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2021.11.11

【特集】河合純一パラ事後対談前編

 東京パラリンピックで選手団団長を務めた河合純一(教育=東京・筑波大学付属盲学校)さん。教員免許を持つ河合さんが教師人生を通して感じた福祉教育、そして本質的なバリアフリーを実現するには何が必要なのか――。前半では障害者理解に向けて日本が背負う課題について詳しく伺いました! 

※この取材は9月28日に行われたものです。

「できることを経験してみることが大切」

東京大会でパラ団長に就任した際の河合氏

――最初に河合さんご自身のお話を少し伺いたいんですが、早稲田大学に入学した理由っていうのを改めて伺ってもいいですか

 だいぶ昔なのですけども、もともと教師になりたかったんですよ。それで教育学部がある大学を探していました。東京には高校から上京してきて、早稲田キャンパスから歩いて30分弱ぐらいのところに高校があったんです。(高校は)文京区目白台なので、そこから近いこともあり、高校の先生にも早稲田卒の方々が多くいました。そこから憧れるようになって。もうひとつは、高校になってからほぼ見えなくなりました。読めなくはないですが、いわゆる点字を読むスピードが遅くて、そういうところで一般入試だとなかなか試験時間中に問題を読み終えるのは難しかったです。なので、推薦入試がある学部とかを探しながら検討して、結局早稲田の教育学部を受験したというのが経緯です。

――他の大学にない良さは感じましたか

 当時はそもそも今の東京大会が終わった直後の(盛り上がりの)ようなものはなかったです。講義でも話したことがあるかもしれませんし、笑い話のようですが、最も大きく取り上げてみたら早稲田スポーツ(新聞)だったかもしれません。アトランタで金メダルを取ったことを一面で早稲田スポーツが取り上げてくれました。すごく思い出に残っていますね。たぶん昔のバックナンバーを探したら、1996年のものを見たら多分出てくると思います。

――教員になりたいという夢があったというお話がありましたが、教員を目指した理由は何がありましたか

 小学生の頃に担任の先生に憧れて、公務員で安定てるしいいんじゃないかとか。うちの両親も共働きで決して裕福でもない、普通に育ってもらいましたから、まあそんな程度だったんですよね。

――社会科を選ばれたのは理由があったのですか

 社会科は嫌いではもちろんなかったですが、教師になるには教育学を勉強しなきゃだめだと思い込んでいた時があって。そして教育学科教育学専修に受験して入りました。そこでは社会科しか取れなかったので社会科を取ったという感じですね。

――トレーニングと教職課程を両立させることは大変ではなかったですか

 大変でしたけど、その頃は今と全然違って、プロとして生きていくなんていうことは、プロ野球ぐらいしかありませんでした。当時から仕事をしながら続けるというのが前提みたいなところがありました。そのためだけに、勉強しなくていいとは全く思えなかったので、その中でやれる努力をしようと思っていました。教職の成績も良かった方がいいんでしょうけど、最後はちゃんと単位を取れれば免許をもらえるかな、くらいに割り切ってやってところはありました。

――どのように授業をされていたんですか

 いわゆるチームティーチングと言って、もう一人の先生と一緒に授業をやっていましたね。

――河合さんが発信したことを補助の先生が板書などをするというかたちなのでしょうか

 そうですね。

――教師をする中で意識されていたことはなんですか

 社会かは常にもちろん歴史とかって変わらないように思えます。見方とかどの立場からその時代の社会を見るかで、その時代の状況が全然違って見える。要するに、例えば戦争ひとつとっても勝った国から見た歴史の戦争観と、負けた国から見た歴史の戦争から全然違うわけですし。事実はある種一つでありながら、見方や感じ方とか考え方というのは多様であるっていうこととかを伝えていました。とはいえ、史料に基づいて物事を考えていくということはとても大切だとも思っています。どうしても暗記科目みたいなイメージが、社会科は大きいんです。ですが、じっくり考える、読み取ることを通じて、そういう物事の見方考え方を学んでいってほしいというのはすごく思っていました。

