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2022.03.25

令和3年度卒業記念特集

 

第1回 丸山壮史/野球(2月10日)

 

第2回 福本翔/野球(2月10日)

 

第3回 今井脩斗/野球(2月10日)

 

第4回 畠山尚/庭球(2月11日)

 

第5回 杉田栞/庭球(2月11日)

 

第6回 宇野聡恵/漕艇(2月12日)

 

第7回 船木豪太/漕艇(2月12日)

 

第8回 百瀬敦也/柔道(2月13日)

 

第9回 本野凜太郎/弓道(2月14日)

 

第10回 二見颯騎/相撲(2月15日)

 

第11回 倉持快/男子サッカー(2月18日)

 

第12回 西川玄記/男子サッカー(2月18日)

 

第13回 加藤希/女子サッカー(2月19日)

 

第14回 牛尾哉太/馬術(2月20日)

 

第15回 五十嵐史弥/卓球 (2月21日)

 

第16回 岩越帆香/卓球 (2月21日)

 

第17回 岡村泰靖/ボクシング(2月22日)

 

第18回 竹端健太郎/体操(2月23日)

 

第19回 仲濱陽介/男子バレー(2月25日)

 

第20回 浅野円花/剣道(2月28日)

 

第21回 鈴木涼也/剣道(2月28日) 

 

第22回 永山開一/米式蹴球(3月1日)

 

第23回 石丸圭吾/米式蹴球(3月1日)

 

第24回 新井健伸/ヨット(3月2日)

 

第25回 紅林詩乃/ハンドボール(3月3日) 

 

第26回 青沼健太/ハンドボール(3月3日) 

 

第27回 神山夢来/バスケットボール(3月4日) 

 

第28回 宮本一樹/バスケットボール(3月4日) 

 

第29回 津田誠人/バスケットボール(3月4日) 

 

第30回 杉本華唯/アイスホッケー (3月5日)

 

第31回 石塚玲雄/フィギュアスケート(3月6日) 

 

第32回 千明龍之佑/競走(3月6日) 

 

第33回 山内大夢/競走(3月6日) 

 

第34回 山田龍/自動車(3月7日) 

 

第35回 村上和亮/ホッケー(3月7日) 

 

第36回 高原真央/フェンシング(3月8日) 

 

第37回 薗田将直/応援(3月9日) 

 

第38回 下江遥花/ソフトテニス(3月11日) 

 

第39回 山根稔平/ソフトテニス(3月11日) 

 

第40回 渡部椋雅/準硬式野球(3月11日) 

 

第41回 河野翔輝/自転車(3月12日) 

 

第42回 牧野倫太郎/バドミントン(3月13日) 

 

第43回 新居将史/ワンダーフォーゲル(3月17日) 

 

第44回 吉田翔太/空手(3月18日)

 

第45回 鈴木志佳/射撃(3月19日) 

 

第46回 中村美優/アーチェリー(3月20日) 

 

第47回 橋本美久/女子バレーボール(3月21日) 

 

第48回 太田翔一朗/日本拳法(3月21日) 

 

第49回 澤優輝/男子ソフトボール(3月22日) 

 

第50回 増田侑希/女子ソフトボール(3月22日) 

 

第51回 田中尚史/航空(3月22日) 

 

第52回 井上将/少林寺拳法(3月23日) 

 

第53回 倉田瑠々/女子ラクロス(3月23日) 

 

第54回 平野義大/ラクロス(3月23日) 

 

第55回 安楽龍馬/レスリング(3月24日) 

 

 

第56回 村上雅弥/競泳(3月24日) 

 

 

第57回 牧野紘子/競泳(3月24日) 

 

 

第58回 樋爪吾朗/水球(3月24日) 

 

 

第59回 小林賢太/ラグビー(3月25日) 

 

第60回 河瀬諒介/ラグビー(3月25日) 

 

第61回 長田智希/ラグビー(3月25日) 

 

第62回 金子佳央/合気道(4月3日)

 

第62回 金子佳央/合気道 (4月3日)

 

主将 金子佳央の本懐

 金子佳央(教4=東京・都市大付)が合気道を始めたのは、4年前のことである。高校まで続けていた少林寺拳法と、相手の人体の構造を利用するという共通点がある合気道に挑戦し、武道としての視野を広げようとしたのがきっかけだった。

 

 

第61回 長田智希/ラグビー (3月25日)

 

ノーサイドの笛

 長田智希(スポ=大阪・東海大仰星)がついに早大から巣立つ。4年間、日々チームの第一線で戦い続け、全国大学選手権(大学選手権)の決勝に2度出場。チームの酸いも甘いもかみ分けてきた長田が語る4年間とはーー。

