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2018.03.21

【連載】『平成29年度卒業記念特集』第69回 瀬戸公大/アイスホッケー

副将としての心掛け

 「アイスホッケーをやっていなかったらここまで来られなかった」。何度もつらい思いを味わった。思うような結果が出ないことも多かった。それでも16年間の競技人生を振り返って、瀬戸公大(スポ=北海道・白樺学園)が口にしたのはアイスホッケーへの感謝だった。彼のアイスホッケー人生、そして副将としてAマークを背負ったこの1年はどのようなものだったのだろうか。

 アイスホッケーの盛んな北海道に生まれた瀬戸。両親はプロの選手であり、物心つく頃からアイスホッケーに触れてきた。本格的にアイスホッケーを始めたのは小学1年生のとき。中学からはアイスホッケーの強豪である北海道・白樺学園に進学し、2度の全国高等学校競技選手権での優勝という華々しい結果を残して、ワセダに進学する。

瀬戸は副将としてチーム全体に気配りを欠かさなかった

  大学では中高とのギャップに戸惑いもあったという。明確な『白樺のホッケー』というものがあった高校時代に比べて、ワセダには確固たる『ワセダのホッケー』というものは存在しないように感じた。監督に何かを強制されることもほとんどなく、だからこそ「自分たち自身がチームのことを考えなければいけないのだ」、という意識が徐々に芽生え始めた。また、瀬戸が感じた高校時代との違いはそれだけではなかった。大学入学後は下位のセットで起用されることが多かった瀬戸。しかし、主力セットの選手に対して「自分が出た方が良いプレーができるのではないか」と感じてしまう瞬間があったという。高校時代は下位セットで試合に出場機会が少なくても、不満に思うことはなかった。なぜなら上位セットの選手たちは、そのような思いが生まれる余地がないほどの圧倒的なプレーを見せてくれたからだ。そんな環境に、初めてアイスホッケーをやめたいと思うことも。自分のやりたいホッケーと求められているホッケーの間で葛藤を抱き、苦しんだ時もあった。

 一度も『優勝』をつかめず、下り坂だった3年間。そして迎えた最終学年、瀬戸は副将を任される。これまでの3年間と同じことをやっていたら絶対に勝てない、という思いがあり、優勝した経験から得た知識や方針など自分が持つもの全てをチームに反映できるように努力を重ねた。しかし、シーズンの始まりである関東大学選手権は、近年のワセダでは最低の順位である7位という屈辱的な結果に終わる。しかし、この結果がなによりもチームを目覚めさせてくれた。全員が本気でチームのことを考えるようになった。夏の陸トレ期間を経て、チームは一丸となって秋の関東大学リーグ戦(リーグ戦)に挑む。前半戦は下位セットでの出場だった瀬戸だが、後半戦はケガした選手に代わって上位セットで起用され、「偶然でもチームに貢献できる機会が増えてよかった」とリーグ戦を振り返った。12月、瀬戸にとって最後の日本学生氷上競技選手権(インカレ)。ワセダは準々決勝で、1年間を通して勝利を挙げられていないメイジと対戦する。結果は、一時はリードを奪うも逆転負け。インカレ優勝の夢はここで途絶えてしまった。『優勝』を後輩に残すことはできなかったが、チームとして全員が同じ方向に向かって頑張ったこの経験は、決して忘れられないものとなった。

  そして、この1年間、瀬戸が心掛けていたことはもう一つある。主将ともう一人の副将が、どうしても主力セットのことを考えがちになってしまう中、瀬戸は出場機会の少ない下位セットや控え選手への声かけを忘れなかったという。それはなぜなのか。高校の途中までは主力のセットでやることが多かった瀬戸だが、その後は大学の4年間も含めて下位セットでの出場がほとんどだった。どちらの経験もあるからこそ、そしてAマークをつけている自分だからこそ、できることがあると思った。下位セットのモチベーションを保つことの難しさを瀬戸自身がよくわかっていた。それでも彼らにも腐らずやってほしい。自分のような経験をしてほしくない。そんな思いからの行動だった。「それがよかったのか悪かったのかは、下のセットに聞いてみないとわからないですけど」と謙遜したが、間違いなく、瀬戸の言葉に救われた選手たちは多かっただろう。

 アイスホッケーに関しては様々な感情があって、一言ではまとめられないという。けれども、瀬戸をここまで成長させてくれたのはやはりアイスホッケーである。「大学4年間良い結果を残せなかったので、これから新しいところで良い結果を残していきたい」と晴れやかな顔で語った瀬戸の視線の先には、もう次のステージがある。

(記事 小林理沙子、写真 川浪康太郎氏)

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