――教員の時に生徒からパラリンピック出場に向けて背中を押されたというお話を拝見しました。生徒からはどのような刺激をもらいましたか

 生徒たちからは「またパラリンピック行かないの?」みたいなそんな何気ない会話だったと思うんですよ。まぁでも結局、人から言われたからどうこうじゃなくて、自分自身がやっぱり好きだったり行きたいなという気持ちがどこかにありました。それを。何か仕事だとかまだ教師になりたてで、そんな中で自分はわがまま言っていていいんだろうか、という悩みという葛藤がある中で、最後に背中を押してもらったような感じでしたね。

――その後大学院に進まれたと思いますが、理由は何があったのでしょうか

 大学ではもう単位だけ取れれば最後は免許とれればいいかなって思ったぐらいのところもありました。なので、やっぱりちゃんとまじめに勉強しなきゃダメだなって。そうしないと子供たちに失礼だなって思うところもありました。教員になってもう6、7年目とかになる頃なので、それでというのは厳しいなと思っていました。

――大学院ではどのようなテーマを勉強されたのですか

 障害理解教育というジャンルがちょっとあって、そこをテーマにしていました。要するに、障害者の大変さだけじゃなくていいんですけど、有用感とかをどうやったら障害のない方々が理解することができるかということを伝えるプログムの開発だとかを研究していました。

――実際その後の講演会などで活用されたのでしょうか

 そうですね。いろいろな授業とかでも話しているように、例えば障害の社会モデルみたいな考え方があって、障害者と呼ばれる人が何らかの不自由さや不便さによって苦労してリハビリとか、障害者と呼ばれている人が努力をすることによって問題を解決していくという考え方が医学モデルとか、個人モデルと言います。やっぱり障害者理解という中で段差がないスロープを用意していないような社会の側に課題があると思います。まさに障害を解消していくべきは、社会の側であるというような立場に立つような考え方がちょうど生まれてきていて、日本でも広まりだした頃だったんです。そういう風に考えると、誰もが生きやすい社会を作るヒントになっているんだろうなとも思っています。環境調整をするとかっていう言い方も当時していましたし、もっと言うと、今だと法律的にいえば合理的配慮という言葉が代表しますが、障害のある人に何かをしてあげるという過度なサービス提供が逆に差別なのではないかという意見も片方であります。ただ、合理的な配慮として提供することが今国連も言っているように、ひとつの人権保障として取り組むべきという考え方が広まりつつあった時でした。なので、そこも踏まえて障害について正しく知ってもらえるといいのにな、と思っていました。そういう経緯でそんな研究テーマに決めました。

 その頃ぐらいに総合的な学習というのが流行り出しました。いわゆる福祉教育ということで、車いす体験をしたりとか、アイマスクをやったりとか。子どもたちが障害のある人たちの気持ちに近づいて考えてみようという授業が流行りだしたんです。これには僕自身すごく違和感があって、そのような体験の感想文を読む、例えば目隠しして歩いたりとかしたときの感想文は「こんなに怖いことを経験していて彼らはすごい」だとか、「目が見えないなんて私だったら死んでしまいたいと思った」とか、そういう感想が多いんです。それは話が違うじゃないですか。

 もちろん個人差があるので、一概に障害者をわかるという話じゃないというのもあります。とはいえ、過度に障害のある人っていうのは不便ではあります。ただ、そこを強調するような教え方って、どうなんだろうと思いつつも。そうじゃなくて、むしろ障害があってもできることがあるとか、どうすればできるか、どう工夫してやっているかという方が意味があると思っていました。なので教え方を含めて、いわゆる体験が目的化するという言い方をしますが、障害の疑似体験をすることが授業の目的になっています。体験すれば障害のある人の気持ちに迫れるであろう、という仮説に基づいてやっているだけで、むしろ一時的に不自由な不便な状態を作っています。障害イコール不便、不自由で不幸なんだ、みたいな方程式を教え込むような授業になっています。体験を交えた理解教育の理論と実践についての論文を書いていますので、ぜひ読んでみてください。

