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バレーボール部

2018.10.02

アジア競技大会 8月18日~9月2日 インドネシア・ジャカルタ

【特集】アジア競技大会事後インタビュー『2020の先に』堀江友裕

 秋季関東大学リーグ戦(秋季リーグ戦)も後半に差し掛かる。先日の試合で日体大に敗れ、大学相手の公式戦連勝記録は30で途絶えたものの、早大の強さは失われていない。早大の強みの1つが「どの大学にも負けない粘り強さ」。その中核を担っているのがリベロの堀江友裕(スポ3=和歌山・開智)だ。彼は今コートに立っていないが、これまでに何度もチームのピンチを救ってきた。その実力を買われ、堀江は8月下旬から開催されたアジア競技大会に出場。もう1人のリベロ、早大OBである本間隆太(平26スポ卒=現ジェイテクトSTINGS)と共に5位という結果に大きく貢献した。なかなか出場する機会がなく、悔しい思いをしたという堀江。今何を考え、何を目標としているのか。心境の変化についてたっぷり伺った。

※この取材は9月8日に行われたものです。

『14』のユニホームを着用してくれました

 

インドネシアでの毎日について

――アジア大会お疲れ様でした

ありがとうございます!

 

――開会式で堀江選手が映っているところをテレビで拝見しました

本当に偶然だったんですよ(笑)。カメラが来たのでアピールしたら、たまたま(笑)。

 

――開会式は楽しめましたか

今までもアンダーカテゴリーとかの国際大会は出ていましたが、オリンピックのような国際総合大会というのは初めてでした。開会式の国民の熱気というか、そういうのは本当にすごい!の一言でした。それが2年後にこの東京であるとなったら、もちろん選手として目指したいところですが、日本がどうなるんだろう、というワクワク感も自分の中で芽生えました。

 

――違う競技の選手との交流はありましたか

挨拶程度は。選手村では日本選手団の棟がありました。テレビで見るような選手がいっぱいいて、自分もそういうところにいるんだ、ということを感じられました。

 

――選手村での食事はいかがでしたか

色々な国に行っているので、大丈夫だと思っていたのですが、お腹を壊しました。結構大変でしたよ。ほんまにこれ食べて大丈夫なのかな、みたいな(笑)。生野菜とかは食べないように気をつけていました。

 

――選手村での生活は大変でしたか

シャワーの水がすごく変なにおいだったんですよ。そういうのは結構不安でした。

 

コートに立ったらあっという間

――全部で5試合、インド戦(○3-1)以外は全てフルセットでした。全体をふりかえっていかがでしたか

コートに立って活躍する、ということはあまり無かったですが、外から見ていてもアジアのレベルを感じることが出来ました。フルセットの戦いで、コートに立っているメンバーが疲れている感じも見てとれましたし。やっぱりそれを見て、「コートに立ちたい」という思いがすごく強くなりました。

 

――コートに立つことが出来ない悔しさはありましたか

そうですね。メンバーに選ばれて、試合をしに行っているので。本間さん(隆太、平26スポ卒=現ジェイテクトSTINGS)が調子悪くなったらちょっと出るということはありましたけど。調子が悪いから出るのではなくて、流れを変えたいときに僕を出してほしかったというか。出してもらえるような存在じゃなかったという自分なりの見解もあって。言い方は悪いですが、そこまでチームに必要じゃなかったのかなと考えると、余計に悔しい思いが湧いてきます。

 

――現地では堀江選手が観客を巻き込んで応援する姿がとても印象的でした

今までだったら、試合に出られないとふてくされるような性格だったのですが、日の丸を背負って、日本代表として出場しているので、そんなことは言っていられないというこが自分の中でありました。その中で、1試合目は普通に応援していたら、コートのメンバーから「ベンチの声がすごくよく聞こえてくる。俺らの力になっている」ということをコートの中で言ってもらえました。それで自分のやっていることに意味があるんだなと。2戦目からはオーバーリアクションしたり、会場を煽ったりしました。会場を味方につけるという感じですかね。もちろん、それは見方を変えれば試合に集中していないという風にも考えられますけど、それでも少しでもコートの中をプレーしやすい状況に変えていきたいという気持ちがありました。そういう意味では、自分の仕事ができたかな、とも思います。

 

――インドネシアの観客の皆さんは日本をよく応援されていましたよね

バレーボールを見に来ているのか、スポーツを見に来ているのか、あんまりよく分からないんですけどね(笑)。アジア大会というスポーツのお祭りの中で、目の前で起きていることに対して興奮して応援してくれているというか。そういう歓声を味方につけたらこっちのもんやって思っていました。

 

――カタール戦について振り返っていただけまか

あれで負けてメダルがなくなった、という試合でした。負けた時は、試合に出られなかった悔しさよりも、チームとして負けた悔しさがすごく強くて。相手が接戦を勝って喜ぶ姿を見て、今までに味わったことのないような悔しさがありました。試合に出ていたメンバーは僕よりもっと悔しいわけで、そういう僕より先輩の方々が悔しがっている姿を見て、日の丸の重みを感じました。日の丸を背負って戦う、というのことは結果にこだわらないといけません。結果的に負けてしまって、色々な悔しさがこみあげてきました。

