ラグビー部
2022.03.25
【連載】『令和3年度卒業記念特集』第59回 小林賢太/ラグビー
『副将』として
『副将』とはどんな存在だろうか。主将を支え、自らもチームをけん引していく役割を担うものか。チームの中核であり、顔となる存在だろうか。その問いかけに明確な答えなどないのだろう。だからこそ、小林賢太(スポ=東福岡)は苦悩した。
小林は強豪・東福岡高を経て、早大に入学。ルーキーとして1年目から赤黒に袖を通し、早明戦をはじめとする大舞台に立った。2年時には委員に選ばれ、学年をまとめる役割を担うことに。それだけでなく、レギュラーメンバーとして全国大学選手権(大学選手権)決勝にも出場し、11年ぶりの『荒ぶる』に貢献した。3年生になってからも不動の3番としてグラウンドに立ち続け、引き続き委員を務めた。順風満帆で煌(きら)びやか。そう感じずにはいられない小林の大学ラグビー人生。4年目を迎えた年、小林は『副将』を任された。
「日本一になるためにはどうすればいいだろうとひたすら考え続けた1年だった」。4年目の春、小林は慣れ親しんだ3番から1番へのコンバートに挑戦。監督やコーチも変わり、戦術や部の体制も大きく変化した。新たな戦術に慣れるため練習に励み、自分自身も新境地・1番でスクラムを突き詰めた。それだけでなく副将として、またFWリーダーとして、「チームを引っ張らなければ、役割を果たさなければ」と自分を追い込んだ。変化、修練、責任ーー。いろいろなことが重なり、小林の心には余裕がなくなっていた。「本当に自分で大丈夫かな。本当に自分でFWを引っ張れてるのかな」。小林の心に不安が渦巻いていたなか幕開けた関東大学対抗戦(対抗戦)。大学日本一に向け、負けられない戦いが続く。だからこそ、一日一日の練習と迫り来る試合に精一杯。「目の前のことを全力でやるしかない」。そう思えたことで、小林の中にあった不安はだんだんと薄れていった。
しかし対抗戦で大きな山場となる明大戦。今まで精神的支柱としてチームをけん引してきたCTB長田智希(スポ=大阪・東海大仰星)のケガによる欠場が決まった。春、夏とこれまでずっとフィールドに立ち、ひっぱり続けてきてくれた長田がいない。小林はゲームキャプテンを任され、「4年間で1番、それくらいの不安に襲われていた」。迎えた12月5日、早明戦当日。決勝点となるトライが決まった瞬間、涙を流しながら雄叫びを上げる小林の姿があった。明大に勝ちたいという思い、そして自分がゲームキャプテンを任された重圧、悩みながらも務めてきた副将として抱えてきた思いが爆発したような、気持ちのこもった涙だった。対抗戦で3年ぶりに明大からつかみ取った白星。『副将』としてチームを勝利へと導いた小林は、またひとつ大きな成長を遂げた。
ゲームキャプテンを務めた早明戦にてボールキャリーする小林
そんな印象に残る早明戦から3週間後。大学選手権の準々決勝で再び明大とぶつかった。『年越し』をかけた大一番。日本一になるためにここで負けるわけにはいかない。3年間『年越し』を遂げてきた早大ラグビー部に所属しているのであれば、最後のシーズンで簡単に終わるわけにはいかない。だが、早大は惜しくも明大に敗れ、小林の大学ラグビー生活はここで幕を閉じた。現実が受け入れられなかった。だからこそこの瞬間は、一生消えない悔しさとして、いつまでも小林の心に刻まれたままだろう。
早大の一員として、この悔しさを晴らすことはもうできない。だが、小林はすでに前を向いていた。東京サントリーサンゴリアス(東京SG)に所属し、さらに厳しい環境で高みを目指していく。「やり続ければ努力は実る」。ポジション争いを勝ち抜く選手たちをみて学んだことだ。『副将』、悔しさや葛藤、そして喜び。早大で吸収した全てを武器に次のステージへ。「ラグビーは人生そのもの」だと言う小林は、これからもラグビーとともに歩み続ける。努力研鑽(けんさん)、小林の闘いはまだ始まったばかりだ。
(記事 山田彩愛、写真 内海日和氏)