ソフトボール部

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2018.03.07

【連載】『平成29年度卒業記念特集』第43回 角頼遼香/女子ソフトボール

駆け抜けた13年間

 原点は『楽しい』という気持ちだった。最初の記憶は、野球好きな父とのキャッチボール。褒めてもらえて、ただそれが嬉しかった。小学4年生になって、ソフトボール部に入った。バットがボールをとらえ、打球が外野へ抜けていく。そのワクワクする気持ちにとりつかれた瞬間から、角頼遼香(社4=千葉経大付)の13年にわたるソフトボール人生は始まった。「ボールにバットが当たってヒットを打つ瞬間って、ソフトボールを始めた時から引退するまで、同じくらいワクワクするんです」。何百、何千と安打を積み重ねてきても変わらないその少年のような心こそ、角頼の原動力なのだろう。

 ソフトボールの強豪である中学を卒業後、同じく県内屈指のソフトボール名門校・千葉経大付に入学。ソフトボールだけではなく、勉強や奉仕活動にも力を入れており、人間的に成長できると考えて進学先に選んだ。5時に家を出て朝練に向かい、元旦も自主練に打ち込むほどソフトボールに明け暮れていたが、「ソフト以外のことも頑張っているから応援される」と勉強はもちろん、普段の高校生活にも全力だった。そんな3年間を終えた後も、競技への愛は変わらない。早大入学後、迷わずソフトボール部の一員となることを決めた。

 小中高とすべてのチームで主将を経験してきた角頼は、早大でも主将に就くことになる。しかし、「いままでの経験が生きることもありつつ、ほとんどは生きないですね」と言うように、それは簡単な道のりではなかった。今までと違い、大学は学生主体で部を進行する。練習や年間予定も自分たちで決めなくてはならないが、その決定を行う主将自身が結果を残さなければ、部員はついてきてくれないだろう。また、早大ソフトボール部に入る部員たちはそれぞれが様々な人生を歩んできており、自分の成功体験を一方的に押しつけることはできない。結果を残しながらも、主将として決断すべきことと、部員と協調して決めるべきことを考える。様々な場面で葛藤し、思考することが求められた。
 

チームの勝利を誰よりも願い、チームのために誰よりも行動した。

 『大学4年間で一番嬉しかった試合は何か』と問われた角頼は、しばらく考えた後に「2年生くらいの試合」と答えた。自分が自分のプレーをし、それがチームの勝利につながることが純粋に嬉しかった頃だ。しかしその後学年が上がると、勝利した時味わう感情は『安堵』に変わる。それは上級生として、主将として、背負うものが増えたが故だった。「最終的に、部員がその4年間を過ごして幸せな時間だったなと思えるような、目標の先にあることが大事だと思っていて。勝つことはその要素の一つだったんじゃないかなと思います」。

 「自分も調子が良くって(嬉しかった)」という2年春と対照的に、4年春には人生最大のスランプに陥った。個人でもヒットが出ず、チームも春季リーグ戦を最下位で終えるなど、もがき苦しむ日々が続いていた。その後の全日本大学選手権はベスト16まで勝ち上がるも、試合が終わった瞬間味わった感情は悔しさだったという。「高校までは決めた目標は絶対にクリアして引退してきたんですけど、大学では目標をクリアせずに引退になってしまったので、そこが悔しかったですね」。そんな中で1部残留を勝ち取った主将の意地は素晴らしいが、角頼の過ごした早大ソフトボール部ラストイヤーは、順風満帆と言えるものではなかったのかもしれない。

 だがそれでも、角頼は早大ソフトボール部を『大好きな場所』だと言い切る。それは彼女が、仲間とのつながりを心から大切にしてきたからだ。「私が主将をここまで続けてこられたのも、やっぱりチームのメンバーに恵まれたからだと思っていて。それは日本一になったとか、どんな結果よりも一番良かったことだと思います」。そして何より忘れなかったのが、『楽しい』という気持ちだった。「厳しいなぁと思うことはあっても、キツイなぁとか辛いなぁと思ったことはないんですよね。それが昔から、私の不思議なところなんですけど(笑)」。多くの人に支えられ、ソフトボールを愛し続けた13年間。やり残したことはあるがその日々に未練はなく、「人の感情をプラスにすることがやりがい」と語るその目は、すでに未来を見据えている。「ただソフトが好きで続けてきた一人の人間」だと自分のことを話す角頼。この先どんな道に進もうとも、その行く手は、きっと明るいはずだ。

(記事 望月優樹、写真 中澤紅里)

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