ハンドボール部
2022.03.02
【連載】『令和3年度卒業記念特集』第25回 青沼健太/ハンドボール
気づきと変化
「結局自分が成長させてもらった1年間だった」――。青沼健太(社=千葉・昭和学院)は、主将としてチームを率いたラストイヤーをこのように振り返った。「チームのために」と周囲に目を配り、意見を聞き、考え続けた先にあったのは自らの成長であった。巧みな攻撃と頭を使ったプレーでチームに貢献し、強いリーダーシップで仲間を引っ張った青沼。悩みながらも様々な気づきを得た4年間を振り返る。
青沼がハンドボールを始めたのは中学1年生のとき。先に競技を始めた兄の試合を見て憧れを抱き、ハンドボール部に入部した。徐々に頭角を現すと、インターハイで優秀選手賞を獲得。国体では準優勝するなどの活躍を見せ、輝かしい実績とともに早稲田大学に入学した。
しかし、入学直後はなかなか出場機会が与えられなかった。技術に自信があった分、メンバーから外された試合では「なぜ自分がベンチに入れないのか」と複雑な気持ちになったと言う。「俺がやりたい、俺がこうしたいっていうのが強くて」。青沼は1年時について「大天狗時代だった」と笑いながら振り返った。
転機が訪れたのは2年生のとき。レギュラーとして試合に出場してはいたものの、思うようなプレーができず苦しんでいた。「点は取れないしディフェンスでも守れない」と自分の力が通用しないことを痛感した青沼。そんな中で、ウエートトレーニングの重要性に気づいた。「より速く動いてより速い球を投げなければ、同じ土俵には立てない」と感じ、フィジカルの強化に力を入れた。そうして入学時に比べ強い体を備えた青沼であったが、3年時はコロナの影響を受け、行われた試合は4試合のみ。最高学年となる次年度を見据え、先輩や対戦相手のプレーを観察し戦術を考えることに注力した。
全日本学生選手権でシュートを放つ青沼
主将を任され、迎えたラストイヤー。「堅守速攻」を軸に、部員同士のコミュニケーションを重視してチーム作りに励んだ。個人としてもオフェンスの中核を担い、プレーで仲間を鼓舞した。秋のリーグ戦を5位で終え、優勝を目指して臨んだ全日本大学選手権だったが、実力を発揮できずまさかの初戦敗退。「何もできないまま終わってしまった」と肩を落とした。
青沼は、「一プレーヤーとして1年間を振り返ると、正直物足りなかった」と語る。常に周囲に注意を向けていたことで、自分のプレーが散漫になっていた。しかしその一方で、主将として過ごした1年間に充実感もにじませる。意思疎通の図り方も自身のプレーも変化した。青沼は、「自分ファーストから相手ファーストになった」と表現する。自分の意見を正解としてそのまま伝えるのではなく、提案するかたちをとって相手の意見を引き出した。また、良いプレーがあれば真似して試すようになった。「試すことが増えて自分の中の正解も増えた」と振り返るように、主将として行ってきた周囲への気配りは、青沼自身のプレーの選択肢を増やすことにもつながっていた。
最後の早慶戦で客席にアピールする青沼
「早稲田で良かった。本気でぶつかってくれる人が多かったから、自分だけでは気づけないたくさんのことに気づけた4年間だった」。
卒業後は、銀行員として働きながら競技を続行する。早稲田大学から新たな舞台へ。4年間で心技体すべてを磨き上げた青沼は、新天地でどのような姿を見せてくれるのか。その活躍が楽しみでならない。
(記事 澤崎円佳、写真 杉原優人 澤崎円佳)