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その他

2021.02.08

令和2年度卒業記念特集

 

 
第34回 橋口慶希/米式蹴球(3月1日)

試練を乗り越えた先には

 BIGBEARSでOLのセンター(プレー開始時にQBにボールをスナップで渡し、なおかつ相手のDLをブロックする)で2年からスターターとして活躍した橋口慶希(創理=東京・早実)。しかし活躍とは裏腹に、橋口は大学4年間の競技人生で何度も壁に突き当たった。逆境に立たされるたびにそれを乗り越えていった橋口の4年間を振り返る。フットボールを小5から始めた橋口は、早実に進学。高校でもフットボールを続けた。高3の最後の大会は1点差で敗れ引退。小学生の頃からのBIGBEARSへの憧れと高3の最後の大会での悔しさで橋口は早大BIGBEARSの入部を決意した。

 

 

 

 
第33回 大西郁也/米式蹴球(3月1日)

尽力

 BIGBEARSで4年間、セーフティと呼ばれるディフェンスの最後尾を守備するポジションに君臨した2020年度BIGBEARSの主将・大西郁也(法=東京・早大学院)。1年時から試合に出場し、2年生からはスタメンになり、BIGBEARSの最後の砦(とりで)としてチームを何度も救ってきた。2年時と3年時には甲子園ボウルに出場し、4年時には主将としてコロナ禍での難しいシーズンの中、180人にも及ぶ選手とスタッフをまとめ上げた。チームの核として走り抜けた4年間を振り返る。

 

 

 

 
第32回 鷹尾一成/自動車(2月28日)

主将でエース

 『常勝早稲田』、2019年度の全日本学生自動車連盟年間総合杯(全日本総合杯)の実績を筆頭とし、近年早大自動車部の強さにさらに磨きがかかっている。この強さを最前線で常に支え、牽引し続けたのが鷹尾一成(先進=神奈川・桐蔭学園中教校)であった。2年生で公式戦初優勝を勝ち取り、3年時には総合杯個人優勝、引退レースとなった関東学生ジムカーナ記念大会個人優勝など数々のタイトルを獲得。またこうした輝かしい功績の裏では幾度の逆境があり、それらを乗り越えたことで人間として一回りも二回りも大きくなったと語る鷹尾は、自動車部の存在を『育ての親』と表現した。あるときは“エース”として自らの結果で、あるときは“主将”として自らの背中で、早大自動車部を引っ張ってきたその男の4年間を振り返る。

 

 

 

 
第31回 梅林太郎/レスリング (2月27日)

レスリング人生、生涯現役

 「競技面だけで見たら正直どん底。でも早稲田に入ったからこそ、自分の視野や思考が広がった」。梅林太朗(スポ=東京・エリートアカデミー)は、大けがやコロナ禍の影響で満足にレスリングができない中、レスリング人生における新たな夢を見出した。梅林の長い競技人生をひもときながら、その夢に迫る。

 

 

 

 
第30回 井上裕利惠/女子バレーボール (2月26日)

「支えてくれてありがとう」

 「本当に感謝しかないです」。4年間で最後の試合である早慶戦を終えたとき、井上裕利惠主将(スポ=岡山・就実)はいつものように屈託なくそう語った。大エースにはなれなくとも、感謝を伝え続けるその姿勢と努力でチームを導いた井上の奮闘の日々に迫る。

 

 

 

 
第29回 宮浦健人/男子バレーボール (2月25日)

悔しい気持ちを原動力に、静かなる闘志燃やす

 宮浦健人(スポ=熊本・鎮西)と言えば『早稲田のエース』『大学ナンバーワンオポジット』。鍛え抜かれた体躯から繰り出される、力強く重いスパイクや大きく横に軌道を描くジャンプサーブで、チームの全日本大学選手権(全日本インカレ)4連覇に大きく貢献した。数々の輝かしい成績を残したものの、負けて悔しい思いをしたことの方が多かった。だが「悔しい気持ちがいつだって自分を成長させてくれた」という。そんな宮浦のバレー人生における悔しさと成長に迫る。

 

 

