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ソフトボール部

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2021.03.17

【連載】『令和2年度卒業記念特集』第53回 高橋尚希/男子ソフトボール

人生で一番成長できた4年間

 今年度、主将として男子ソフトボール部を率いてきた高橋尚希(スポ=宮城・泉館山)。高橋は堅実な守備を武器に、下級生の頃からレギュラーとして活躍してきた。そんな高橋の幼少期から早大の4年間までを振り返りたい。

 大学に入学する以前はソフトボール経験者の両親の勧めもあって、小学校1年生から12年間野球に励んでいた。早大進学を決めるきっかけとなったのは、中学生の時にテレビで見た野球の早慶戦。その日以来高橋は早大野球部に入部することを夢見て練習に励み、高校も早大に進学できるところを探して入学したという。また学問の面においても、早大ならではのスポーツ科学部という場所で、理論的な練習方法を学びたいという強い意志があった。

 浪人を経た2017年春、晴れて早大のスポーツ科学部に入学した。そして同時に憧れていた野球部への入部を果たす。しかしそこで待っていたのは厳しい練習。高橋はその練習中に倒れてしまい、野球部を辞めることになってしまう。中学2年生から憧れていた野球部を辞めていいのかどうか、非常に葛藤したという。その後、大学時代にソフトボールを経験していた両親にも後押しされ、ソフトボール部への入部を決めた。ここから高橋のソフトボール人生が幕を開ける。

 入部してすぐに感じたソフトボール部の印象は、全日本大学選手権(インカレ)3連覇や世界大会優勝という実績から「強い」という印象だったと語る。それと同時に、強いにも関わらず、なじみやすい明るい雰囲気だったことに驚いたという。野球にないソフトボールのスピード感にもひかれていった。

 

 

4年次の東京都大学連盟秋季リーグ戦、慶大戦で決勝打を放ち、笑顔を見せる高橋

 2年生からレギュラーをつかみ、インカレにも出場した高橋。自身は「活躍し続けなくてはならない」立場だと考え、より結果にこだわり練習を続けてきた。インカレでは2年生、3年生のシーズン共に日体大に敗れての準優勝に終わったが、相手エース小山玲央にノーヒットノーランを達成された2年生時に比べ、3年生のシーズンでは1-3のスコアまで迫ることができた。確実に日体大との距離が縮まっていることを感じていた。

 迎えた4年生のシーズン。学年投票により主将に選ばれた。初めて経験する主将という立場には、うれしい反面、重いプレッシャーを感じたという。チームとして掲げた目標は、やはり日体大を倒してインカレ優勝を果たすこと。部員一人一人に役割を与えながら、全員で成長し日体大を倒せるようなチームを目指した。約6カ月にも及んだコロナの自粛期間中には、高杉聡監督(平10人卒=群馬・前橋育英)と相談しながら、部員全員に他者分析や全国の選手を分析するレポートを課したり、LINE通話を利用したオンライントレーニングを行ったりして、モチベーションが下がらないようにチームを率いてきた。そうして迎えた最後の全国大学選抜男子選手権(インカレ代替大会)は惜しくも初戦敗退に終わり、日体大と戦うことなくシーズンに幕を閉じるという悔しい結果に終わった。しかし、新型コロナウイルスが猛威を振るうという前代未聞のシーズンの中、誰一人として感染者を出さずに無事シーズンを終えることができたという功績は大きい。高橋自身、今シーズンはコロナ禍でどのようなことをやってきたかが問われるシーズンだった中で、結果以上に学ぶことが多かったと語った。大変な1年の中で、チームのことを考えてくれた監督や木村秀雄コーチ(平8理工卒=山口・柳井)、インカレ代替大会を開催してくださったソフトボール協会の方など、多くの人に支えられた1年だったと振り返る。

 早大ソフトボール部での4年間を一言で振り返ると、「成長」だと語る高橋。大学生ほど成長できた時間はないという。社会人になる手前の段階で、多くの大人に出会えたことで、社会人として通用する能力を身につけることができた。個性あふれ、にぎやかな同期10人にも出会うことができ、この4年間は本当に楽しい4年間だったようだ。野球部で活躍するという夢を諦めたところから始まった大学生活は、意外にも自身にとってかけがえのない経験と出会いを得る4年間になった。これからの人生においてもこの4年間の経験が高橋を支えることになるだろう。

(記事 玉置理沙子、写真 杉﨑智哉)

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