――本質的に健常者が障害者理解をするためにはどのような教育がいいのでしょうか

 できることを経験してみることが大切かなとつくづく思っています。例えば目をつぶって自分の名前を紙に書いてみるとか、自分の小銭入れにいくら入っているか目をつぶって当ててみるとか、そういうのをやると結構色々と気付くポイントがあると思うんです。例えば今目をつぶって自分の名前を書くとするじゃですか。たぶん書けると思うんです。だけど、書いたときにまっすぐ書けるかとか、きれいなバランスで書けるかとか、そういうところに苦労するんです。つまり、見えないということはそういうことに苦労するということを気づけること、あと見えない人は字が書けないんだろうという先入観をなくすことができるわけです。

 まさに視覚障害児に対する教育とかにもつながっていきます。あと先程のコインの話とか、日本のコインは全部触って大きさや側面のザラザラ、ギザギザが付いているか付いてないかとか、穴が開いているかどうかだけで全部指で触って判別可能なんです。見ながら色とか数字を見て人のだいたい判断しますが、100円も10円も50円も5円も触ればわかるようにできているんです。その判別するポイントを知らなかったりします。日頃見ていることによって目に頼るから、そういうことを意識できていないですが、逆に目をつぶってインプットした情報に基づいて触りながら判別してみると、分けることができたという経験を瞬時にやれるようになっていった人たちと考えれば、できないことじゃなくて皆さんと違う視点で物事を捉えながらもやり方を考えてできている人なんだよね。要するにできることをできないと思ったけど、できることを経験することによって触覚とかの感覚を見えてない人たちに比べて、見えている人たちは言葉を選ばないと退化しているわけですよね。

 そういうことに気づけば障害のある方々が自分とは違った感覚や能力というと言い過ぎだと思いますが、そういうものを活用しながらでも、この同じ時代を生きていく仲間なんだと思えるような感覚に近づけるんじゃないのかなと思いますね。

――先程の2つの事例でいうと、体験しながら出来ることにも気づきつつ、本当のサポートすべきことが理解につながるということなのでしょうか

 そうですね。それが障害者理解だと思います。男性と女性が違うと言って、何をもってその違いを理解したというのかって難しいですよね。なかなか他人のことをわかるとか、そういうことがそもそもおこがましいということに気づけるかどうかだなと思うんですよね。わからないからこそわかろうとするからコミュニケーションを取ろうとするし、関わろうという意欲につながっていくと思うんです。良い人間関係が構築されていたりとか、繋がりが生まれてまたネットワークが広がっていく相乗効果なんじゃないかなと思うんです。

「受容するということがすごく重要」

――今は結構安直にバリアフリーだとか多様性とか言われる時代になってきてるとは思うんですが、現在世の中で障害者理解ということで行われているマイナーチェンジに対してはどのように感じていますか

 先ほどいった個人モデルと社会モデルによっても考え方や捉え方が違っています。例えば法律は全部漢字が障『害』の字を使っていますよね。ひらがなにはなっていないんですよ。個人モデルで言わせれば、害のある人達と思われるのを避けるため、平仮名にすることによってそれらを中和するという効果があると思います。でも社会モデルの立場に立つと、社会が障害を作っていて、その障害を感じている人たちっていう意味で言ったら害は社会の側にあるから、別に漢字でもいいんですよね。法律にのっとっているから、社会モデル視点だから(害を)漢字で書いてあるのかとか、その違いまでを平仮名か漢字かだけに判断はしきれないので、非常に難しい議論になるんだろうなと思います。

――どのモデルとか視点に立っているかを理解しない限り、あまり解決になっていないということでしょうか

 そうそう。例えば子『ども』というのも漢字で書くのかという問題があります。そもそも子どもは大人に寄り添っている存在として子どもがいるから漢字を使うんだっていう人たちがいる中で、子どもはそもそも子どもとしての人格があるんだから平仮名の方がいいんだという。これは教育学では昔から論争がある話で、同じようなことだと僕は認識しています。