 

 
第28回 村山豪/男子バレーボール (2月25日)

黙ってプレーしていただけの自分がチームの頭脳に

 早大のバレーを見た人々は口をそろえてこう言う。「隙がない」。各世代のトッププレイヤーが集まり、その一人一人が高いポテンシャルを生かして組織として機能してきた。結果、今年度のチームは大学生相手の試合で1セットも落とすことなく幕を閉じた。そんなチームの頭脳を担ってきたのは、副将の村山豪(スポ=東京・駿台学園)。だが「3年生まではただ黙ってプレーしていて、周りに気を配るというよりもマイペースなタイプだった」という。そんな村山の最後の1年、そして大学バレーを通して成長した姿に迫る。

 

 

 

 
第27回 芝本航矢/空手 (2月24日)

自ら進み続ける力

  常に人一倍声を出し、スピードと気迫の溢れる空手でチームをけん引してきた芝本航矢(スポ=東京・世田谷学園)主将。大学では学生トップレベルの実績を多く残したが、そこまでの道のりはけして平たんではなかった。数々の経験を糧に成長し、日本一を目指し続けた15年間の空手人生に迫る。

 

 

 

 
第26回 内山由綺/体操 (2月23日)

 

苦難乗り越え、明るい未来へ

 高校時代にはリオ五輪に出場し、数々の輝かしい結果を残してきた内山由綺(スポ=東京・帝京)は、早大入学後も母でもある内山玲子コーチ(平元日体大卒)とともに戦ってきた。全日本学生選手権(インカレ)では2部優勝を守り切り、大学入学後も世界大会に出場。しかし今年度は、目指していた東京五輪の延期に突然の父との別れが重なる異例の1年に。そんな苦しい状況を打破する内山の新たな決意を、早大で過ごした4年間の軌跡とともに振り返る。

 

 

 

 
第25回 山田元大/体操 (2月22日)

 

主将としての覚悟と新たな決意

 体操に対し人一倍熱い思いを抱く山田元大(スポ=千葉・市船橋)。主将として演技で部を引っ張ろうと、覚悟を持って日々の練習に向き合ってきた。そんな山田が奮闘した4年間の軌跡を追い、パリオリンピック出場という目標に向けた新たな決意に迫る。

 

 

 

 
第24回 加藤結有子/女子卓球 (2月21日)

 

新たに得たもの

 「チームでやるだけのことはやってきた。悔いはない」。今年度、女子主将を務めた加藤結有子(スポ=東京・エリートアカデミー)は、コロナ禍で活動が大きく制限された1年間を笑顔で振り返った。JOCエリートアカデミーを拠点に国内外の試合で経験を積んだ中高時代の環境とは一新、早大卓球部で過ごした4年間から加藤が新たに得たものとは。

 

 

 

 
第23回 緒方遼太郎/男子卓球 (2月21日)

 

卓球人生

 早大卓球部を引っ張ってきた男の新たな船出だ。その男の名前は緒方遼太郎(スポ=東京・帝京)。緒方は4年前、高校までの華々しい実績を引っ提げて、鳴り物入りで早大卓球部に入部した。入学してからも、自身の持つ実力をいかんなく発揮して、早大に勝利をもたらし続けてきた。そんな男にとっての卓球とはなんなのか、そしてこれまでの卓球人生とはどのようなものだったのか。その軌跡を追う。

 

 

 

 
第22回 武井梧右/馬術 (2月20日)

 

馬も人も

 今年度の全慶應義塾対全早稲田定期戦(早慶戦)で、早大は5年ぶりの優勝を果たした。毎年のこの大会が現チームで臨む最後の対抗戦だということもあり、引退する4年生をはじめとした部員の思い入れも強い。特に主将として1年間チームを率いた武井梧右(スポ=東京・東農大一)にとっては、そのチームづくりの集大成でもあった。1年間かけて目指したチームとは、そして4年間の大学馬術人生とはどのようなものだったのだろうか。

 

 

 

 
第21回 谷口智洋/男子サッカー (2月19日)

 