 

 

第60回 河瀬諒介/ラグビー (3月25日)

 

宝物と共に

 「トライを取ることが好き」、自身のプレーの原動力を晴れやかな笑顔でそう語る。ボールを持った瞬間に自らゲインし、プレーでチームの士気を高める力を併せ持つ。『世代屈指のFB』として知られ、ダイナミックな攻撃で見る者を魅了するのは、河瀬諒介(スポ=大阪・東海大仰星)だ。ラグビーとは「宝物」という早大のエース河瀬が歩んできた4年間の軌跡をたどる。

 

 

第59回 小林賢太/ラグビー (3月25日)

 

『副将』としての葛藤と成長

 『副将』とはどんな存在だろうか。主将を支え、自らもチームをけん引していく役割を担うものか。チームの中核であり、顔となる存在だろうか。その問いかけに明確な答えなどないのだろう。だからこそ、小林賢太(スポ=東福岡)は苦悩した。

 

 

第58回 樋爪吾朗/水球 (3月24日)

 

『紳士であれ』を胸に

 2021年8月28日。早稲田大学水泳部水球部門男子主将、樋爪吾朗(スポ=埼玉栄)は最後の早慶戦に臨んだ。「入学した年から2連敗していたこともあり、絶対に通算成績で負け越したくないと思っていた」。結果は10-18。現実は非情だった。しかし試合後、樋爪は悔しさをこらえ、凛としてプールサイドに立っていた。

 

 

第57回 牧野紘子/競泳 (3月24日)

 

水泳部は支えになる居場所だった

 牧野紘子(教4=東京・東大付中教高)WUSTとはどのような存在だったかを尋ねると、「自信をつけてくれて、後輩も寄ってきたり先輩も声かけをしたりと結果が良くなくてもみんなが支えてくれる、あったかい場所」と答えてくれた。東京五輪を目指し、同時に水泳部(以下、WUST)で過ごす中で牧野は人としても成長した。さらなる目標へと進む牧野の4年間に迫った。

 

 

第56回 村上雅弥/競泳 (3月24日)

 

初志貫徹

 「本当に良い一年だった」。村上雅弥(スポ4=香川・坂出)は最後の一年をこのように振り返る。「大好きな水泳」と向き合い続けた、その競技人生を追った。

 

 

第55回 安楽龍馬/レスリング (3月24日)

 

妥協しない生き方

 「楽しくもあり、悔しくもあった」。安楽龍馬(スポ=山梨・韮崎工)は、早大レスリング部で過ごした4年間をこのように表現した。高校時代に「全てが練習試合」と教わり、試合はもちろん日々の練習から、勝利の喜びも敗戦の悔しさも味わってきた。そうして周囲からは「人一倍自分を追い込む」とも紹介される安楽のレスリング人生について、話を伺った。

 

 

第54回 平野義大/ラクロス (3月23日)

 

『成長』の実感

 「人としてもラクロスプレイヤーとしてもかなり成長してくれた」。最終戦となった関東学生リーグ戦の立大戦を終えた後、奥崚ヘッドコーチ(平30卒)は平野組についてこう語った。そんな平野組の中心にいたのが、平野義大(社=東京・早大学院)だ。自身の4年間を「情熱をもってラクロスに打ち込めた」と振り返った平野の思いに迫った。

 

 

第53回 倉田瑠々/女子ラクロス (3月23日)

 

「人に恵まれた4年間」

 「人に恵まれた4年間」。倉田瑠々(文構=東京・早実)は自身のラクロス部での4年間についてこう振り返った。悲願であったFinal4進出は達成できなかったものの、最高のチームメイト、コーチ達と共に様々な経験を通して成長した倉田の4年間を振り返る。

 

 

第52回 井上将/少林寺拳法 (3月23日)

 

背中を追い続け

 少林寺拳法部で過ごした4年間は「人として大きく変わることができたという意味で、人生で最も濃い」4年間だった。井上将(基幹=城北埼玉)は自身の部活を振り返り、そう表現した。入部当初、同期は1人もいなかったが、最後は同期8人で引退した。学年を重ねるごとに、同期は頼れる存在になっていた。そして、主将として練習に取り組む姿勢を見せ続けた。「口下手で、あまり伝えることが上手くないから、自分が部の中で一番努力して上手くないといけない。」と井上は語る。

 

 

第51回 田中尚史/航空 (3月22日)

 

