ハンドボール部
2022.03.02
【連載】『令和3年度卒業記念特集』第26回 紅林詩乃/ハンドボール
背負い続けた4年間
「主将も何も背負わなくていいハンドボールができたら、幸せだったのか確かめたい」。もし入部する前に戻ることができたらどうするかと聞かれ、紅林詩乃(スポ4=東京・佼成学園女)はそう答えた。ここまでの4年間、さまざまな立場で思いを背負ってきた。その重さは計り知れない。だからこそ、この言葉が出てきたのだ。
桐蔭横浜大戦でシュートを放つ紅林
中学生の時、仲のいい友達に誘われてハンドボール部の仮入部に行ったのが、競技を始めたきっかけだった。その後はハンドボールに打ち込み、全国屈指の強豪校である佼成学園女高に進学。高校3年時には、インターハイ優勝も果たした。そして大学入学後も、その実力を発揮する。1年時から試合に出場し、女子ユース世界選手権にも選出されるなどポストプレイヤーとして頭角を現した。入部当初は、変化に対応できず悩んでいた部分もあった。それでも引っ張ってくれる先輩がいたことで、思い切って楽しくプレーすることができたという。しかし打って変わって、2年生の春リーグは、「不安に押しつぶさそう」な時期が続く。この大会では、チーム事情によりセンタープレイヤーとして出場する機会が多かった。これまでずっとポストでプレーをしていた紅林にとって、初めての経験だった。センタープレイヤーは司令塔とも言われるポジションだ。自分で試行錯誤しながらこなしていたが、勝てない試合もあり、責任を背負うようになった。「頑張っても正解が分からない」。そう漏らした紅林にとって、2年生の春リーグ以上に不安を感じて、苦しかった時期は4年間を通じてなかったという。
しかし、この春リーグを通じて、普段とは違う視点で試合を見ることができた。センタープレイヤーをやっていると、ポストプレイヤーと噛み合っていないと感じる場面もあったという。だから、再びポストプレイヤーに戻った時には、他の選手たちとたくさん話すようにした。紅林のポストプレイヤーとしてのこだわりはスライドだ。周りの選手が動いているところで不意にスライドするには、ボールを持つ選手とのコミュニケーションが必要となる。センタープレイヤーでの経験が、話すことの大切さを学ぶきっかけとなり、ポストプレイヤーとしての紅林を成長させた。また、司令塔としてチームを背負う経験をしたことで、「自分で責任感を持って行動するのは、今まで以上にできるようになった」。
そして迎えたラストイヤー、紅林は主将としてチームを率いた。理想像は、紅林が1年時に主将を務めていた高田紗妃氏(平31スポ卒)。「自分が犠牲になってでも、チームのために頑張り続ける姿」に刺激を受けたという。しかし、それは簡単なことではないと気がつくのに、時間はかからなかった。紅林は、主将やチームのあり方を模索し続けた。先頭に立つ者として、チームメートの声を聞いて、まとめるようにした。それでも、全員が居心地の良い環境をつくるのは難しい。「みんなが満足してやれているのかというのは不安に思っていた」と、主将としての苦悩を明かす。
そのような中で、紅林が目指したのは、『楽しむ』ことができるメリハリのあるチーム。「練習前や練習の合間には後輩に話しに行って、笑いが起こるような環境をつくって。その後はちゃんと練習に行って、オンとオフをはっきりさせるというのは努力してきたと思います」。自分もチームも『楽しむ』ことができるように――。紅林自身が目指したチームのかたちであった。このような環境を築き上げていくために、紅林は先頭に立ちながら常に下からもチームを支えてきた。インカレ2回戦の関学大との一戦では、終盤に猛追を見せるが、一歩届かず。紅林の挑戦はここで終わりを告げたが、主将としてチームを支える姿勢は忘れない。試合終了後も自らの溢れ出る思いを堪え、後輩たちに声をかけ続けた。またインタビューでは「存分に楽しめました!」と一言。そこには、辛い時でもチームを支え続ける主将としての姿があった。
「落ち込みたくても落ち込めない」。主将になってから、試合中に4年生がコートに1人の場面があったり、試合後に下級生のフォローをしたり、紅林がチームを支える中で辛いことは幾度とあったはずだ。そのような時には、TR石毛明日香(スポ4=千葉・稲毛)に話を聞いてもらっていたという。「辛い時には話を聞いてもらって、助けてもらった」と話すように、常にチームを支えてきた紅林自身も、周りのメンバーに支えられて、ここまで来ることができたのだ。
得点を挙げガッツポーズを見せる紅林
紅林に4年間を振り返ってもらうと、選手が主体となる早稲田では、自分で考えて自分で行動する姿勢が身についたという。また、「いろいろな意見を受け入れたり、取捨選択したりすることは早稲田じゃないと学べなかった」とも話してくれた。不安に押しつぶされそうになったり、主将としての重圧に苦しむ日々を過ごしたり、早稲田での4年間は辛いことの方が多かったかもしれない。しかし、この経験が、新たな船出を迎える紅林の道標となる時がきっと来る。
(記事 落合俊、写真 杉原優人)