 それよりも障害というのは、『害』を社会が作る側なのか障害者と呼ばれる人の側にそもそも付着しているという捉え方をするかで分けられるんじゃないかなと思います。僕としては、障害を持っているという表現は使わない、障害があるという言い方をするように心がけています。持つということは自分の意思に基づいて持つ手放すを判断できるっていうふうに思うと、今日は目が見えないのが不便だから置いていこうということはできないので、そういう表現は適切ではないと考える立場なんですよね。そういう何気ない言葉のひとつひとつ特に新聞とか書いている側だと言葉選びがすごく難しいと思います。ですが、そういうこだわりというのは結構重要で、よく何年か前にも言われたし話もしたことありますが、障害ってよくパラリンピックで金メダルを取って、障害を乗り越えて強い意志を持っているんだという話をされることがよくあるんです。僕は障害を乗り越えたのかといわれると、別に今でも目が見えないまま生きているわけじゃないですか。乗り越えたって言った瞬間見えるようになったわけじゃない。なのに、そんな表現を使っているのって何かおかしくないですか。

――そうですね。持つというとやっぱり意識的なところを強く感じますし、障害の漢字の事に関しても記者の使う辞書だとそのまま漢字になっていたりします。今後本当の意味でバリアフリーが実現されるためには何が必要だと思いますか

 そもそも先ほどバリアがあるものを前提に社会を考えていくべきなのかというのはまず一個あって、ユニバーサルデザインだとかアクセシビリティみたいな言葉が生まれています。バリアフリーって日本がすごく好きな言葉なんですよね。要するにバリアがある前提でバリアをなくすというのがバリアフリーじゃないですか。そうじゃなくて、最初から誰もが使いやすいものを作っていくというのがユニバーサルデザインであったり、アクセシビリティとかアクセシブルだったりだと思うんです。だからあんまりもっともっとそういうそもそもの発想になっていく人たちが今の若い世代が、今回のパラリンピックを通じて視点を獲得してくれたのであれば大人になってからも、その視点を大切に生きていってくれることで社会が変わっていくんじゃないかなと思います。そういうところから、バリアフリーという言葉が流行っている日本自体にも少し問題があるのかもしれないと思います。

――河合さん自身が自分の個性として障害を受け入れたきっかけは何かありましたか

 受け入れざるを得なかったというのが今も含めて、受容するというのはすごく重要なことなんだと思います。だから最初からそれを受け入れようとか、そう思っていたわけじゃないと思います。年をとって教示しながらつくづく思ったのですが、社会という学校の中でそういうコミュニティーがあったら大なり小なりいじめみたいなことって起こりたりするわけじゃないですか。教員はいじめの起こらない社会とか学級、学校がいいです。教師をやりながら言うのもなんですが、そんな社会はないと思います。別にいじめを容認しているとかじゃ全然ないです。職員室でもいじめとか起きているから。だから先生の中でも精神的に参っちゃう人がたくさんいるんです。そんなことしている学校の先生たちが子どもたちにいじめんなって言っているのがおかしいなって思っていました。

 そう思ったとき、重要なことは何か起きたときにすぐに対応したり、やっぱりいつでも安心できる環境を用意できたりできるか、一つの過ちがその人を再起不能なまでにする。過ちはあってはならないと思うんだけど、過ちのない人生を歩んで生き続けられる人の方が世の中少ないと思うんです。中高生の頃なんて思春期だし、いじめをゼロにするというのが目的ではなくて、いじめが起きたときにすぐ対応できるとか、いじめを許さないという雰囲気をちゃんと作っておくということが僕は大切だと思いました。

 これは子どもに限らない問題だと思います。差別はなんでなくならないのかという話があるじゃないですか。人権問題とか人種差別がいまだに多くあります。日本の障害者に対する差別というのは、無意識的な差別偏見という根深い問題が起こっています。まだ差別しているという認識がある方が直しやすいわけです。

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【中編】東京パラリンピックを振り返って(明日公開)

(取材・編集 小山亜美、写真 共同通信社提供)

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