持ち続けた向上心

 「伸び代しかない」。田中尚史(基理=埼玉・早大本庄)は学生最後の大会となった全日本学生選手権を終えても、なおフライトへの向上心を持ち続けていた。一パイロットとして、そして早大航空部の主将として、『団体で全国優勝』という目標を達成するため、「グライダーを楽しむこと」を大切にし、部をけん引してきた彼の4年間を振り返る。

 

 

第50回 増田侑希/女子ソフトボール (3月22日)

 

「感謝」を胸に「最高」の投手へ

 力のある速球を武器にエースとしてチームを引っ張り続けた増田侑希(スポ=香川・高松南)。チームの絶対的エースであった増田だが、頼れる主将としてもチームを引っ張ってきた。そんな増田の幼少期から早大までのソフトボール人生を振り返る。

 

 

第49回 澤優輝/男子ソフトボール (3月22日)

 

出会い

 男子ソフトボール部主将の澤優輝(人=東京・國學院久我山)が早大での4年間でマスクを被った試合は公式戦だけで50試合に及ぶ。ソフトボールを始めたのは大学からだが、下級生時からレギュラーとして活躍し、最終学年では主将・四番・捕手と3つの重責を担った。扇の要としてチームを引っ張り続けた澤の4年間の歩みをそのルーツとなった野球人生と共に紐解く。

 

 

第48回 太田翔一朗/日本拳法 (3月21日)

 

主将として、一人の部員として駆け抜けた日本拳法人生

 日本拳法部主将として、最後の1年を駆け抜けた太田翔一朗(先進4=愛知・海陽中教校)。大学以前の競技経験がない太田が主将を務めあげるまでに成長した道のりと日本拳法部への思いを伺った。

 

 

第47回 橋本美久/女子バレーボール (3月21日)

 

誰よりも1点を喜んだ司令塔

 25点を争い、目まぐるしく展開が移り変わるバレーボール。その競技性とは裏腹に、早大のコートには誰よりも1点を喜び、仲間に声をかけ続ける背番号1がいた。セッターと主将を務めた橋本美久(社=福島・郡山女大付)だ。

 

 

第46回 中村美優/アーチェリー (3月20日)

 

王座への挑戦

 早大アーチェリー部の最大の目標である全日本学生王座決定戦(王座)。中村美優主将(スポ4=北海道・旭川北)は1年生から4年間王座に出場し続けた。「王座を目指しての練習はキラキラしていた、楽しい時間だった」と語る女子主将が王座制覇へ挑み続けた4年間を振り返る。

 

 

第45回 鈴木志佳/射撃 (3月19日)

 

志はひとつ みんなの笑顔が見たいから

 早稲田大学に、日本で5本の指に入るスナイパーがいる。鈴木志佳(人=東京・目黒星美)は、10mエアライフル(AR)女子競技において、現在日本ランキング5位につけている。驚くべきはその経歴。射撃を始めたのは大学入学後であり、中学・高校時代には書道に打ち込んでいた。銃を持ち始めてわずか3年ほどで日本トップレベルへと至った、その奇跡に迫った。

 

 

第44回 吉田翔太/空手 (3月18日)

 

シンプルに、奥深く

 早大空手部にとって1年の集大成となる早慶戦。3年ぶりに宿敵・慶大を破り、歓喜の輪が広がった。その中心にいたのは吉田翔太(スポ=埼玉・栄北)主将。空手の、そしてチーム作りの「シンプルで奥深い」ところを突き詰め、悲願を達成するまでの道のりを振り返る。

 

 

第43回 新居将史/ワンダーフォーゲル (3月17日)

 

自分らしい主将像

 自然の中で登山・縦走、沢登り、ボート、自転車、山スキーなど幅広く取り組むワンダーフォーゲル。主将を務めた新居将史(創理=東京・早大学院)は「協力して乗り越えていかないとできないスポーツなので、チームワークがはぐくまれるのがワンダーフォーゲルの魅力」だと語った。ワンダーフォーゲルと向き合った新居の4年間を振り返る。

 

 

第42回 牧野倫太郎/バドミントン (3月13日)

 

かけがえのない4年間

 3年時には主務として、4年時には主将として早大バドミントン部を支えたのが牧野倫太郎(スポ=愛知・豊橋東)だ。牧野は強豪校出身のいわゆるバドミントンエリートではない。この4年間、試合の第一線で活躍することはなかった。それでも部員を陰でサポートし、選手の一勝に貢献したのは間違いなく牧野である。「バドミントンが好き」。その思いを原動力に、駆け抜けた4年間を振り返る。

 

 

第41回 河野翔輝/自転車 (3月12日)

 