自分がやりたいこと

 2月1日、GK谷口智洋(商=近大和歌山)を乗せたフードトラックが、東京都内を走りだした。「スイーツを通して、より多くの人を幸せにしたり笑顔にしたりというのが自分の中で実現したいビジョン」。大学生活をアスリートとして駆け抜けた谷口が、そのようなビジョンを持つようになった理由とは。また、谷口はア式で過ごした4年間で何を経験し、何を学んだのか。

 

 

 

 
第20回 小野寺拓海/男子サッカー (2月19日)

格好いい男

 「俺が一番ヘタクソだ。ここにはいられない」。大学入学を決め、練習生としてア式蹴球部の練習に参加した際の小野寺(スポ=岩手・専大北上)に浮かんだ思いは、恐怖だった。

 

 

 

 
第19回 杉山耕二/男子サッカー (2月19日)

仲間と築き上げるサッカーを信じて

 全国大会準決勝、今年度のア式蹴球部にとって最後となった試合のピッチに杉山耕二主将(スポ=三菱養和SCユース)の姿はなかった。大会のレギュレーションの都合で欠場が決まり「頭の中が真っ白になって何も考えられなくなった」。その中でも、共に戦ってきた仲間を信じ、自分のできることをやるとマインドセットした杉山。仲間に託すと気持ちを切り替えることができた理由はどこにあるのだろうか。杉山のこれまでのサッカー人生を振り返る。

 

 

 

 
第18回 川端涼朱/女子サッカー (2月18日)

大切にしたい全てのことのために

 全日本大学女子選手権(インカレ)の2回戦が行われた三木総合防災公園陸上競技場のピッチ横。誰も予想しなかった初戦敗退を喫し、膝から崩れ落ちて肩を震わせる1人の選手の姿があった。川端涼朱(スポ=東京・十文字)は、涙の理由を「主務として、4年生として、チームを変えきれなかったことに責任を感じた」と語る。なぜそこまで強い思いを抱くに至ったのか。そして、考え続けてきたア式蹴球部女子(ア女)のあるべき姿とは何か。「ア女で、考えてサッカーをする楽しさを知った」という川端の苦悩と成長のサッカー人生に迫る。

 

 

 

 
第17回 村上真帆/女子サッカー (2月18日)

エースで、副将で、10番

 苦しい1年だった。コロナウイルスによって新チーム結成後も満足に練習できず、迎えた関東大学女子サッカーリーグ(関カレ)は無観客。全日本女子選手権(皇后杯)ではあと一歩のところで勝利を逃し、関カレ優勝決定戦でも勝ち切ることができず、『頂』を目指した全日本大学女子選手権(インカレ)は初戦敗退。獲得できたタイトルは1つだけだった。例年のア女の栄光と比べれば、満足のいく結果だとは言い難い。エースで副将、そして10番のMF村上真帆(スポ=東京・十文字)はどんな思いでこの1年を過ごしたのか。村上にとって早大で過ごした時間はどのような時間だったのだろうか。エースの軌跡を振り返る。

 

 

 

 
第16回 鈴木佐和子/女子サッカー (2月18日)

主将としての1年間

 ア女を変える——。この思いを抱き、鈴木佐和子(スポ=浦和レッズレディースユース)はア式蹴球部女子部(ア女)の主将に就任した。全ての選手に対して“4年間”という期間が設けられ、毎年選手が入れ替わる大学スポーツの世界。大学女子サッカー界で確かなプレゼンスを発揮するア女。その中で鈴木が求めたものは「変化」であった。

 

 

 

 
第15回 石井香帆/女子バスケットボール (2月17日)

積み重ねること

 積み重ねること。これは早大バスケットボール女子部主将・石井香帆(スポ=岐阜女)の強みであり、信念である。「器用なタイプではない」からこそ日々の練習では妥協せず自身の弱点と向き合い続けた。今年度『日本一』という目標に向けてチームをけん引してきた石井のこれまでのバスケ人生に迫る。

 

 

 

 
第14回 岩田悠一朗/少林寺拳法 (2月16日)

