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2020.07.04

東京五輪応援特集『To 2021』第7回 岡田奎樹/セーリング

オリンピックの、その先に

 昨年9月、セーリング男子470級で代表内定を決めた岡田奎樹(トヨタ自動車東日本)・外薗潤平(JR九州)組。結成から3年足らずの若いペアであるものの、今年2月にマイアミで行われたセーリングワールドカップでは、世界の強豪が集うハイレベルな戦いの中で銀メダルを獲得。岡田はスキッパーとして風や展開を読む力、巧みな駆け引きでクルーの外薗とともに、大会で好成績を残してきた。しかし、新型コロナウイルスの拡大により東京五輪の開催は1年の延期を余儀なくされる。そんな中で岡田が語ったオリンピックへの想い、今後のセーリング界の発展のために自身ができることとは。

 岡田がセーリングを始めたのは5歳の頃にさかのぼる。当初は父の影響もあり、ヨットに乗る楽しさ、自然を肌で感じられることに引かれて競技を始めた。だが、次第に一瞬で変わるレース展開、道筋のないゴールへの到達に面白さを感じるようになる。加えて、相手との駆け引きが勝敗を左右するヨットレースでは、相手の動き、考えを読むことが求められる。自らをヨットオタクと評する岡田にとって、相手の研究が勝利のカギを握るセーリングの特性は深く競技にのめりこむ要因となっていった。一方、ジュニアの大会では上位に入るものの、優勝にはなかなか手が届かない状況が続いていた。そんな中で転機となったのは、地元を離れ、佐賀県の唐津西高校へ進学した決断。そして当時、唐津西高校で指導をしていたアトランタオリンピック銀メダリストである故・重由美子氏との出会いであった。この経験を岡田は「自分にとってオリンピックや世界で活躍するために、本格的にヨットを行うこととなった分岐点」と振り返る。

状況分析力を強みと語る岡田。研究熱心で貪欲に高みを目指す(写真提供:岡田選手)

 高校卒業後は社会人として競技に取り組むという選択肢もあったが、両親の勧めもあり、早大に進学した。早大ヨット部には大学から競技を始める部員が多いため、今までは感覚で行ってきたことを相手に伝わるように言葉で説明しなければならない。そういった環境で自分の考えの言語化や感情をコントロールする能力が養われていった。また、4年次には主将としてチームを引っ張る存在となる。4連覇が期待される中で迎えたのは全日本学生選手権(全日本インカレ)。「大事に行き過ぎてリスクを負った戦いができなかった」と当時を振り返るように、早大ヨット部は不安定なコンディションの中、苦戦を強いられ、優勝を逃し2位に。勝てると感じていた大会だったこともあり、悔しい結果に終わってしまった。

在学中の岡田。最終学年では主将を務めた

 

 その後はトヨタ自動車東日本に入社し、1年目から外薗とのペアで世界選手権は6位、ワールドカップでは優勝を飾った。この時に「東京五輪で金メダルに手が届くチャンスが増えた」と感じたという岡田。また、道具を買う費用が増えたことで以前よりも道具へのこだわりが強くなり、それが結果の向上につながったと語る。その後も世界を相手に優秀な成績を収め、世界ランキングも一時4位まで上昇した。いよいよ世界の頂を目指す。そうした状況の中で起こった新型コロナウイルスの流行はセーリング界にも多大な影響を及ぼすこととなった。今年3月に行われる予定だった世界選手権は中止となり、東京五輪も1年の延期を迫られる事態に。自粛期間中は自身の過去のプレー動画を見直すことに時間を充て、練習が再開できたのは5月の下旬。オリンピックに向けて、一からの仕切り直しとなった。この現状を踏まえ、岡田は東京オリンピックを「自分が金メダルを獲ることで、夢や目標、未来を考える重要性をもう一度知ってもらえる大会にしたい」と語る。そうすることによって、スポーツをする人々、特に若い世代に夢を与えることができると考えているからだ。

今年2月、遠征先のスペインでの岡田(写真右)。その後、自粛の影響を受けることとなる(写真提供:岡田選手)

 小さいころ、岡田自身にとってのオリンピックは夢の舞台であった。それはいつしか目標として目指すものに変化し、今ではセーリングの発展に向けた通過点と捉えている。今後は、自らがオリンピックで金メダルを獲り、セーリングの知名度を上げることで、国内における競技の普及に貢献することを目標として掲げる。オリンピックが人生のゴールではない。オリンピックでの金メダルのその先に、岡田の眼は常に未来を見据えている。

(記事 足立優大)

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