自分に厳しく

 早稲田自転車部の主将とプロ選手という、二足の草鞋を履く河野翔輝(スポ=奈良・榛生昇陽)。主将という立場でありつつ、プロとして活動することの難しさを感じながらも、チームを引っ張って来た彼の4年間、そして輝かしい未来に迫る。

 

 

第40回 渡部椋雅/準硬式野球 (3月11日)

 

「獅子(しし)」は何度も起き上がる

 「全日本大学選手権(全日)で優勝したときは本当に悔しくて――」。渡部椋雅(商=神奈川・桐光学園)は2年時に経験した全日制覇をこのように振り返った。ケガやコロナ禍に見舞われ、決して順風満帆ではなかった準硬式野球生活。それでも、「眠れる獅子」渡部は持ち前の打棒と明るい性格でチームをけん引した。

 

 

第39回 山根稔平/ソフトテニス (3月11日)

 

変革の中心で

 全日本学生大会(インカレ)での優勝に一番近いと言っても過言ではない早大の軟式庭球部。しかしその夢は大会の中止によって実現されないこととなった。新型コロナウイルスに振り回された大学でのソフトテニス。しかし、主将としても、プレーヤーとしても部をけん引した山根稔平(商=奈良・高田商)の努力が、早大軟式庭球部の歴史の1ページとなったことは間違いない。そんな山根の大学4年間、そして今後の野望に迫る。

 

 

第38回 下江遥花/ソフトテニス (3月11日)

 

打ち破れ、セオリー

 団体戦が目玉のソフトテニスだが、早大の軟式庭球部は女子の部員が少ない。苦しい環境の中、下江遥花(スポ=和歌山信愛)は主将として部を支え、まとめてきた。その活動は、自分らしさや部員を信じる気持ち、そしてプレーの中で学んだ柔軟な発想力に支えられていた。

 

 

第37回 薗田将直/応援 (3月9日)

『最高の応援』を追求し続けて

 応援企画責任者兼主将として、誰よりも応援のことを考えている自負があったと語る薗田将直(法4=東京・早大学院)。主将という型にとらわれず、「薗田将直」として、約10年間にわたる野球人生で培った知識や経験を活かしてより良い応援をしようと、全力で4年間を駆け抜けた。そんな薗田が仲間とともに作り上げたかった最高の応援とは。今回は、その応援人生にかけた「信念」を綴る。

 

 

第36回 高原真央/フェンシング (3月8日)

 

成長と教育

 「宝物です―」高原真央主将(人4=福井・武生)は早大フェンシング部での4年間をこう振り返った。「すごく貴重というか、早稲田じゃなければこんな経験はできなかった、という経験をたくさんさせてもらったので」スポーツ推薦を受けられるほどの成績を持たず、推薦が残っている学校の中で、自分を強くするための場所として選んだ早大。それは高原にとって大正解の選択だった。

 

 

第35回 村上和亮/ホッケー (3月7日)

 

未来の早稲田のために叩き込んだ「当たり前」

 今年の早慶戦では、悔しい敗戦となってしまった早大男子ホッケー部。宿敵・慶大に敗れてしまったが、試合では、早大伝統の粘り、チームワーク、そして4年生の意地を多くの観客に見せてくれた。コロナ禍で活動にも制約がかかる中、今期のチームを引っ張ってきた村上和亮主将(政経=東京・早大学院)。スポーツ推薦がなくなり、個の力が、どうしても歴代のチームと比べて低下していく中で、村上は「将来的に早稲田が優勝するまでの長期的な計画の一端を担いたい」と語り、これまで以上に“当たり前”を突き詰めていった。そんな村上のホッケー人生を振り返る。

 

 

第34回 山田龍/自動車 (3月7日)

 

『最強』のチーム

 「全て自動車部に染められていた」、山田龍(人=兵庫・仁川学院)は大学生活をささげた自動車部での日々をこう語った。自動車部では主にモータースポーツ競技に参加し、自動車のスピードや運転技術を高めるとともに車両の整備も学生自らで行う。日本で運転免許が取れるのは18歳になってから。そのため、大学の部活動であれば、全員が競技歴5年以下の世界だ。そんな自動車部での4年間、そして主将として過ごした1年間を振り返る。

 

 

第33回 山内大夢/競走 (3月6日)

 

早稲田から世界へ

 東京五輪出場、そして日本学生対校選手権(全カレ)優勝。大きな結果を残した4年目、そして大学での競技生活を終え、山内大夢(スポ=福島・会津)は、「早稲田を選ばなかったら今の自分はいない」と振り返る。躍進を支えたのは「早稲田だからこそ」の練習スタイル、そして早大競走部で磨かれた人間力だった。

