卓球部

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2018.03.09

【連載】『平成29年度卒業記念特集』第46回 上村慶哉/卓球

『主役』への成長

 圧倒的な存在感、とでも言おうか。上村慶哉(スポ=福岡・希望が丘)の堂々としたプレーはいつでもチームに安心感と勢いをもたらしてきた。今、主将としての一年間を強い覚悟をもって駆け抜けた上村は紛れもなくワセダの大黒柱と言うことができるだろう。しかし、上村は自身の卓球人生において常に光が当たる立ち位置ではなかった。『名脇役』から『主役』へと大きく成長した上村の4年間の軌跡を振り返る。

 上村が卓球に本格的に取り組み始めたのは小学校4年生の頃。高校は親元を離れ福岡県の名門、希望が丘高校へと進学。厳しい練習に必死に耐え、実力をつけていった。高校3年時には、全国高校選手権で団体優勝を果たすなど華々しい結果を残したが、当時のチームの中心は田添健汰(専大)であり、上村はダブルスのスペシャリストという印象が強かった。それでも、「あの時は純粋に卓球が楽しかった」と語るように満足感に溢れた高校時代を過ごし、早大へと進学した。

背中でチームを引っ張ってきた上村

 大学生活に胸を高鳴らせながら上京した上村を待ち受けていたのは厳しい現実であった。早大卓球部は自主性を重んじており、練習メニューを考えるのも、試合に向けたコンディションの調整方法を考えるのも全て自己責任である。高校までとは全く異なる練習環境に慣れず頭を悩ませていた上村であったが、時間は待ってくれない。高校時代の実績を評価されて1年時からレギュラーに抜てきされ、さらにはエースの大島祐哉(平成27スポ卒=現木下グループ)とダブルスを組むことになった上村。チームに貢献しようと必死にプレーしたが、レベルの高い大学卓球の舞台では高校時代のようには簡単に勝たせてはくれない。思うようなプレーができず、チームの勝敗がかかった試合での敗北は大学4年間での最悪の思い出として上村に深く刻まれることになった。「試合に出られない先輩のことも考えると、本当に辛かった」。

 大きな壁にぶつかった上村に変化が訪れたのは2年時。ナショナルトレーニングセンターなどで他大学の選手やトップ選手と練習する機会が増えた上村は、強い選手の共通項を発見した。「強い選手はみんな『自分』、というものを持っている。良い意味でのわがままっていうか。それぐらいの気持ちがないと強くなれない」。田添、大島といった絶対的エースを近くで見てきた上村だからこそ気付くことができたのであろう。それ以来、上村は食事、トレーニングなどとにかく自分自身と向き合い、生活の全てを卓球に捧げる覚悟で他人に流されない『自分』を確立した。この変化に結果も伴い始め、全日本学生選抜選手権では自身初の全国タイトルを獲得。ここから早大の主役への道を一気に駆け上がった上村は、大島の卒業後ついに卓球人生で初めてのエースという役割を担うことになった。

 そして大学最終年、主将という役割も担うことになった上村には、ワセダの大黒柱としての信念があった。上村はチーム全体に対してはっきりと物事を言う事が得意ではないため、後輩との近い距離感を大事にし、チームの雰囲気を明るくすることを心掛けた。その一方で、卓球では誰よりもたくさん練習し、試合では全力でプレーして結果を残すことでチームを引っ張ろうとしてきた。事実、この一年間リーグ戦では9勝を挙げ、個人戦でも常に早大トップの成績を残してきた。目標としてきたリーグ戦の優勝は叶わず、「(理想像には)届かなかったです」と苦笑いした上村であったが、その目はどこか充実感に満ちているように見えた。

 上村は卒業後、実業団の強豪・シチズンに入社する。これまでとは大きく異なる競技環境の中で困難にぶつかることもあるかもしれない。それでも上村は卓球選手として、社会人として、ワセダで学んだ人間力を生かして更なる飛躍を見せてくることだろう。上村慶哉のサクセスストーリーは続いていく。

(記事 吉田寛人、写真 本田京太郎氏)

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