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ラグビー部

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2021.03.31

【連載】ラグビー卒業記念特集『門出』 第1回高木樹

人生の第二章

 大学でラグビー蹴球部の一員として活動することは、グラウンドの上で競技をすることだけを意味するのではない。Bチームのキャプテンを務めながら、委員として早大ラグビー蹴球部の文化の継承、組織形成の要にもなった高木樹(法=大阪・早稲田摂陵)。赤黒ジャージを目指す部員、大きな組織をけん引する立場、それぞれの面から、高木がラグビーとともに過ごした10年間を追う。

 中学の部活でラグビーと出会った高木は、全国大会を経験するものの、高校や大学でもラグビーを続けるとは考えていなかった。しかし、進学した早稲田摂稜高校でラグビー部コーチの藤森啓介氏(平20スポ卒)に出会い、その人柄に魅了された高木はラグビーを続けることを決意。そして厳しい練習の中で、早大ラグビー蹴球部に対する憧れを大きくし、ラグビーをするために早稲田大学への入学を決めた。

東海大B戦で突破を図る高木

 1年生の夏合宿でAチームの試合に出場するなど期待された高木だったが、2年時はけがで苦しむことになる。春から感じた腰の違和感は日に日に大きくなり、シーズンを終えるころには限界がきていた。手術を受け、3年の春シーズン途中から復帰しAチームでの出場機会を得るものの、スタメンに定着することはできなかった。大学日本一の瞬間をスタンドから見届けた高木は「来年こそは13番の赤黒ジャージを着て優勝を味わいたい」と身を引き締めることとなる。秋シーズンはAチームのための練習相手に徹する必要があるBチームにとって、春シーズンの試合こそが唯一自由に強さをアピールできるチャンス。つまり、ラストイヤーで高木がAチームに上がれるかどうかは最後のアピールの場である春にかかっていた。しかし、新型コロナウイルスの蔓延により、試合は中止。練習さえ中止せざるを得ない状況となった。Aチーム昇格をかけた春シーズンの中止はあまりにも大きな出来事だったが、「どうすればAチームに上がれるか」と考えながらひたすら一人でトレーニングを続けるほかなかった。

 高木がキャプテンを務めることが多かったBチーム。その選手は昇格すれば赤黒ジャージで試合に出場できるが、Cチームに降格する可能性もある、非常に精神的な負担の大きい立場だ。その一方で、「誰に対しても思ったことをはっきり伝えられる」という高木は、委員として組織を動かすことも期待されていた。委員として部活に携わる中で、「全員がAチームを狙っているチームじゃないと勝てない」と、自分だけでなく、早大ラグビー蹴球部全体を意識するようになる。秋になり、対抗戦が開幕。数少ない試合が過ぎ去っていく状況を「残された時間が少なくなっている事実がのしかかってきて、精神的にはきつい時間だった」と振り返った。最後の試合となった全国大学選手権の決勝、高木はグラウンドには立てなかった。しかし、点差が開いても最後まで戦い続ける仲間の姿を見た高木は、「自分たちがやってきたことは間違いじゃなかった」と確信する。高木が委員の立場から作ろうと考えてきた「競争の絶えないチーム」は、新型コロナウイルスの影響を受けたラストシーズンにおいても決して失われていなかった。

 「人生の第二章のタイトルは『ラグビー』」と語るほど、中学校からの10年間は、ラグビーがすべてだった。そして、その第二章の最後に訪れた組織を動かす経験は「見えるところにも見えないところにも支えてくれる人がいっぱいいる」と改めて実感させてくれた。「素晴らしい同期」「後輩がかわいい」と話す高木の満面の笑みは、その仲間の存在がいかにかけがえのないものであったかを物語っていた。早大ラグビー蹴球部の長い歴史の大切さ、そして『荒ぶる』を歌えなかった悔しさを後輩に託し、高木は人生の第三章を紡ぎ始める。

(記事 田島璃子、写真 山口日奈子氏)

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