 

 

第32回 千明龍之佑/競走 (3月6日)

 

一競技者として、駅伝主将として 苦楽を味わった4年間

 高校時代からクロスカントリー日本代表を経験するなど期待を背負って入学した千明龍之佑(スポ=群馬・東農大二)。4年間はあっという間だったという一方で、決して平たんな道のりではなかった。幾度となくケガに苦しみ、ようやく春から順調に滑り出し日本選手権入賞など大活躍を見せた4年目も、3大駅伝開幕直前に骨折。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)こそギリギリ間に合わせたが、万全ではなかった。駅伝主将として、人一倍悔しさを抱えながらもチームを引っ張った千明の歩みを振り返る。

 

 

第31回 石塚玲雄/フィギュアスケート (3月6日)

 

「伝える」

 「見ているお客さんに楽しさが伝わるように」。4年間を通して多く石塚玲雄(スポ=東京・駒場学園)から聞かれた言葉だ。演技を通してお客さんにスケートの楽しさを伝え、自分も楽しむ。その意識を原動力に、大学4年間で競技力も伸ばし、集大成の全日本選手権フリースケーティング(FS)で競技人生最高の演技を見せた。そんな氷上の表現者石塚玲雄が、スケートを通して伝えたものに迫る。

 

 

第30回 FW杉本華唯/アイスホッケー (3月5日)

 

 早稲田スポーツ新聞会が取材した写真のフォルダを見返すと、FW杉本華唯主将(スポ=北海道・駒大苫小牧)の写真が数多く並ぶ。それはアイスタイムの長さだけが原因ではない。カメラを追わせ、自然とシャッターを切らせる杉本のスケートが氷上で咲いているからだ。華やかで泥臭い主将として部を引っ張ってきた、杉本のスケート人生とこれからに迫る。

 

 

第29回 津田誠人/バスケットボール (3月4日)

 

体現すること

 為せば成る」――。津田誠人(スポ=京都・洛南)が1年時の主将を務めた濱田健太(平31社卒=現東京海上日動)の座右の銘だ。2018年の全日本大学選手権(インカレ)2回戦で、『俺は絶対に決める』と言ってコートに向かった濱田のスリーポイントが決まり、早稲田が残り2秒で逆転勝利を収めた。「発言することで、まるで未来を決めているかのような方だった」と津田は当時を振り返る。決めたことは必ずやるという濱田の姿勢は、津田自身にも影響を与えた。主将として、4年生として、「自分が率先してやることや、自分が言ったことを体現することをずっと突き詰めてきた」という。それは、たとえコートに立てなくても同じだった。

 

 

第28回 宮本一樹/バスケットボール (3月4日)

 

限られた4年間

 2月12日、わずか27秒の出場時間だったが、宮本一樹(スポ=神奈川・桐光学園)が初めてBリーグの舞台に立った。中学生の時から全国区で経験を積んだ宮本は、カテゴリーが上がるにつれて、プロに行きたいという気持ちが強くなっていったという。しかし、大学ではけがに悩まされる時期もあり、順風満帆だったわけではない。それでも、大学生活を通じて「学生バスケって本当にいいな」と思うことができた。宮本は今、早稲田での4年間を糧に、さらなる高みを目指している最中だ。

 

 

第27回 神山夢来/バスケットボール (3月4日)

 

仲間に恵まれて

 試合中、笑顔で楽しそうにプレーする姿が印象的な神山夢来(スポ=埼玉栄)。4年時の全日本大学選手権(インカレ)では、主将としてチームを5年ぶりのベスト4へと導いた。「とにかく人に恵まれた」という大学での競技生活を振り返る。

 

 

第26回 青沼健太/ハンドボール (3月3日)

 

気づきと変化

 「結局自分が成長させてもらった1年間だった」――。青沼健太(社=千葉・昭和学院)は、主将としてチームを率いたラストイヤーをこのように振り返った。「チームのために」と周囲に目を配り、意見を聞き、考え続けた先にあったのは自らの成長であった。巧みな攻撃と頭を使ったプレーでチームに貢献し、強いリーダーシップで仲間を引っ張った青沼。悩みながらも様々な気づきを得た4年間を振り返る。

 

 

第25回 紅林詩乃/ハンドボール (3月3日)

 

背負い続けた4年間

 「主将も何も背負わなくていいハンドボールができたら、幸せだったのか確かめたい」。もし入部する前に戻ることができたらどうするかと聞かれ、紅林詩乃(スポ4=東京・佼成学園女)はそう答えた。ここまでの4年間、さまざまな立場で思いを背負ってきた。その重さは計り知れない。だからこそ、この言葉が出てきたのだ。

