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スケート部

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2019.03.18

【連載】『平成30年度卒業記念特集』第61回 鈴木ロイ/アイスホッケー

憧れのその先に

 鈴木ロイ(教育=北海道・苫小牧東)はCマークがよく似合う男だ。1年生から試合に出場し続け、3年生で副将に就任。ラストイヤーは主将として強烈なリーダーシップでチームを引っ張り続けてきた。4年間タイトルを獲ることはできなかったが、鈴木が率いた昨シーズンの早大の戦いぶりは人々の記憶に残るものだった。早大の躍進に大きく貢献した主将・鈴木の4年間を振り返る。

 鈴木がアイスホッケーを始めたのは小学2年生、そのきっかけとなったのが4歳から触れていたインラインホッケーだ。陸上でインラインスケートを履いて行うインラインホッケーを近所の運動公園でやるうちに、氷上で行われるアイスホッケーに興味を持ちクラブチームに入ることとなった。高校進学の際にアイスホッケーの本場である北海道に行って切磋琢磨したいという気持ちが芽生え、苫小牧東高校へと進学。北海道と東京ではやはり氷上に乗る回数が段違いであり、東京よりも恵まれた練習環境で高校3年間を過ごした。

 「エンジを身にまとった選手たちがすごくかっこよくて、小学生の頃に一目見た時から俺は早稲田に行くんだと決めていました」。エンジのユニフォームを身に着けたい、その一心で文武両道を貫いてきた鈴木。自己推薦で早大に合格し、幼いころからの夢を一つかなえた。すると、さっそく早大入学直後から、監督・コーチ陣へのアピールを欠かさない。4年間での一番印象に残っているという大学のデビュー戦・高麗大学交流戦でも「俺のプレーを見てくれとガンガンアピールした」。2日間で2得点を決め首脳陣へインパクトを与え、鈴木はルーキーイヤーから主力のセットで起用されるようになる。

抜群のシュート力で得点を量産した

 3年目になり副将に就任した鈴木は、キャプテンやスタッフ陣との話し合いを重ね、チームでしっかりとできていないところを洗い出し改革を実行。ちょうどトレーナーが変わったこともあり、早大はガラリと違うチームになった。しかし3年目も結果は付いてこず例年通りの成績で終える。そして鈴木にとってのラストイヤーが始まった。鈴木の代は下級生の頃から試合に出ている選手ばかりで、自分たちが4年生になった時は強いだろうという思いを持っていた。しかし、シーズンが始まってみれば、春は上位校の牙城を崩せず代わり映えのしない4位、早慶戦では43年ぶりの歴史的敗北を喫してしまう。この結果に危機感を持った鈴木ら4年生は何度もミーティングを重ね、チームのことを話し合った。そして迎えた秋シーズン、早大は関東大学リーグ戦で明大、中大などの強豪を次々に撃破。「後半になるにつれて自分たちの力を過信しているところもあったし、首位を守らなきゃといってチャレンジャーの精神がなくなって、最終的には残念な結果になってしまった」と優勝を逃したリーグ戦を振り返ったが、5年ぶりの2位という最終成績は鈴木の率いる早大が誇るべき素晴らしいものだ。

 卒業後はアジアリーグの東北フリーブレイズに進み、プロアイスホッケー選手になる鈴木。だが、早大に入学した時点では、ホッケー以外の世界も見てみたいという思いもあり、トップリーグに進もうという強い気持ちがあったわけではない。そんな鈴木に転機が訪れたのは大学2年の終わりから大学3年にかけてだ。将来のことを考え始め、公務員の塾に通ったこともあった。しかし、こんなことはいつでもできるじゃないかという考えが頭をもたげた。「やっぱり今しかできないことをやりたいと思って。今しかできないのはホッケーだから、ホッケーを続けたいと思いました」。大学4年の5月にプロに進めることが正式に決定し、その瞬間はアイスホッケー選手としての未来が一気に開けた気がして非常にうれしかったという。

 東北フリーブレイズへは社員の選手として入団し、アイスホッケーをやりながら、新社会人として働く。ホッケー面では状況を打開できるようなプレーヤーになりたいと意気込む。その一方で人間としての成長も思い描いている。「あのロイ選手は勉強とかそういうところも手を抜かなかったんだって。僕も勉強頑張ろう」。そんな風に子供たちの目標となる選手になることがプロに進んでからの鈴木の目標だという。「僕のことを目標にして文武両道を頑張ってくれる子供たちが増えてくれたらうれしい」。鈴木が子供たちにとって憧れの選手となるその日が、今から待ち遠しい。

(記事 小林理沙子、写真 糸賀日向子氏)

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