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ラグビー部

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2018.03.23

【連載】『平成29年度卒業記念特集』第73回 加藤広人/ラグビー

奮闘し続けた4年間

  選手として、主将として戦い抜いた4年間だった。何度もチームの窮地を救い、チームを献身的に支え続けた。また、チームが最善の道に進むためにどれが最適な選択か悩み、伝達することも欠かさなかった。「成長させてくれた場所」。加藤広は早大という場所をこのように語った。そんな加藤広の4年間を振り返っていきたい。

  ラグビーとの出会いは小学校2年生の時。きっかけは母親の勧めだった。そんな加藤広が早大を目指すきっかけとなった試合がある。地元秋田行われた早明戦だ。試合は明大を57-0で一蹴。加藤広に強烈なインパクトを与えた。以降、憧れの早大に進学するために加藤広は努力した。その結果、高校3年生時に高校日本代表に選出。後藤禎和元監督(平2社卒=現ワセダクラブ)から声を掛けられ、早大に進学することを決意。夢を叶えた加藤広だったが、自身の描いていた理想の早大の練習とは違うものがあった。早大の練習は当時、基礎練習に重点を置いていたのだ。加藤広はこの練習で「基本、基礎の大切さを教わった」という。そして、加藤広は1年時、夏合宿の帝京大戦で赤黒デビューを果たす。しかし、「チームも自分も何もできず、とても悔しかった」とこの試合を通じて自身の無力さを痛感し、さらに練習に励むようになった。

グラウンドでは常にチームを鼓舞し、プレーでもチームをけん引した

 1年生の3月にはジュニアジャパンに、2年生になった4月にはU20日本代表にそれぞれ選出され国際舞台を経験した。「自分自身の力がまだまだということを再確認させられた。また、もっと自分から情報を発信しなければならないと感じた」とこの2つ遠征でコミュニケーションの大切さを実感。以降、よりチームに情報を発信するようになった。

  そして主将として迎えた最終学年。春季からチームにとっても、加藤広にとっても苦しい時期が続いた。チームは結果が出ず、自身もケガにより試合に出場できない日々が続いた。しかし、それでも不安はなかったという。「横山(陽介、スポ=神奈川・桐蔭学園)や、頼りになる選手がいるので、心配はなかった」と当時の心境を振り返る。試合に出場できない時も加藤広はチームを支え続けた。試合後のミーティングではグラウンド外から見て感じた課題などをチームに発信していった。そして、ケガから復帰後、加藤広のチームへの献身ぶりはさらに増す。本来のポジションであるフランカーから二列目のロックへコンバート。さらに、ラインアウトでは常に核として活躍し続けた。全国大学選手権大会3回戦東海大戦。加藤広はこの試合で1トライを挙げるなど奮闘したが、敗戦し加藤広の主将としてのシーズンはここで幕を閉じた。試合後にこんな言葉を残している。「結果だけが悔い。自分がやってきたことに後悔はない」。この言葉が裏付けるように、後悔のないやり切った4年間だった。

 卒業後、加藤広はサントリーサンゴリアスに進む。サントリーは現在日本選手権を2連覇している日本でも屈指の強豪だ。チームには各国の代表でプレーしてきた名選手がずらりと並ぶ。加藤広は「しっかりとチャピオンチームのマインドを勉強したい。将来的には日本代表、サンウルブスのスコッドに入りたい」と語る。早大で再確認した基礎の大切さ。その初心を忘れずに堂々とプレーすれば、日本代表、サンウルブスで活躍する日も遠くないはずだ。

(記事 小田真史、写真 栗村智弘氏)

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