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バレーボール部

2021.10.14

【特別企画】大塚達宣ロングインタビュー~日本代表の活動を終えて~

 昨年度初めて男子日本代表チームに選出され、今夏東京五輪出場を果たした大塚達宣(スポ3=京都・洛南)。9月に行われた第21回男子アジア選手権大会(アジア選手権)で今年度の日本代表での活動を終えた。日の丸を背負って戦ってきた半年間を振り返って思うこととはーー。

※この取材は9月30日に行われたものです。

「今年は誰かを蹴落としてまでも勝ち残るアグレッシブさがあった」

日本代表での活動について話す大塚

――まずは代表での活動お疲れさまでした。活動を終えましたが、振り返ってみていかがですか

今年は五輪イヤーということもあって、代表のチームとしても本当に大事な1年でした。4月からのこの半年間、自分たちが満足いく成績ではありませんでしたが、チームとして最低限の成績は残せたと思いますし、すごくいい経験もさせてもらいました。次のパリ五輪に向けてもうチームはスタートしているので、この経験を生かしてまたここから頑張っていこうと思います。

――4月から代表の合宿に参加されていましたが、どのようなことを意識して練習に取り組んでいましたか

一番大きな大会は五輪だったので、そこの12人に残るために自分がどういうふうに個人としてアピールしていくかを意識して合宿では取り組んでいました。五輪のメンバーが決まってからはチームとして一つになって勝ち進んでいくというのが大事だったので、チームの中で自分がどのような役割を果たせるのかを考えながら過ごしていました。

――国際試合がなかった昨年と比べて、今年は海外との試合がたくさんありました。環境が大きく変わり、とてもハードで長期間緊張状態が続いたと思いますがいかがでしたか

今おっしゃってもらった通り、やっぱり毎日精神的なプレッシャーはありました。特にメンバー選考の段階では、一日一日を大切にしてアピールする場だと思って過ごしていました。良い意味でとても競争心がある環境でずっとバレーボールができたので、そういった意味では本当に自分にとってもシビアな世界というか、言い方は悪いですが、誰かを蹴落としてまでも勝ち残るというアグレッシブさが、昨年の国際大会が無い1年間と比べると今年はあったのではないかと思います。

――大塚選手はアンダーエイジカテゴリーの代表でもご活躍されていましたが、シニアの代表はやはり雰囲気が違いましたか

アンダーエイジカテゴリーのときから日の丸を背負って戦うという自覚や責任はありましたが、やっぱりシニアの代表は全然重みが違いました。国を背負ってというよりは、日本の全バレーボール選手の代表として戦っていかないといけないという自覚があったので、アンダーエイジカテゴリーのときと比べたら、より強い自覚と責任を持ってプレーをしていました。

――FIVBネーションズリーグ(ネーションズリーグ)ではオポジットもされていました。驚きの声が多くありましたが、任されたときはいかがでしたか

オポジットをやってみようという話になったのはイタリアに着いてからで、大会の2、3日前くらいにいきなり言われました(笑)。自分自身びっくりしたところもありましたが、普段と違うポジションでも試合をたくさん経験させてもらえるなら、どんどん挑戦して自分ができることを全部やろうと思いました。途中交代でチームの流れを変える状況もありましたし、自分のプレーの幅が広がったという意味でもとてもいい経験になったと思います。そういうことをやらせてもらえて良かったと思います。

――レフト打ちとライト打ちでボールの通過点が違いますが、打ちづらくありませんでしたか

僕自身レフト打ちをメインでやっていたので、ライト打ちが少し苦手な部分がありました。ずっと練習してきたのですが、なかなかつかめなくて。大きい選手を相手にライト打ちをやるということは今まで無かったのでやっぱりネーションズリーグの最初の方は苦戦しました。でも、コーチ陣といろいろ話をしながらどんどん改善していくことができて、今回のアジア選手権ではもう自信を持ってライト打ちをすることができていました。苦手だった部分を克服して、自分に自信を持ってプレーできるようになったことは自分にとってもいい収穫だったのではないかと思います。

――ネーションズリーグでは試合を重ねるごとに決めるようになりましたが、そこでご自身の武器が一つ増えたという実感などありましたか

武器が増えたというか、それができることによって「ここでも大塚使えるよ」みたいに選択肢の幅が確実に広がっていたと思います。そういった意味では、個人のアピールというところで考えても大きかったのではないかと思います。