 

――試合後の切り替えはうまくできましたか

悔しい思いはありましたが、深津さんから「負けたのはもちろん悔しいが、まだ試合がある以上は日本代表として戦っていかなければならないと思っているので、気持ちを切り替えて頑張りましょう」という言葉がありました。そこでみんな切り替えられたのかなと。

 

――インドネシア戦の雰囲気はいかがでしたか

1セット目では点差が離れていたのに追いつかれてしまうということもありました。外国人選手は波に乗せたら怖いところがあるので。観客の声援とかもすごかったのですが、それでも日本を応援してくれる方もいらっしゃって。すごいなと思いました。

 

――インドネシア戦でコートに立ってみて

2セット目からサーブレシーブが本間さん、ディグが僕という形で出させてもらいました。このユニホームを着て、試合に出るのは嬉しくて、盛り上げていこうと思っていたのですが、コートに立ったらそんな余裕もなくなりました。本当にあっという間に終わってしまったんですよ。良いプレーも出来なかったですが、若手らしくコートを走り回ることは意識してやっていました。

 

――今回の大会は本当に逆転が何度も起こりましたね

国際試合での2、3点差は本当にあってないようなもので。序盤5点差くらいついていても、終盤で逆転されることが普通に起こります。大学の試合だと序盤にリードするとかなり楽に戦える、ということはありますが、アジアだとそうはいかず、勝負の厳しさを教わりました。

 

――勝利した直後はどのような気持ちでしたか

勝った喜びよりも、終わってしまったなという気持ちの方が強かったです。インドネシアでの生活は長かったようで、終わってみれば短かったなと感じています。この全く同じメンバーでまた試合をするということはたぶんもう無いので、そういう寂しさとかもありました。

 

――アジア大会のチームはどのようなチームでしたか

社会人と学生がまじるようなチームで。先輩方が全試合終わってからのミーティングで、「始めの頃は学生と社会人の間に意識の差があった。でも、最後は僕達についてきてくれた」と言ってくれました。僕も学生の立場から見てですが、ちょっとは同じ舞台に立てたのかなと感じました。それでも最初から最後まで先輩についていくことしか出来なかった情けなさもあって。そこでそう思われてるということは、自分はまだまだだなと。将来性とか、若手強化の面選抜された部分もあるので・・・。そういうのも含めて、全部悔しいですね。

集合写真

 

――印象に残っている試合を上げるとしたら

強いて挙げるなら、カタール戦の5セット目ですかね。9回ぐらいマッチポイントがあったのに勝てなかったっていう。逆にカタールはこっちに何度もマッチポイントを取られながら逆転して。天国と地獄の差ですよね。もうすぐ天国が見えてたのに、そこから一気に地獄に突き落とされたという感覚で、試合には出ていませんでしたが、一番印象に残っています。変な話ですけど、あと1点取れば勝てる!って思っていたので。

 

――カタールの選手はとても高さがありました

そうですね。高さはとてもありました。大きいだけじゃなくて、2段トスもとてもうまかったです。サーブ乱れてもネットまで持ってきて高さを生かして決められる、というのが多かったです。こっちが攻めているのに負けてしまうという感覚がありました。

 

――大学バレーボールとの違いは

やっぱりさっき言った「2、3点差はあってないようなもの」が一番大きな違いですかね。他には勢いに乗せたら止められない、とか。今までアンダーカテゴリーでも試合をしてきて、勢いに乗せたら止められないけど、勢いづかせなければ大丈夫みたいな感覚がありましたが、カタール含めてどのチームも2段トスとか、つなぎの部分がすごく上手くて。シニアに向けて上手くなってるのか、アジアのレベルが上がってるのか分からないですが、先輩方は「アジアのレベルが上がっている」とみんな言っています。日本はアジアの中では負けられない立場にあるので、これからシニアにいくにつれて、リベロという立場としても、つなぎは当たり前のようにできているようになりたいです。

 

――試合以外に楽しかったことはありますか

アンダーカテゴリーの大会は、しばりとか「これやっちゃだめだよ」みたいなルールか厳しいところもありますが、オフの日は結構自由な感じで過ごすことができました。最終戦が終わった後は少し時間があったので、先輩方と海に行ってお酒を飲むこともありました。海はあんまりきれいじゃなかったですけどね(笑)。船にちょっと乗りました。そういうのがすごく楽しかったですね。ホテルではなく選手村だったので、他の国の人とものを交換するとかの交流もあったのもとてもいい経験ができました。休みの日はショッピングに行ってお土産を買ったりもしました。現地の人が日本代表のお世話係をしてくれて、そういう方にちょっと案内してもらうこともあって。

 