 

 

第24回 新井健伸/ヨット (3月2日)

 

共に過ごした『海』と『チームメート』

 「大自然と一緒に戦える」。ヨット競技の面白さを新井健伸(商=東京・筑波大付)はこう語った。大学から競技を始め、部で合宿生活を送る中で朝から夜、春から冬とずっと海を見てきた。選手としてさまざまな経験を重ねてきた新井は、強豪・早大ヨット部で過ごした4年間、そして主将として連覇を成し遂げた最後の1年間で何を感じたのか。大学生活をささげたヨット部での記憶を振り返る。

 

 

第23回 石丸圭吾/米式蹴球 (3月1日)

 

初志貫徹

 順風満帆ではなかった。自他ともに認める不器用さがあった。それでも一貫して圧倒的な努力を積み重ね、徹底的にやり遂げた石丸圭吾(政経=埼玉・栄東)の4年間。ラストイヤーはディフェンスリーダーとして、副将としてチームをけん引した。そんな石丸の喜びと苦悩の4年間を振り返る。

 

 

第22回 永山開一/米式蹴球 (3月1日)

 

愚直

 「本当に申し訳ない気持ちでいっぱい」ーー。永山開一(教=東京・足立学園)は何度もこの言葉を口にしながら、忘れられない敗北の味を噛み締めていた。低学年時からBIG BEARSのDLとして試合に出場し、ビッグプレーを量産してきた永山。4年時には自ら主将に立候補し、大学生活の全てを悲願の「日本一達成」のために費やしてきた。誰よりも「愚直」にフットボールと向き合い、チームに影響を与え続けた永山の「これまで」と「これから」に迫る。

 

 

第21回 鈴木涼也/剣道 (2月28日)

 

重要視したのは、部員とのコミュニケーション

 前年度の早大剣道部を、全日本学生優勝大会ベスト16まで導いたのは主将の鈴木涼也(社=佐賀・龍谷)。前年度のコロナ禍の制約を経験した後、主将を引き継ぎ意識したのは、自分だけでなく部員全体を注視し、活発なコミュニケーションを通じてより部を結束させることだった。

 

 

第20回 浅野円花/剣道 (2月28日)

 

仲間がいたから

 女子主将として、チームを6年ぶりの全日本女子優勝大会(全日本)に導いた浅野円花(社=岐阜・中京)。後輩たちが「本当に大好きなチームだった」と振り返るほどのチームをつくりあげてきた。けがやスランプなど、さまざまな困難を乗り越えた先で浅野が手にしたものは、自分なりの『主将像』だった。

 

 

第19回 仲濱陽介/男子バレー (2月25日)

 

誰かのために

 難しい、プレッシャーだと多くの選手が口にする途中交代でチームを救ってきたのがセッター仲濱陽介(スポ4=愛知・星城)だ。「大学時代が1番苦しかった」。そう振り返る仲濱とって、早大での4年間は彼の人生にどんな物語として刻まれたのだろうか。バレーボール人生を紐解いていく。

 

 

第18回 竹端健太郎/体操 (2月23日)

 

「修行」を乗り越える原動力

 「なんか修行みたいな感じですよね」。竹端健太郎(スポ4=京都・洛南)は自身にとっての体操をそう語る。U-21強化選手(U-21日本代表)入りを目指し、強豪の洛南高校から早大に進学。期待十分に飛び込んだ大学での体操だったが、苦しいことも多い4年間となった。卒業後は体操競技から離れる竹端。体操人生を振り返り、その原動力に迫る。

 

 

第17回 岡村泰靖/ボクシング (2月22日)

 

全力で過ごした4年間

 「人生で最も消費カロリーの多い4年間だったと思います」。ボクシング部で過ごした日々をこう振り返った岡村泰靖主将(商4=東京・早実)。いかにしてボクシングと出会ったのか。ボクシング部で仲間と過ごした時間で、何を感じ、何を思ったのか。岡村の4年間を振り返る。

 

 

第16回 岩越帆香/卓球 (2月21日)

 

4年分の感謝

 全日本大学総合選手権(インカレ)で優勝を果たした卓球部女子。チームを率いたのは、岩越帆香(スポ=福岡・希望が丘)だ。個人戦ダブルスでもインカレの頂点に立つなど、輝かしい成績を残して卓球部を引退した。「自分が入れるとは思っていなかった」という憧れの早大に入学してから、主将として日本一をつかむまで。試練も栄光も経験した充実の4年間を振り返り、岩越は周囲の人々への『感謝』を口にした。