「代表で学んだことを早稲田にも伝えたい」

――アジア選手権についてお聞きします。オリンピックでは出場機会が少なく悔しさはあったと思いますが、どのような気持ちで、どのような目的意識を持って臨まれましたか

オリンピックはそこまで出場機会は多くありませんでしたが、アジア選手権では毎日試合が続いたので、大会を通して必ず全員が少なくとも一回はコートに立つことは分かっていました。そこで出たときに、自分が今までの半年間代表でやってきたことを全部出すことだけを考えていました。自分ができることを考えてプレーすることがチームに貢献することだと思っていたので、そういう気持ちでコートに立っていました。

――スタートから出場した初戦のカタール戦を振り返っていただきたいと思います。ご自身のプレーをどう評価していますか

オリンピックでは試合に出る機会が少なかったので、外国人の選手を相手にするのはネーションズリーグ以来という感覚でした。普段日本人同士で練習している感覚とは少し違うなと思っていて、自分の納得いくプレーはできませんでした。でも、その中でも試合は毎日続いていて、それに引きずられていたらどんどんネガティブな方向に行ってしまうので、切り替えて次の出場機会があればそこでまたいいプレーをしようと思って過ごしていました。

――結構サーブで狙われていましたが、プレッシャーがかかったりその後のプレーに影響が出たりしましたか

対角がレシーブのうまい髙橋藍選手(日体大)だったので、狙われるのは分かっていたというか(笑)。自分に来ることが分かっていたので準備はできていましたし、そこまでプレッシャーは感じていませんでした。それ以外のプレーにもそこまで大きく影響が出ることはなかったと思います。自分の中で満足のいく結果ではありませんでしたが、もっとアグレッシブにプレーできたんじゃないかなと思った部分はあったので、そういった意味では不完全燃焼気味で終わってしまった試合だったと思います。

――スパイクやサーブに関して「もっとアグレッシブにプレーできた」のでしょうか

スパイクもサーブもそうですし、相手が次の攻撃をしにくいところにラストボールを返すとか、少し甘いプレーが多かったので。それはスパイクだけでなくサーブもそうですし、そこら辺がまだ自分に自信をもってプレーできていなかったと思います。もっとできたんじゃないかと思います。

――インド戦では活躍されていて、切り替えてプレーされていた印象を受けました。どのようなことに留意して試合に臨みましたか

先ほども言いましたが、自分のやれることを全部やることを第一に考えたときに、カタール戦はそれができていませんでした。ミスのことやネガティブなことを捨てて、練習でやってきたことだけを出そうと意識していたので、前向きな気持ちで試合に臨めました。

――先ほど「試合はどんどん進んでいくので次のことを考えないといけない」とおっしゃっていました。アジア選手権の期間は自分のプレーについて時間をかけて振り返ることはできなかったと思いますが、終えて振り返ってみて自分の良かった点と改善点をそれぞれ挙げていただけますか

シーズンの始めの中国の試合(東京チャレンジ)の頃と比べると、世界相手に通用するプレーが増えてきたんじゃないかなと思いますし、この半年間を通して成長できたと思います。でもまだまだプレーの質も上げていかないといけないと思いますし、代表で途中出場するケースも結構あったので、気持ちの作り方もこれからもっとやっていかないといけないと思いました。

――今年の代表の試合では途中出場する機会が多くありましたが、ご自身の中で一番良かった試合はありますか

途中で自分が出るときはチームの雰囲気や流れが良くないときなので、そこで自分が今出ていた選手よりもいいプレーをしようという考えではなくて、アジア選手権の台北戦でもそうでしたが、雰囲気や流れを変えることを意識していました。正直石川さん(祐希、ミラノ)の方がプレーは上手ですし(笑)。スタートで入るときと途中出場するときでは自分の立ち振る舞いも変わり、そういうのも今年のシーズンで経験させてもらったので、これからにつながっていくと思います。

――日本代表での活動は、大塚選手が今までプレーしてきた環境の中で最も勝つことや結果を出すことが求められたと思います

そうですね。メンバーも大会ごとに変わって、本当にシビアな世界でした。オリンピックのときは12人という限られた人数の中で、メンバー発表がネーションズリーグの期間中にあって。選んでいただいてうれしかったというか「よし、やってやろう」と思う反面、選ばれなかった選手もいることも考えて自分たちもプレーしないといけないと思っていました。選んでもらったメンバーは、「ここに立っていないメンバーの分まで代表として戦おう」と言っていました。大学でプレーしているときは、学生なのでシビアな世界ではないですし、メンバーから外れたからと言って練習に参加しないとかもないし。結果を出さないとやっていけない世界なので、そういうところに身を置いてプレーすることを大学生のうちから経験させてもらえて良かったです。大学はそういう厳しい環境ではないですが、それに近いものを自分は知ったからこそ作っていくことができると思います。来年は4年生になってチームを引っ張る立場になるので、日本一を取りに行くチームになるのであれば、普段の練習や雰囲気を変えていく必要があると思うので、そういう経験をさせてもらったからこそチームに還元していきたいと思います。

