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2020.07.23

東京五輪応援特集『To 2021』第8回 内山由綺/体操

リオから東京へ 集大成に向けた思いの変化

 東京五輪の枠をかけた争いが、今年の12月に始まることが決まった体操。戦いに名乗りを上げたのは、早大に通う内山由綺(スポ4=東京・帝京)だ。内山は幼い頃から親子二人三脚で体操人生を歩んできた。2016年のリオデジャネイロ五輪で団体4位に貢献、翌年のユニバーシアードでは団体で銅メダルを獲得した。けがや精神面で悩まされることもあったが、その度に自分を見つめ直し、乗り越えてきた。そんな内山の下に突然舞い込んできた、五輪と目前の試合の延期の悲報。この決定を内山はどのように受け止めたのか。大学4年生としても集大成となる内山の、東京五輪への思いに迫った。

 内山は幼い頃から周りの環境に恵まれ、「いつか自分は五輪に出場する」という心持ちでいたという。コーチは体操の先生である母が務め、厳しい指導の下で着実に腕を磨いてきた。その後、スポーツがのびのびできるという帝京高校に転入。しかし、競技人生を左右する怪我に苦しみ、リオ五輪の出場が懸かった第46回世界体操競技選手権では、補欠の選手と交代することになってしまった。当時の心境を内山は、交代を即答で受け入れ逃げてしまったことに嫌気が差し、苦しかったと振り返る。それでも翌年の高校3年時には、リオ五輪に出場し、団体での4位入賞に貢献した。順位について、ミスなく演技をまとめてもメダルに届かない、世界との壁を痛感したと振り返ったが、内山はこれまで体操競技に取り組んできた意味があったことに嬉しさを感じたという。

全日本種目別選手権(19年6月)で演技を披露する内山

 しかし、「オリンピック選手になりたい」という夢を叶えてから、少し体操競技に燃え尽きを感じたという。そこで内山は、自分を見つめ直し、『やる時は全力でやる』『負けず嫌い』という自分の長所を大切にしたいと気持ちを新たにした。進学先に選んだのは早大。スポーツだけでなく、興味のあることを学べる環境が魅力的だったという。早大体操部では、二人三脚で歩んできた内山に、応援してくれる仲間をもたらした。「仲間に支えられた」と内山はこれまでの早大体操部を振り返る。第73回全日本個人総合選手権では、自信とは裏腹に結果が出なかった大会となったが、周りのサポートに助けられ、続く第73回全日本学生選手権で好スコアを記録したのだ。「みんながいて、自分がいる」ということを感じた内山は、この1年での精神面でのさらなる成長を実感し、体操を楽しむことを誓った。

全日本学生選手権(19年8月)で演技中の内山

 

 ところが、大学生活を締めくくる4年生の春、突然悲報が舞い込んできた。東京五輪延期だけでなく、その枠を決定する大会までも、新型コロナウイルス感染症の拡大の影響で延期となってしまったのだ。内山は当時の心境について、表向きには「時間が出来た」とポジティブな発言をしていたが、心の内ではショックと不安でいっぱいだったという。しかし、試合が決まった今、後悔がないように全力を尽くすことを誓い再出発した。内山にとって、今回の東京五輪の舞台は、オリンピック選手になりたかったリオ五輪と異なり、支えてもらった方に演技を見て欲しいという恩返しの場だ。

プライベートではスイーツ巡りが趣味(写真提供:内山選手)

 自粛期間中は、母がコーチの強みを生かし、自宅でトレーニングに励んでいた。さらに内山は、感染症の拡大を受け、SNSを利用して「今私たちにできること」を発信し続けてきた。初めは、延期を心配する声に答える形で始めたというが、その思いも徐々に変わっていく。内山はトップアスリートから成る「97年会」に所属。SNS上で連絡を取り合い、スポーツで世の中を元気づけたいという思いで、発信活動を続けてきた。内山が体操に関する発信をすると大きな反響があり、スポーツが世の中に与える影響の大きさを感じたと振り返る。今後の発信の方向性は定かでないが、誰もが応援したくなるような選手でありたいと語った。

 自粛期間を通して、反響をもらえるほど、体操が魅力的なスポーツであることや、人との繋がりを感じた内山。10月にはインカレ、12月には全日本選手権が控える。内山にとって集大成となる1年。「点数に関係なく、自分の演技で試合を牛耳るくらいの勢いで、あの人が一番だって言ってくれるような演技ができたらいいな」と思いの強さをにじませた。内山は、支えてくれた全ての方のために、完璧なパフォーマンスができることを目標に、五輪出場の権利をつかみにいく。

(記事 足立涼子)

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