 

 

第15回 五十嵐史弥/卓球 (2月21日)

 

『日本人初』の挑戦

 卓球イタリアリーグ。そこに日本人で初めて参戦したのは、五十嵐史弥(スポ=石川・遊学館)だった。早大では、新型コロナウイルスの感染拡大やケガを乗り越え、最後の1年間は主将としてチームをまとめた。日本とイタリア、2カ国を舞台に『強さ』を追い続けた4年間を終え、「早稲田に入って良かった」という五十嵐。その挑戦を振り返る。

 

 

第14回 牛尾哉太/馬術 (2月20日)

 

思い出の馬たちとともに

 早大馬術部の主将として過ごした1年間を、「非常に大変で頭を悩ますことも多かったんですが、振り返ってみると非常にやりがいのある仕事ばかり」で、人間的にも大きく成長することができたと振り返った牛尾哉太(人=兵庫・福崎)。馬歴は大学からで、次期主将に決定した後の取材では驚きとともに少し不安な部分もあると話していたが、競技及びチーム作りにどのように取り組んできたのか。コンビを組んできた馬匹への思いとともに、その軌跡を振り返る。

 

 

第13回 加藤希/女子サッカー (2月19日)

 

「やりきった」日本一に導いた主将のサッカー人生

 過去に何名もの選手をなでしこリーグに送り込み、2021年に新設された日本女子サッカー初のプロリーグ、WEリーグには現在10名のOGが在籍するア式蹴球部女子(ア女)。創部30周年を迎えた2021シーズンを主将として率いたのがDF加藤希主将(スポ4=アンジュヴィオレ広島)だ。大学最後の大会となった全日本大学女子選手権(インカレ)で優勝し、有終の美を飾った加藤のサッカー人生に迫る。

 

 

第12回 西川玄記/男子サッカー(2月18日) (2月18日)

 

早慶クラシコに捧げた4年間

 2021年10月24日、西川玄記(スポ4=石川・金沢桜丘高校)は早慶クラシコの舞台を見つめていた。4年間の集大成として、自分が作り上げた早慶戦を終えての感想は「結果は自分の実力だが、負けた」。試合の勝敗ではない、自分の望む最高のクラシコを作り上げることができなかったことに対する敗北だ。早慶戦に全てを捧げた男が4年間のア式生活と学生生活で得たものとは何だったのか。

 

 

第11回 倉持快/男子サッカー (2月18日)

 

早稲田で築いた自分らしさ

 早稲田が誇るスピードスター、倉持快(人=神奈川・桐光学園)。天性の圧倒的なスピードを武器に、第一線を駆け抜けてきた。中学、高校では全国の舞台を経験し、選手としての実績も十分。しかし、早稲田入学後はケガや不調に苦しみ、思うようにいかない時期も多かった。ア式蹴球部(ア式)での4年間を終え、サッカー人生に一つの区切りがついた今、倉持は何を思うのか。倉持のサッカー人生に迫る。

 

 

第10回 二見颯騎/相撲 (2月15日)

 

自分次第

 「正直悔しい気持ちもあるが、そういった経験も含めて成長できた」。けがと新型コロナウイルスの影響に苦しんだ最後の1年を、二見颯騎(スポ=東京・足立新田)はこう振り返った。相撲を始めて16年。早大相撲部での4年間を中心に、これまで二見が歩んできた相撲人生を振り返る。

 

 

第9回 本野凜太郎/弓道 (2月14日)

 

自分を『信じ』、仲間を『信じ』た4年間

 日本一という目標を掲げて奮闘した本野凜太郎(人4=東京・國學院久我山)。未経験から弓道を始め、主将としてチームを鼓舞してきた。弓道とは『信じること』と語る本野の4年間はどのようなものだったのだろうか。

 

 

第8回 百瀬敦也/柔道 (2月13日)

 

主将として、柔道家として

 「柔道をしていた日々がどれだけ充実していたか」――。柔道漬けの日々からの解放感もつかの間、百瀬敦也(社=長野・松本第一)は埋めようのない空白に寂しさをこぼす。大学生活の4年間で柔道人生にピリオドを打ち、一般企業に就職することは前から決めていた。「柔道家としてあまりにも後悔が残る試合はしたくない。」集大成が近づくにつれ、その言葉の重みが増していく。主将として早大柔道部を牽引したラストイヤーは決して順風満帆ではなかったが、それでも周囲への感謝は尽きなかった。そんな百瀬の4年間を振り返る。

