますか

盛岡 自分はやはり山内さん(山内大夢、令4スポ卒=現東邦銀行)が同じ大学出身ということで、この競技場で練習していたんだという感動というかそういうのはあります。そういう風にここで学んできたということが、オリンピックや世界を考えたときに同じ練習環境でできるというのはすごく大きなメリットだと思うので、山内さんに憧れをいだいているのはそういう理由かなとは思います。

――山内選手のどんなところがかっこいいと思いますか

盛岡 前半後半ともに、自分は全然足元にも及ばないタイムですが、山内さんは後半の走り、ラスト100の走りの力強さがすごいなと思います。

――西選手は憧れや目標の選手はいますか

西 実はそういう誰になりたいというのはあんまりいません。僕は僕なのでという意見というか、誰かになりたいというのを持ってしまうと結局その方に寄っていって、自分をしっかり保てなくなったり、自分のほんとにやるべきこととずれていったりするので自分は自分だという考えをもってやっています。強いて、そういうのをあげるのであればウサイン・ボルトです。

――それは考え方の面で、ですか

西 考え方というよりかは、ウサイン・ボルトが2009年に世界記録出したときが僕が多分5歳くらいだったのですが、多分テレビのニュースで見て、こんなに速く走る人がいるんだということを思った記憶があります。それが陸上を始めたきっかけの1つかもしれないですが、潜在的に残っているという感じです。ボルトは1回勝ってからずっと勝ち続けていました。僕は多分1回勝ったら、そこで超え尽きるというか、ずっと1番でいることってすごく難しいことだと思います。例えば1番になったら、誰かに勝つという目標も消えると思いますし、結局自分との戦いになってきて、そんな中で約10年間ずっと世界のトップでいたというのはすごいことですし、純粋にボルトの走りはかっこいいなと思っています。強いてあげるならばそういうところですね。

――1年目の抱負を教えてください

盛岡 抱負は昨年の自分を越えることです。高校時代や高校に迫る記録など、1年目で記録があまり出ないみたいな風習とかそういう風に言われたりする時があります。高校の時を超えなければ、大学で質のいい練習ができているのに、何かが悪いということを考えているので、高校の自分を超えて走っていけるような強い選手になるという目標を立ててます。

西 僕は今年はシニアの大会にいっぱい出まくる、たくさん出るということを抱負としています。その中で自己ベスト更新や、上のラウンドで少しでも戦っていきたいです。2024年にパリオリンピックがあり、その後も世界陸上が東京で開催されるかもしれません。そこで戦っていくために田島記念などいろいろ出場して、まだ差が大きいということが分かりました。今年はまだ日本選手権の決勝で勝負できるかどうかわからないですが、最低でも来年あたりは日本選手権の決勝に立ち、そういうところと一緒に勝負していきたいなと思っているので、今年はシニアの大会に出てもそういうシニアの雰囲気を完全に掴んで、その中でも自分の走りができることというのを目標にしていきたいです。その中で戦っていくための基盤作りを今年1年でしっかりやっていきたいなと思っています。それと同時進行でほかの種目、100メートルだったり200メートルだったり自己ベストをどんどん狙っていきたいなと思っています。

――目標としている試合はありますか

盛岡 今年は、U20の日本選手権を大きな山場だと考えています。昨年はU20の日本選手権に出場できる選手ではなくて、出場できるタイムを期限までは持っていなかったので、初めてのU20ですが、日本選手権というかたちになるので今年の大きな大会として、そこにまずは自分の最大の力を合わせていくという練習や補強、技術を合わせていけるように今後はやっていきたいなと思っています。

西 U20日本選手権に出るか日本選手権に出るかどっちか、同日開催なので分かってないですが、U20日本選手権に出るにしろ、日本選手権に出るにしろ、U20日本選手権の場合は今年コロンビアで行われるU20世界選手権、今年は世界陸上もあるので日本選手権もみんなそこに向けて調整してくると思います。どっちに出たとしてもみんなが世界の大会をかけて争うという大会になってくるので、どちらに出るかまだ確定はしていませんが、そこにしっかり合わせて自分もその中で戦っていきたいなと思います。U20に出るのであれば優勝と、泉谷(泉谷駿介、住友電工)さんが持っているU20の日本記録の更新。日本選手権に出る場合は決勝進出、できるかわかりませんが、しっかり決勝に残っていけるようにやっていきたいなと思っています。

――最後に4年間の目標をお願いします。

盛岡 4年間の目標は、世界大会に出たいという大きな目標を掲げています。日本の大きな大会も目指していきたいと思っていますが、日本を出て世界の大きな大会に出たいなという気持ちが強くいです。ヨンパーが強くて、世界に羽ばたいた選手が(早稲田に)いるというので、目標に近いというか目標が立つのが早かったというか、立ちやすかったという感じです。

西 2024年にパリオリンピックを控えています。そこを狙うというのもありますし、そこにかけてここから2年間やっていくという選手が多いと思うので、自分もその中で一緒にやっていきたいです。できることなら世界の大会に出て、出るだけではなくてしっかりとその中で戦っていけるようにしたいです。海外の試合たくさん出てみたいですし、可能であれば海外で練習を一緒にして、人脈を広げるというわけではないですが、海外の選手たちとの交流を持ち、いろいろとやっていきたいなと思っています。せっかくならばパリオリンピック、その次東京であるなら東京の世界陸上、この辺をしっかり狙って、その中でそういう大会に出るだけでは終わらないようにしていきたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 及川知世、加藤志保、堀内まさみ)

◆西徹朗(にし・てつろう)(※写真左)

2004(平16)年2月5日生まれ。185・0センチ。愛知・名古屋出身。スポーツ科学部1年。自己記録:110メートル障害13秒69。身長の小数点表記は、盛岡選手の身長と有効数字を合わせなくては、という西選手からの提案です。化学が好きだという西選手が色紙に書いたのはpフェニルアゾフェノールの構造式。構造の説明もしてくださいましたが、化学に精通していなかった盛岡選手と早スポ陣は話についていけず。西選手は、「周りにこういう話が通じる人がいないんです」と少し寂しそうでした。

◆盛岡優喜(もりおか・ゆうき)

2003(平15)年12月16日生まれ。177・9センチ。八千代松蔭出身。スポーツ科学部1年。自己記録:110メートル障害14秒49、400メートル51秒53。理系だったが物理選択で化学は詳しくないという盛岡選手。化学について語り続ける西選手に対して、「いや、わからんよ」とキレの良いツッコミを入れ続けていました。ナイスコンビネーションのお二人、これからの活躍に期待です!