誰よりも部のために

 「人生の軸になる」4年間だった。岩田悠一朗(人=埼玉・川越東)は自身の部活生活を振り返り、そう表現した。昨年度、全日本学生大会2連覇という快挙を果たした早大。二度の日本一を経験した岩田は、その貴重な経験をはじめ、部活生活を通して困難や問題を解決してきたことが、今後の人生の指標になると力強く語った。

 

 

 

 
第13回 長谷川聖記/相撲 (2月15日)

負けず嫌い

 2020年、49年ぶりに全国学生選手権で団体ベスト8入りを果たした早大相撲部。そんな歴史的活躍をけん引したのは、紛れもなく、主将の長谷川聖記(スポ=愛知・愛工大名電)であった。入学以降、数々の苦悩を経験してきた男がいかにして、団体戦の大黒柱に、そして個人戦では全国大会の常連になったのか。その成長の原動力に迫る。

 

 

 

 
第12回 田中要/水球 (2月14日)

チームの『要』に

 10-16。10-20。学生王者・日体大の壁は、厚かった。昨年、早大は日本学生選手権(インカレ)と日本選手権で日体大と2度対戦。結果的には2度敗れたが、早大は強敵相手に一歩も引かない姿勢を見せた。特に田中要(スポ=埼玉・秀明英光)は両試合で3得点以上を挙げるなど、主将として、エースとして、最後まで早大の誇りを胸に戦い続けた。田中が早大で過ごした4年間、そして15年間の水球人生に迫る。

 

 

 

 
第11回 矢内健/弓道(2月13日)

「自分を成長させてくれた学び小屋」

 「自分を成長させてくれた学び小屋」――。矢内健(人=東京・広尾学園)は、弓道部での4年間をこう振り返る。他の体育会部活の主将を見渡せば、高校時代華々しい実績を残し、入部した選手が多い。だが矢内は違った。中高時代は野球部に所属し、弓道は未経験の初心者。さらに1年生秋に途中入部した経緯を持つ。そんな矢内が過ごした弓道部での4年間とは、どのようなものだったのだろうか。

 

 

 

 
第10回 空辰乃輔/柔道 (2月12日)

「一生学び続けたい」

 「柔道、本当に大好きです。」空辰乃輔(スポ=広島・崇徳)はそう語る。しかし、そう感じるようになったのは高校と比較して自主的に練習できる機会が増えた大学に入ってからだという。大学1年次からレギュラーとして部をけん引する傍ら、柔道以外にも様々な活動を積極的にしたことが柔道の楽しさを再発見するきっかけとなった。7歳から始めた柔道は大学で一区切りにする。「これからもいろんな挑戦をし続けたい」と語る空の柔道人生を振り返る。

 

 

 

 
第9回 髙橋野乃/剣道女子 (2月11日)

主将としての信念

 コロナ禍の影響を強く受ける中、主将としてチームを引っ張って来た髙橋野乃(スポ=京都・日吉ヶ丘)。その裏には実力面だけでなく、努力し続ける自分自身の背中を見せ、レギュラーだけでなく部員全体を支えようとする主将としての信念があった。

 

 

 

 
第8回 藤田啓人/剣道男子 (2月11日)

早大アスリートとしての責任

 5歳で兄の剣道の見学をきっかけに剣士の道を歩み始めた、藤田啓人(スポ=東福岡)。小学生時代には全国大会で準優勝し、早くも才能を見せ始めていた。高校は名門東福岡高校に進学し、厳しい練習でさらにその剣技に磨きをかけた。高校2年生では総体ベスト8、国体3位に輝き、全日本都道府県対抗では強豪福岡県の代表を務め、優秀選手に選出されるなど、多くの輝かしい実績を残した。藤田の得意とする、出鼻メンは東福岡高校の恩師から習った技だという。高校時代は藤田の剣士としてのあり方、人間性を形作った貴重な3年間だったと振り返える。そして、早大で活躍する母校出身の憧れの先輩から誘いを受け、進学を決めた。

 

 

 

 
第7回 藤田彩也香・安井咲智/漕艇女子 (2月10日)

