バドミントン部

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2018.03.15

【連載】『平成29年度卒業記念特集』第56回 中西貴映/バドミントン

強くなるために

 バドミントン選手として中西貴映(スポ=埼玉・大宮東)の強さは誰もが認めるところである。その中西が一人の人間として大きく成長したのが早大での四年間であった。輝かしい経歴を残した大学生活を終え安堵(あんど)の表情を浮かべたその奥では、すでに前を向く中西の姿が見えた。

 小学4年生の時に何気なく始めたバドミントンであったが、小学6年生、そして中学校進学後も続けて県大会で優勝するなど、その強さは疑いのないものであった。「直感で選んだ」という埼玉・大宮東高への進学後は徐々にダブルスで結果を残し始める。そして同じ大宮東高の一つ上の先輩であり、現在日本のトップ選手の一人である奥原希望(日本ユニシス)の影響を受け、掲げた目標は『日本一』だった。そして2012年度の国民体育大会少年女子の部ダブルスで憧れの奥原とともに優勝を果たし、目標であった日本一を達成して早大に進学。十分な実績を手にして入学した中西は早くも1年生の関東大学春季リーグ戦から出場することとなった。頼りになる先輩たちの下プレーすることは、自分の力を最大限に発揮できる環境でもあったという。バドミントンを含め、私生活も毎日が楽しくて仕方がない。伸び伸びと生活することは中西のバドミントンへの意識を集中させる要因ともなっていった。

チームのために奮闘した中西

  バドミントン部では伝統的に入学が決まった時点で主将が決まるという制度がある。その伝統にならい、中西も入学時に主将になることが決まっていた。しかし自分は主将に向いていないと考えており、なかなかその覚悟を決めることができなかった。中西ほどの選手でも主将の責務は簡単には越えられないカベであると感じていたのだ。それでもやるしかない。この経験を糧にしようと覚悟を決めたのは新体制になって4カ月が経過した頃であった。目標は『全日本学生選手権(インカレ)団体優勝』。雰囲気のいいチームをつくり、お互いが切磋琢磨することでチーム力向上を図る。はっきりとものを言うこともあった。それも全てはチームのためであった。

 主将として、チームとして、中西は常に勝利を求められ続けた。その重圧は計り知れないが、主将を終えてみて初めて気が付いたという。自分が勝たなければ始まらないということは潜在的に意識していたのだろう。そのプレッシャーと無意識に戦い続け、インカレへと臨んだ。目標である『団体優勝』にはあと一歩及ばなかったが3位入賞し、メダルを獲得した。そして個人戦シングルスで見事日本一に輝いたのだ。このときの決勝戦が、中西のバドミントン人生で最も印象に残っている試合だという。「奇跡が起きた」。ゲームカウント1ー1で迎えた最終ゲーム、中西は16ー20で窮地に立たされていたが奇跡の逆転劇で優勝を決めたのだ。生活を楽しんでいた下級生時から一転、全ての行動がバドミントンにつながると信じ、私生活の部分でも意識を変えたことが勝つことができた要因の一つではないかと考えている。「ちゃんと生活をしてきた人が最後の一点を取れるはず」。勝利の女神は、そんな中西に味方してくれた。その奇跡を実感できた瞬間だった。

 すでにバドミントン選手として日本ユニシスで活動を始めている。そんな中西にとって最高の同期、仲間に囲まれて過ごした大学四年間はこれからの選手生活にも大きく影響するだろう。主将としての目標こそ達成できなかったが、メンバー10人と唯一メンバー外となった部員に自分のメダルをかけてあげられたことが主将になってよかったと思えた瞬間だという。みんなで同じ目標に向かって同じ気持ちを持って戦えたこと。これこそが中西を一人の人間として大きく成長させたものだった。これからの目標は『日本代表に入ること』。日本の女子ダブルスは世界的に見てもレベルが高い。夢に見ていた環境に身を置くことになり、周りのレベルの高さにいやになることもある。しかし中西は強くなった。2月に行われたオーストリア・オープンではなんといきなり優勝を果たすなど、中西の強さはすでに上のレベルでも通用するものになっている。これからも常に勝利を求め、夢を追い続ける。

(記事 佐藤慎太郎、写真 佐藤菜々)

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