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ラグビー部

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2019.03.22

【連載】『平成30年度卒業記念特集』第66回 西田強平/ラグビー

「成長できる場所」

 「ラグビーでも私生活でも一番信頼できる男」。前主将佐藤真吾(スポ=東京・本郷)は前副将西田強平(スポ=神奈川・桐蔭学園)のことをこう語る。過去に主将等の経験はなく、慣れない立場に苦悩する中、副将としてチームの組織力向上に努めた。ラグビー人生に一区切りがついた今、西田にとってラグビーとは――。

 中学生になった西田が最初に入ったのはテニス部。しかし、そこでは真剣に取り組むことができないと感じた。そのため、当時仲の良かった友人の誘いでラグビー部への入部を決意する。入部するも、試合に出場することができず、周りとの力量差から苦労する日々を送った。中学卒業後は桐蔭学園へ。全国高校大会(花園)の常連校だったが、高校3年生時、神奈川県予選の決勝で慶応高に敗れ、全国高校大会出場を逃してしまう。慶応高に苦杯を嘗めた西田。真剣にラグビーで日本一を目指したいと思い、慶応のライバルである早稲田への進学を決める。早稲田に入学し、まず感じたのは伝統の赤黒ジャージーの重みだった。そして、入部して初めて、自分が最上級生となる年が創部100周年の節目に当たると知る。100年受け継がれてきた赤黒への憧れは強まるが、西田がその赤黒ジャージーに袖を通すまでには多くの挫折があった。

 Aチーム出場はかなうことがないまま1年目を終え、迎えた2年目。「1年生だから仕方ない」(西田)とどこか諦めていた部分もあったルーキー時代とは異なり、同期や後輩のフランカーが赤黒を着て試合に出る姿を見て、猛烈な悔しさに襲われる。その悔しさをばねに飛躍を遂げたのは3年生の時のことだった。「自分の中で一番、変革の年」(西田)と当時を振り返る。きっかけは部内の上位チームのみが参加できる選抜合宿。夏合宿前に行われ、シーズンのメンバーを決める役割を持つこの合宿に西田は呼ばれず、今年のメンバー入りは諦めろ、と言われているように感じた。しかし、銘苅信吾元コーチから「お前は試合に出るべきだ」と激励を受け、誰よりも練習を重ね、誰よりも厳しい状況に身を置いた。重点を置いたのはタックル練習。チーム内で自分が一番練習したと自負するほどだった。その結果、選抜合宿の途中で西田に声がかかる。召集してくれたコーチの期待に応え、チャンスをものにするために奮起し、その後の好パフォーマンスに繋がった。

 そして、副将として挑んだラストイヤー。しかし、フランカーのポジション争いは熾烈(しれつ)を極め、春はAチームに定着することができなかった。その状態で自分の思いを他の選手に伝えることはできるのか、自分が副将で本当に良いのか、迷いがつきまとう。試合に出るメンバーが徐々に固定されていき、選手としての焦りも募っていた。そんな西田にターニングポイントが訪れる。10月に行われた立大戦だ。Bチームの強さには自信があったにもかかわらず、12-19で敗北。負けた理由を環境のせいにするチームを見て、組織としての欠陥に気づく。それだけでなく、赤黒を着ることに対して貪欲になれていなかった自分の甘さを見つけた。そこで、自分自身と向き合い、ポジション争いに絡んでいく姿を見せようと決意する。言葉で示すのではなく、体現することが副将としてできることだと考えた。関東大学ジュニア選手権(ジュニア選手権)の入れ替え戦で、その成果は表れる。流経大に勝利し、3年ぶりにカテゴリー1に復帰。西田はその時のゲームキャプテンを務めた。副将就任時から目標にしていた「全員が心から応援できるチーム」を実現するため、入れ替え戦にはチーム全員を応援に呼んだ。4年生が多く出場するBチームが闘志あふれるプレーを見せ、結果を残したことは部員たちに影響を与えたのだろう。Bチームに触発されるようにAチームも続いて行われた対抗戦で、慶応に勝利。高校からの同期が試合に出て慶応に勝つ姿を見て、自分がプレーできなかった悔しさもありながら、チームが雪辱を果たせたうれしさを味わった。そして、関東大学対抗戦で優勝、全国大学選手権で5年ぶりの『年越し』を決め、迎えた準決勝。明治の防御網を崩せず、敗北を喫し、西田の早稲田でのラグビーは幕を下ろした。しかし、四年間で最も印象に残っているのはこの引退の時だと言う。試合に出られなかったメンバーも、後輩たちも泣いているのを見て、全員で戦っていたことを実感した。「『ONETEAM』で戦いたい」。そんな西田の思いはチームに届いていたのだ。

ジュニア選手権の入れ替え戦で勝利を収め、歓喜の表情を見せる西田(写真中央)

 卒業と同時に西田はラグビーの第一線からは退く。しかし、西田のラグビーはそこで終わりではない。ラグビーをしている人に、ラグビーを通して学んだことを伝えられたらと考えている。「うれしい思いよりも悔しい思いをすることの方が多かった」(西田)と振り返る早稲田での四年間で得たのは、挫折から奮起する力だった。「悔しいと思わなかったやつに成長はないし、でも、悔しいと思っているやつにはいつかチャンスがくる」(西田)。決して順風満帆ではなかったラグビー人生。苦しいときもひたむきにプレーを続けてきた男の言葉だからこそ、その言葉は重みを帯びる。ラグビーから学んだことはきっとこれからの人生においても通用するはずだ。新たなステージでもその力を武器に活躍してくれることだろう。

(記事 山本小晴、写真 新開滉倫、石塚ひなの)

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