――事前インタビューでは、社会人のプレーヤーと大学生に意識の差が合って苦労したというお話がありましたが、仲良くなれたのでしょうか

本当は僕らから話しかけて距離詰めないとだめだったのかもしれませんが、1番上の高松さん(卓矢、豊田合成トレフェルサ)とかが「堀江~」みたいな感じでいじってくれて、そのおかげでどんどん溶け込むことができました。上の人が距離を詰めようとしてくれて、助かりました。ベテランの人もそうですが、昨年まで東海大にいた小野寺さん(太志、JTサンダース)は2つしか年が変わらないので、たくさん面白い話をすることができました。そういう意味では心の支えみたいな感じだったかな、と思います。

 

日本のバレーボールを盛り上げる使命

――堀江選手にとってこの大会はどのような大会になりましたか

僕自身は「いい経験できたな」という言葉が好きじゃなくて、その瞬間瞬間でできることを一生懸命やって成長していきたいと考えているんですよね。でも、今回のこの大会に対しては本当にいい経験ができました。試合をリザーブとして間近で見ることができ、開会式に参加でき、国民の盛り上がりを感じることもできて。この経験を絶対生かしていきたいです。これからは、「全日本の堀江」として見られることもあると思うので、これから日本のバレーボールを背負っていく人間になっていくという使命も持っていると感じています。だからと言って意識しすぎるのも良くないですが、将来もう1度ユニホームを着て、今度はコートに立って活躍したいと思いますし、それに加えて「活躍しなきゃいけない」とも思いますね。

 

――五輪についてお聞かせいただけますか

東京五輪ってなるとあと2年後ですよね。僕の中で2年後というのは少し早すぎるかなということを思い始めました。目指したいし、出場したいですが、あまり現実的じゃないなと。やっぱり2020だけが僕のバレー人生だけじゃないですし、次の2024とかもありかなって。2024年なら僕も27歳で、そのくらいを目指してもいいのかなと思っています。まだ頭の中で整理しきれていないですけどね。頑張り過ぎたらやっぱりケガすることもあるし。気持ちが今2024年に傾きかけている感じです。2024年に向けての中間地点としてもし2020年に出場するチャンスが転がり込んできたら、それは絶対ものにしたいです。

 

――その心境の変化はアジア大会を経験したからなのでしょうか

ちょっと前からみんなにも「2020年は実際少し厳しいかな」という話はしていました。23歳ですし、大学卒業してすぐなので。Vリーグという国内最高レベルの舞台を経験しないと堂々と日の丸つけられないんじゃないかなとか、それでも目指せばいけるんじゃないかとか、そういう葛藤があって。アジア大会を経験して、試合にも全然出られなくて。ここでコートに出てばりばり活躍してメダルを獲得して、ってなっていたら、よし、東京五輪目指そうってなったと思いますが、まだまだ実力もなくて、リザーブという形だったので。試合に出られなくても練習はするのですが、なかなかモチベーションが上がらないという中で実際に監督からも「2024を目指して、1日1日を無駄にするな」と言われて。あ、そうか、そういう考え方もあるのかって思わされました。

 

――本間選手の活躍について

ちょっと言い方は失礼になってしまうのですが、僕が思っている以上にとてもすごかったです。選抜チームでは、調子がいい選手が使われるということもあって、代表メンバーに選ばれてからが勝負なので、頑張れば僕もポジションがもらえるのではないか、と思っていた自分が本当に情けないですね。試合でもここ1本集中したい、という時は本当に素晴らしいプレーをしていて。発言もとてもたくさんされていて、自分をしっかり持っているな、と。自分にはまだそういう柱というか、自分の軸というものがはっきりしていないので、そういうところで差を感じました。同じポジションでライバルでもあるのですが、今の段階ではまだまだ本間さんにはかなわないなと感じました。本間さんから「お前は絶対やっていけるよ」と言ってもらえました。まだその意味は自分にはよくわからないですが、憧れの本間さんから言われているので、自信を持ってこれからも頑張りたいと思いました。

 

――代表シーズンを終えて、これからに向けて

早大で成長して、練習を教えてもらってシニアに行けたと思っています。元の部分なので、早大の4年生、そして快く送ってくれた松井さん(泰二監督、平3人卒=千葉・八千代)に感謝したいです。恩返ししていきたいと思っていますし、シニアで得た経験を伝えていきたいです。どんな形でも、チームに貢献したいと思っています。

 

――ありがとうございました!

 

(編集 松谷果林 写真 松谷果林、本人提供)

◆堀江友裕(ほりえ・ともひろ)

1997年(平9)6月22日生まれ。身長183センチ。和歌山・開智高出身。リベロ。スポーツ科学部3年。いつもコートを盛り上げ、後輩のフォローも欠かさない堀江選手。今回の対談も物腰柔らかに色々なことをお話ししてくれました。「オリンピックまで1日も無駄にしたくない」と強い決意をにじませた姿はとても頼もしかったです!

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