Progress with Crew

 藤田彩也香(スポ=東京・小松川)と安井咲智(スポ=東京・小松川)の小松川コンビが卒業する。実に高校から7年間にわたり切磋琢磨してきた2人は、3度の全国大学選手権(インカレ)優勝を達成。今年度は藤田が主将、安井が副将を務め、コロナ禍に直面した部をまとめてきた。2人が歩んできたキセキをここに。

 

 

 

 
第6回 田中海靖/漕艇 (2月10日)

自信・発信

 「自分の殻を破ろうとした4年間だった。」2年時から対抗エイトのクルーを務め、最終学年では主将として早大漕艇部を牽引した田中海靖(スポ=愛媛・今治西)。だがそんな田中は初めから周りを引っ張るタイプであったわけではなかったーー。

 

 

 

 
第5回 清水映里/テニス (2月9日)

感謝と恩返し

 高校時代に全国選抜2連覇、全日本ジュニア選抜室内優勝と圧巻の成績を残し、清水映里(スポ=埼玉・山村学園)は鳴り物入りで早稲田に入学した。するとルーキーイヤーから実力を遺憾なく発揮。2学年先輩の大矢希元主将(平30スポ卒=愛知・名経大高蔵)と組んだダブルスで関東学生トーナメント優勝。そして全日本学生選手権はノーシードから一気にトーナメントを駆け上がり、1年生優勝という快挙を成し遂げた。その後も全日本学生室内選手権を連覇するなど学生トップ戦線で活躍。全日本大学王座決定試合(王座)では単複共に出場し、12連覇、13連覇の偉業に貢献。女王早稲田の歴史に新たな1頁を加え続けた。早大の看板を背負い続けた清水の大学での4年間、そしてジュニア時代を振り返る。

 

 

 

 
第4回 木元風哉/テニス (2月9日)

成長と継勝

 「この一年で最も成長した選手は誰か」と部員に聞くと、多くの選手が木元風哉(社=埼玉・早大本庄)の名前を挙げる。当初は主将就任が有力視されておらず、石井弥起現監督(前ヘッドコーチ)から「主将やってみないか」と伝えられた際は大きな驚きがあったそうだ。元々は主将をするようなタイプではなかったと言われる木元だが、この一年間は常にチームの先頭に立ち、引っ張ってきた。そこには常勝早稲田の主将として、チームと共に成長を遂げた姿があった。

 

 

 

 
第3回 柴田迅/野球 (2月8日)

150キロ右腕の決断

 わずか1点で大きく流れが変わる試合終盤。8、9回を抑える役割は現代野球において特に重要視され、競った試合であれば無失点で抑えることが絶対条件として命じられる。柴田迅(社=東京・早大学院)はこうした重圧のかかる場面の中、常に攻め切る気持ちを持ってマウンドに立ち続けた。挫折を味わいながらも六大学屈指のリリーバーへと成長を遂げた柴田の4年間、そして競技の第一線から退く決断に迫った。

 

 

 

 
第2回 金子銀佑/野球 (2月8日)

輝きを支えたもの

 金子銀佑(教4=東京・早実)と聞いて、その勝負強さを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。ベンチでは誰よりも大きな声で仲間を鼓舞する。ひとたびグラウンドに立てば、華やかな名前にふさわしい、華麗かつ気迫のこもったプレーを見せる。その姿は時に見る者を魅了し、チームに勢いをもたらしてきた。土壇場でこそ力を発揮し、幾度となく勝利を後押ししてきた金子。その裏には、4年間の大学野球人生で積み上げた努力と、仲間の存在があった。

 

 

 

 
第1回 早川隆久/野球 (2月8日)

早稲田のエース

 「エースという肩書が、僕を強くさせてくれた」――。早稲田大学野球部第110代主将・早川隆久(スポ=千葉・木更津総合)はかみしめるようにこう語った。昨年の東京六大学秋季リーグ戦(秋季リーグ戦)で、劇的な優勝を飾った早大。歓喜の輪の中心にいたのは紛れもなく早川だったが、そこに至るまでの道のりは決して平たんではなかった。