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スケート部

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2021.03.23

【連載】『令和2年度卒業記念特集』第63回 永井優香/フィギュアスケート

成功するまで続けるということ

 全日本選手権女子フリースケーティング。最後の公式戦の演技を終えた永井優香(社=東京・駒場学園)に有観客の会場からは「今までありがとう。お疲れ様」という気持ちを乗せた温かい拍手が送られた。コロナウイルスの影響やホームリンクの工事によって落ち着いて練習することができなかった今シーズン。「お世話になった方々にお疲れ様といっていただけてすごく幸せだったので、苦しいと幸せというすごい複雑な感情で何を感じているのかわからないシーズンでした」と振り返った。

 浅田真央さんがきっかけでスケートと出会い、よく遊びに行っていた昭和の森アイススケートリンクが閉鎖されたことによって状況が動いた。「父がもっと近くにリンクがないかということで探してみると東大和のスケート場があると判明して、春の短期教室みたいなのに通っていたら、一番初めにお世話になった先生に一緒にスケートやらない? と誘っていただいて」。そうして本格的にスケートに取り組み始めたという。小学3年生になる直前の3月からは公式戦にも出場するようになった。「とにかく楽しかったという記憶があって。小さい頃滑りが大ざっぱな選手だったんですけど、試合の時楽しすぎてさらに大ざっぱに滑っていて(笑)。水を得た魚みたいな感じで滑っていたよと母に言われたんですけど」。小学4年生ノービスBの一年目の時期にダブルアクセルが決まるようになると、ケガと向き合いながらも中学1年生の頃から確実に3回転も降りられるようになり、その後は飛べるジャンプの種類も立て続けに増えたという。そして舞台は国内はもちろん、海外へも広がっていった。「その当時は特別なことだとは思っていなくて、ただ一生懸命練習した先にそういう結果があるというのを受け入れていた感じでした」。しかし、たくさんの努力がすべて成功につながるほど簡単な世界ではない。「一つ成功すると一つ失敗するみたいなところがあった」。悔しい思いがある中で、永井を勇気づけたのはパナソニック創業者・松下幸之助の教えだった。『失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる』。この言葉を知ってからは失敗に対しても後ろ向きに受け止めなくなった。高校1年生、初出場の全日本選手権で見事4位。また次のシーズンのグランプリシリーズで表彰台に上るなど結果を残した永井には高校で引退するという選択はほとんどなかったという。

2019-20シーズン全日本SP演技終了後 笑顔があふれる永井

  そして憧れで入学した早稲田大学。「高田馬場から馬場歩きして、その途中にご飯を食べに行って授業に出るとか、そのような何気ない日々が楽しかったなという記憶があります」。社会科学部に在籍し、自身でタイムマネジメントをしながらキャンパスライフとスケートの両立に励んだ。高校引き続いて大学でも4年間連続で出場した全日本選手権。特に大学3年、2019-20シーズンが心に残っているという。「前年度が悪い成績だったんですけど、そこからいろいろと自分でどうしたらよくなるか一生懸命考えたりだとか、いろいろなひとにお世話になって臨む試合で、ショートでいい演技ができたので、その試合はよく覚えています」。この全日本での経験を来シーズンに繋げようという矢先、コロナウイルスが世界を襲った。大学でスケートを引退すると決めていた永井自身、そしてフィギュア部門の主将としてもシーズン開幕にむけて難しいスタートとなった。「会えないからこそ結びつきみたいなことをより強く意識できたんじゃないかなと思います」。Zoomでのミーティング、また個人的に連絡をとることで部員と関わる機会を作った。「積極的な部員が多いなというふうに感じていたからこそ、私は聞き役の方がいいのかなと思ってなるべくそういうふうに立ち回っていました」。引っ張っていくのではなく寄り添っていくという永井のスタイルで部門をまとめ、9月にはじめての部活練習を行うなど大変な状況下でできることを部員一丸となって取り組んだ。そして、コロナウイルスの状況が回復に向かわない中、シーズンが開幕した。挑む試合全てに最後という文字がつく中で、東京選手権、東日本選手権と駒を進め、出場を手にした全日本選手権。ショートプログラムではジャンプをすべてまとめ、つなげたフリースケーティングではスケーター永井優香をたくさんの観客の胸の中に焼きつけた。

 永井の最後のシーズンは、全日本での舞台では終わらなかった。2月に行われたバレンタインカップ。そして、3月13日。「最近やっと主将になったのかなという感じがしています(笑)」。早稲田大学スケート部フィギュアスケート部門の初めての試みである『WASEDA ON ICE』が東伏見のリンクで開催された。前例のないことを形にすることは難しい中で、部員一同力を合わせ開催に向けて準備が進められた。緊急事態宣言が延長になり会場に観客を入れることはできなかったものの、Youtubeでの配信をたくさんのファンが視聴した。「同期が3人いるんですけど、本当にそれこそスケートからも学ぶことがあったし、私生活からも学ぶことがすごくあったので、とてもいい同期に出会えたなと思っています」。そんな大きな存在である同期生とともにリンクを去り、明るく穏やかな雰囲気は次の世代へとバトンがつながれていく。スケート部フィギュアスケート部門では、インカレでリングサイドから応援することなど楽しい出来事がありすぎたと笑顔で語った永井の思い出の1ページにこのエキシビションも彩りを加えた。
 その2日後の明治法政オンアイスは永井にとっての本当に最後の演技となった。シーズン開幕前、お母さんが好きな曲ということで選んだと語っていた今シーズンのショートプログラム『エリザベート』を披露した。スケート人生を共に歩んだご家族に向けては、「本当にお金も時間も労力もかかることだったし、それに私がジェットコースターみたいなスケート選手だったので、なんかすごくいろいろ疲れさせたかなと思うんですけど、それでもどんな時でも一番近くで支えてくれてありがとうございましたと伝えたいです」と感謝の気持ちを語った。

WASEDA ON ICEでの永井

 早稲田大学卒業後は、スケートリンクとは違うところで新たな人生が始まる。「失敗したとしても成功につなげていくことが大事、やり抜く力というのはスケートで培ってきたかなと思うのでそれを社会人になったら新しいフィールドで新しいフィールドに合うように適応して行けたらなと思っています」。スケーターとしては引退を迎えたが、スケートから学んだたくさんのことはこれからの人生の中で辛い出来事があったときにきっと背中を押すだろう。
 そして、永井が残した美しい演技の数々はこれからもずっとたくさんの人々の心の中で輝き続ける。

(記事 岡すなを、写真 スケート部フィギュアスケート部門提供、犬飼朋花)

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