 

 

第7回 船木豪太/漕艇 (2月12日)

 

『人間万事塞翁が馬』

 船木豪太主将(スポ4=静岡・浜松北)はインタビューの最後に大学の競技生活を表す言葉として「人間万事塞翁が馬」を挙げた。全日本大学選手権(インカレ)で2位の好成績を収めた男子エイトを率いた男子部主将に漕艇部での生活を振り返っていただいた。

 

 

第6回 宇野聡恵/漕艇 (2月12日)

 

クォドルプルにささげた4年間

 クォドルプルにささげた4年間だった。宇野聡恵主将(スポ4=大分・日田)は1年生からずっと早大女子部の花形・クォドルプルに乗り続けた。練習でもタイム測定以外はほとんど一人でボートをこぐことはなかったという。1年次、初めての全日本大学選手権(インカレ)で優勝するとそのまま三連覇。しかし、4年生のラストレースでは惜しくも2位という結果に終わった。今、宇野が抱える思いとは。

 

 

第5回 杉田栞/庭球 (2月11日)

 

全身全霊を注いだ4年間

 「いろいろな思いが口に出てしまった」と杉田栞(社=埼玉・山村学園)は卒部式で自らの苦しかった思いを語った。それは大学4年間で部活をやりきったからこそ言える言葉であった。それもそうだろう。なかなかプレーでチームを引っ張ることができず、団体戦ではサポートの立ち回り。2年生の時には王座の連覇が途絶えるというつらい経験もした。主将としてもレギュラーの気持ちに寄り添いきれているのかという不安がつきまとった。それでもチームの精神的支柱として言葉で部員たちを鼓舞し続けた杉田。同期や後輩にも助けられながらチームを再び浮上させ、王座奪還を目指して戦った。その中で杉田は人間的にもさらに大きく成長していった。

 

 

第4回 畠山尚/庭球 (2月11日)

 

愚直に歩み続けた4年間

 名実ともに日本一の庭球部の主将としてチームを引っ張った畠山尚(スポ=神奈川・湘南工大付)の大学テニス生活は最初から順調だったわけではなかった。入学してからはなかなか結果を残せず、もどかしい日々。主将になってからも同期が少ない中でチームを率いていけるか最初は不安だった。それでも、増田健吾(社3=東京・早実)とのペアで徐々にレベルアップし、結果を残せるようになると3年時の全日本学生室内選手権(インカレインドア)で準優勝という好成績を残し、団体戦にもダブルスの1番手として出場できるように。プレッシャーと戦いながら王座優勝という目標に向かって、地道に進み続けた先には最高の景色が待っていた。

 

 

第3回 今井脩斗/野球 (2月10日)

 

苦境から掴んだ三冠王

 2021年10月31日、長きにわたる東京六大学リーグ戦(リーグ戦)の歴史に今井脩斗(スポ=埼玉・早大本庄)は戦後15人目の三冠王として名を刻んだ。昨年の秋季リーグ戦、優勝争いを繰り広げた早大打線をけん引していたのは間違いなくこの男だっただろう。そんな今井も初スタメン、初安打はともに4年春。決して注目されていたわけではなく、度重なる故障にも悩まされるなど、順風満帆とは到底言い難い大学野球人生であった。そうした中ラストイヤーに飾った有終の美。そこには活躍を支えた仲間の存在、そして今井なりの考え方があった。

 

 

第2回 福本翔/野球 (2月10日)

 

覚醒の2番

 2番打者。打線のつながりを生み出すため、犠打や盗塁など様々な役割が求められる重要な打順である。その役割を昨秋の東京六大学リーグ戦(リーグ戦)で任せられた男、それが福本翔(社4=東京・早実)だ。春はけがに悩まされたものの、夏のオープン戦で好調を維持し、迎えた秋に覚醒した。10試合全てで安打を放ち、打率は4割に乗せ、ベストナインにも選出された。チームの中心として準優勝に大きく貢献した福本だが、大学で競技の第一線を退くことを決めている。福本の大学4年間、そして競技引退の決断に迫る。

 

 

第1回 丸山壮史/野球 (2月10日)

 

主将の成長

 「早稲田に来て良かった」――。丸山壮史(スポ=広島・広陵)は4年間をこのように振り返った。堅実な守備と勝負強い打撃でチームに貢献。ラストイヤーは野球人生で初めて主将を務め、熱い気持ちと確かな実力で仲間を率いた。栄光も挫折も存分に味わった4年間。誰よりも明るくひたむきに野球に向き合った丸山のこれまでを振り返る。