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庭球部

2020.03.24

【連載】『令和元年度卒業記念特集』第73回 島袋将/庭球

巣立ちの時を迎えた早稲田のエース。大学テニスの繁栄を願って

 「大学からでも遅くない、学生でもトップクラス相手に通用することを自分が証明したい」。
 端正な顔立ち、それでいて誰に対しても物腰が柔らかく、確かな実力を持ちながらも決して驕ることのない謙虚な性格。そんな島袋将(スポ=三重・四日市工)は、この言葉を幾度となく、そして力強く発してきた。多くのトップ選手が高卒でプロへと進むテニス界。この発言の裏には早大庭球部を、ひいては学生テニスを代表する選手としての矜持(きょうじ)があった。ITFフューチャーズ優勝、ATPチャレンジャー、全日本選手権ベスト4、そして前人未到の全日本大学対抗王座決定試合(王座)15連覇といった華々しい活躍をもって、島袋は己の力でこの言葉を裏付けてきた。

┃大学テニスのカベ

  高校時代から全国区の選手であった島袋。当時からプロへ進む道も視野に入れていたというが、確固たる実績を残すには至らなかった。「もう一度大学で鍛え直すしかない」。そう感じていた矢先に早大から声がかかった。「すごくやりがいを感じられたので、ここであれば自分が成長できるのかなと思いました」。他の強豪大学からの誘いもあったが、島袋は早大への進学を決意した。
しかし、入学当初は思うように結果が出せない日々が続いた。関東学生トーナメント(春関)は3回戦敗退に終わり、全日本学生選手権(インカレ)も初戦敗退。インカレ直後の関東学生選手権で優勝を果たし、一つ結果を残した島袋だが「自分の中では全然手応えがなくて。一年生の時は悪い時の方が多かった」と話す。

┃飛躍の時

 同期の小林雅哉(スポ=千葉・東京学館浦安)がルーキーながらインカレ優勝を果たす中で、島袋は焦りを覚えていた。「正直すごく悔しかった。雅哉の成績があって、僕も頑張らないとと思った。身近にそういった存在がいたというのはありがたかった」。同期の活躍に島袋は奮起した。誰よりも練習を重ね、冬の期間も必死にトレーニングに勤しんだ。そしてその成果は2年時の学生大会で現れる。シーズンの幕開けを告げる春関で優勝すると、その勢いのまま夏のインカレを制覇。この間、島袋は1セットも落とすことのなく勝ち星を挙げ続ける圧巻のパフォーマンスを披露した。一気に学生トップ選手へと駆け上がったのだ。

┃挑戦

  2年時の春の期間から島袋はITFフューチャーズといったプロの強敵もひしめく国際大会へも挑戦するようになる。「僕自身レベルの高い選手とやる方がモチベーションにもなりますし、試合を通じて成長も実感できる」。インカレ優勝を機に島袋は本格的によりハイレベルな舞台へと活躍の場を移していった。
 当初は思うように成績は伸びなかったが、3年時にはアジア競技大会で銅メダル獲得、島津全日本室内選手権でダブルス優勝と徐々に成績にも反映されるようになった。4年時になると、ITFインドネシアF2フューチャーズで目標であったシングルス初優勝、初のATPチャレンジャーツアー本戦出場となった四日市チャレンジャーでもシングルスベスト4に入賞。根拠のない自信を持たないタイプの島袋にとって格上の選手と試合を重ねた経験がメンタル面と技術面の相乗効果を生み、より一層の成長を促した。

4年時の全日本選手権でもベスト4に入賞を果たした

┃「負けられない」エースの意地

 団体戦でも早大の絶対的エースとして君臨し続けた島袋。だが、1年時は大学の団体戦に適応できず、敗戦が重なる時期もあった。「メンタル的にズタボロでしたね」と当時を振り返る島袋だが、後に団体戦で圧倒的な強さを誇る原点ともなる勝利も挙げた。「一年目の澁田(大樹)さんとの明大戦ですね。今だに思い出しますね。あれだけ追い込まれた中で勝てたので」。関東大学リーグ明大戦、勝負が掛かった場面でフルセットの末の勝利。早大を背負って勝つというきっかけをつかんだ。
 2年時からは早大の看板であるシングルス1を背負い、幾度となく死線をくぐり抜けてきた。学年が上がるにつれて「負けられない」という重圧も増していった。だが、島袋は「(プレッシャーに)耐えるだけの精神力もついていった。精神的にはすごく成長できた」と話す。そして4年時にはリーグ、王座を通じてシングルス全勝。王座では満場一致でMVPにも選出された。
「最後に部に恩返しということで結果を出したいと思っていた。リーグ、王座ではそれができたのかなと思います。同期や後輩、コーチ陣に成長した姿を見せることができた」。部を離れることも多く迷惑をかけたと語る島袋は、前人未到の王座15連覇にエースとして多大な貢献をもたらし、その恩義に報いた。

王座決勝も逆転勝利を収め、有終の美を飾った

┃巣立ち

 早大で華々しい実績を収めた島袋は今春、満を持してプロの世界へと飛び込んでいく。高卒でプロへ進む道も、他の強豪大学へ進む道もあった。数ある選択肢の中、早大を選んだ島袋にその4年間で得たものを問うと「忍耐力ですかね。団体戦で得られたものが一番大きいかなと思います。勝負所や緊張した場面でラケットを振れるかっていうのは団体戦を経験していないと得られていなかったと思います」と話した。そして、「(高卒でプロに行った場合の)4年間というのは大きいし、いろいろ経験できると思う。ただ大学でしか得られないもの、経験できないものも山ほどあるので、僕は早大の道を選んで良かったかなと思います」と続けた。

 「僕がこれからプロになるにあたって、大学テニスをもっと盛り上げたいという気持ちは本当にあって。大学を卒業してからでも世界で活躍できる選手を増やしていくことは目指していきたいです。最近は高校卒業からプロになるっていう選手が多くて。それは素晴らしいことではあるんですけど、だからこそ大学テニスの魅力を知ってもらいたいと感じる部分があるので。大学テニスの名を広げるためにも、僕が大学を卒業してプロで活躍することで、大学からでも遅くない、活躍できるんだと感じてくれる選手が増えるようにしていきたいです」。島袋は自身を大きく成長させてくれた大学テニスという舞台の繁栄を願い、今、巣立ちの時を迎える。

(記事、写真 林大貴)