――アジア選手権前の対談で、「自分を鼓舞することや戦う気持ちを前面に出すことが大事」とおっしゃっていたと思います。同大会のインド戦で石川祐希選手が出場したときに気迫の大切さを実感ました。もちろんプレーでもけん引していましたが、石川選手の闘志が周りの選手を鼓舞し、チームが良い方向に向かっていく感じがしました。気迫のある人はチームが駄目な方向に向かっていても自力で立ち上がってその流れを打破することができますし、周りにもいい影響を及ぼすと思います。チームでプレーしている以上、そのような選手は本当に大事だと今大会で感じました

石川選手自体もイタリアでプレーされていて。日本は、「負けたら終わり」という環境ってあまりないじゃないですか。イタリアなどの外国はそういったところが日本よりもシビアな環境なので、そこに身を置いて「負けたら終わり」という感覚を直接肌で感じてプレーされて、この半年間チームを引っ張ってくれていました。そういう声かけや気持ちの面はまねしようと思ったらできると思います。完全にそうなるわけじゃないですけど、チームを鼓舞する力や引っ張っていく力は一緒にプレーさせてもらって分かったことですね。そこも大学に持ち帰って、自分の役割としてチームを引っ張っていきたいと思います。

――日本代表は攻撃への参加意識が高く、レシーブで崩されてもすぐに立ち上がってスパイクモーションに入っているという印象を持ちましたが、これは代表活動後のプレーに影響がありましたか

日本は身長が低いチームなので、攻撃枚数が1枚でも減ると相手の高いブロックに捕まりやすくなります。でも今回のオリンピックでは、レシーブが安定してみんなが攻撃に入れる体勢を作れていたから、あそこまで世界相手に勝負できました。普段の代表での活動から、細かいルールを決めたうえで常に攻撃に参加する練習をやっていました。その意識を持って大学でも継続して練習していきたいですし、それは前衛、後衛関係なく攻撃に参加する意識を高く持っていたいです。

――自分の良さをアピールすることや自分の役割を果たすことをとても意識されてきたと思いますが、代表での活動を振り返って納得のいくパフォーマンスはできましたか

スタッフ陣に「自分はこういう選手だ」というのを伝えることができたからこそ、この半年間プレーさせてもらえた部分はあると思います。でもこれで終わりじゃなくて、次のシーズン以降も残っていくためにはもっと一つ一つのプレーの質、特に個人技を磨いて行きたいです。組織としてよりも個人の力、スパイクの打力やサーブ、ブロックだったり。バレーって団体スポーツですが、実際個人技のところもあるので、そこをしっかり一つ一つ質を上げていくことを大学では意識したいです。戦術はチームによって異なりますし、代表でやっていることと大学でやっていることは全く別です。その戦術が合う選手と会わない選手がいると思いますが、自分はそのチームの戦術に合わせられるように、個人のレベルを上げていくことが今は大事なんじゃないかなと思います。大学に帰ってから半年間セッターとのコンビも合わせていないので、攻撃のテンポについてはセッターと話し合って、試合をやりながら全日本インカレ(全日本大学選手権)までに完成させられるようにしたいです。

――日本代表の戦術で学んだことはありますか

早稲田のバレーって王道なバレーボールと言うか、どんな相手が来ても自分たちのやり方を変えない戦術でやっていますが、代表の方だと相手の特徴を見て変えています。そういうところは早稲田でもできることだと思いますし、その発想はこの半年間で学んだことなので、チームに持ち帰って相手にどう対応するかという工夫ができると面白いバレーボールができると思います。

――3年後にパリ五輪がありますが、自身が目指すところとそこに向けてどのような準備をしていきたいかを教えてください

まずは、3年後のパリオリンピックに出るという目標を持って取り組んでいきたいです。出場するためには、2年後の最終予選を勝たないといけないので、そこがまず一つの山場になると思います。出場したら今回の東京で残した7位という成績よりも上の成績を取りたいです。東京ではなかなか出場する機会はありませんでしたが、プレーで貢献するためにも、重ねてになりますが、プレーや声掛けをするといったリーダーシップなど、自分の全てのスキルを磨いていきたいです。

(取材・編集 西山綾乃、山田真由 写真 西山綾乃)

◆大塚達宣(おおつか・たつのり)

2000(平12)年11月5日生まれ。194センチ。京都・洛南出身。スポーツ科学部3年。試合前は最近はやっているアップテンポの曲を聞いてテンションを上げているそうです!あまりバラードは聞かないだとか…(笑)。