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競走部

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2021.03.24

【連載】『令和2年度卒業記念特集』第66回 小山佳奈/競走

自然体でも、ぶれない強さ

 日本学生対校選手権(全カレ)優勝を果たし、関東学生対校選手権(関カレ)では女子400メートル障害史上初の4連覇を達成。抜群の成績で早稲田の女子ロングスプリントをけん引し続けた小山佳奈(スポ=神奈川・橘)は、大学でスパイクを脱ぐ。新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)されながらも、「後悔はない」と晴れやかな表情を浮かべた小山の、陸上人生を振り返る。

3年時の全カレ400メートル障害 ハードルを跳ぶ小山

 小学校の頃に陸上に出会い、高校は強豪の市立橘高に進学。ハイレベルな環境で着実に力をつけてきたが、競技は高校で辞めようと考えていた。しかし、3年時の日本選手権女子400メートル障害で6位入賞を成し遂げたことをきっかけに、「まだこれでは終われない」との思いが芽生え、大学での競技継続へと踏み出した。

 進路を選ぶ上では、学びを重視。社会に出た後のことも考えながら、自分が4年間で成長できる場所を探し、「自分とか周りとか比べずに、社会に貢献できる人間になれる」という先輩からの言葉で早稲田で学ぶことを決めた。

 大学4年間限りで競技人生に終止符を打つことも、実はこの時すでに決めていた。「本当だったら、CA(キャビンアテンダント)になりたくて。大学4年間で競技を頑張って、その後CAになろうと」。この思いは、4年間で結果を出していく中でも決して揺らがない。挑戦できる時間が限られていたからこそ、その分最後の4年間は競技に没頭するという強い覚悟のもと、「日本代表になる」という目標に向かって競技に打ち込んだ。

 400メートル障害を本職としながら、400メートルと4×400メートルリレー(マイル)の3種目に取り組んだ小山。「1年生だからといって引かずに強気でいこうと思っていたので、インカレでも優勝を目標にしていた」という通り、ルーキーながら早速結果を残す。関カレでは400メートルで2位、400メートル障害で初優勝。1年目にしては十分すぎる結果に思えるが、小山自身は「(400メートル障害の)優勝はうれしかったですが、タイムが出なかったことにすごく悔しい思いをした」とまだまだ上を見据えていた。

 2年目、3年目も同大会に出場したが、連覇のことはあまり考えず。ゴール後に周りから言われて初めて「あ、3連覇だったんだな」と意識するくらい、過度にプレッシャーを背負わず、自然体でいられるのが小山の強みだった。また、この3年時には、400メートル、マイルと合わせて3冠という偉業も成し遂げた。ただ、小山にとっては自身の3冠よりも400メートル障害で関本萌香(スポ3=秋田・大館鳳鳴)、村上夏美(スポ3=千葉・成田)と3人で表彰台を独占したことと、特に思い入れの強かったマイルでの優勝に対する喜びが大きかったと振り返る。

 

関カレ400メートル障害で連覇を果たした小山(中央) 関本(左)、村上とともに表彰台を独占した

 陸上人生集大成となる4年時は、新型コロナウイルスの影響で数々の大会が延期に。しかし、「自分のできる限りのことはやっていこう」と前を向いた。陸上を4年間で辞めると固く決めていたからこそ、残り少ない時間の中で悔いを残さないよう全力で競技に向き合い続けたのだ。延期された大会が秋に集中したため、日本選手権からわずか1週間という過密なスケジュールで臨むことになった最後の関カレ。4年目にして初めて400メートル障害『4連覇』を意識し、少しプレッシャーを感じたという。それでも、結果は2位に1秒以上の差をつけての圧勝。この種目で関カレ史上初の4連覇という偉業を、見事に成し遂げた。

 3種目の中で特に思い入れの強かったマイルは、日本選手権リレーが最後の舞台となった。当日出場しなかったメンバーも含め、共に練習に励んだ仲間の思いを背負い、早稲田記録の更新と優勝という目標に挑んだ。関カレで優勝したときと同じく2走を務めた小山は、2番手でバトンを受け取ると前を猛追。結果は惜しくも2位にとどまったものの、小山は自身のラップベストを叩き出し、チームとしても早大記録を1秒以上更新。「やれることはやった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 

日本選手権リレーのレース後 早稲田記録更新を確認し、笑顔を見せる小山

 陸上人生最後のレースは、本職の400メートル障害。「最後の試合だという実感があまりなくて、でもそのほうがいいのかなと思う自分もいて」。と、変わらず自然体でスタートラインに立った。強風もあり自己ベスト更新こそならなかったが、関本に続き2位でゴールし、「悔いなく」競技場を後にした。

 10年以上続けた陸上から離れた今、「寂しい思いをするのかなと思ったのですが、それとは逆に、結構吹っ切れて」と笑顔で語る。競技人生最後の4年間に全てを懸け、ひたむきに取り組んだからこその達成感が、その笑顔の理由だろう。「(日本代表になるという)目標は達成できませんでしたが、人間性の面で一番学ぶことが多く、成長できた」 「たくさんの方々のおかげで競技ができて、感謝がずっとあった4年間だった」と周囲への感謝も忘れない。学生、いや日本トップレベルのハードラーは惜しまれつつ引退するが、小山が見せたレースでの強さ、そして感謝を忘れない姿勢は、これからも後輩たちに受け継がれていくだろう。

(記事 布村果暖 写真 岡部稜氏、布村果暖)

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