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ボクシング部

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2018.02.15

【連載】『平成29年度卒業記念特集』第16回 井上稜介/ボクシング

主将としての強さ

 今シーズン主将として早大ボクシング部を率いていた井上稜介主将(スポ=東京・八王子東)。「ボクシング=痛み、99パーセントは辛い」と柔らかい表情で答える井上。決して楽なことなどなかった4年間の道のりとは。

 

 スポーツを始めたのは5歳の頃、最初に始めたのは柔道だった。中学時代は強豪校で部活をしていたが、高校では違うスポーツをやるため勉強で都立高校に進学しハンドボール部に入る。勉強と両立し早大にも一般入試で入学した。そんな井上が大学で部活に入ろうと思ったきっかけに、中学の同級生の存在があるという。中学時代、強豪の厳しい環境で戦っている井上を羨ましがり、自分も全国に出たいと勉強で強豪校に進学。その同級生が実際に総体に出場したことを知り、刺激を受け自分も体育会に入ろうという決意をした。練習の見学に行った時の先輩の練習している姿に憧れ、ボクシング部に入部することに決めた。

最後の早慶戦に挑んだ井上

 

 大学からボクシングを始めた井上の前には厳しいカベがたくさん立ちはだかる。同級生にはスポーツ推薦の経験者2人と、現在に比べ初心者の入部は少なかった。競技の性質上、実戦形式の練習の時はレベルの差と痛みを感じ続けていた。とりわけ早大の絶対的エース、岩田翔吉(スポ4=東京・日出)の存在は大きかった。高校で輝かしい成績を収め、早大ボクシング部に入部。周囲からの大きい期待を背負う立場でありながら結果を残し続ける。そんな岩田は「カリスマ的な存在」だったという。圧倒的な実力で周囲の期待に答え続ける『カリスマ』岩田、主将として細やかな気配りを絶やさず部員の気持ちを把握することに労を惜しまない井上、どちらが欠けてしまっても早大ボクシング部は成り立たなかっただろう。

 

 また、ボクサーと切っても切れない関係なのは減量だ。普段58kg程度の井上は2年次、リーグ戦でフライ級(52kg以下)の試合に出るために2週間ごとに約7kgの減量が必要だった。「2年の春学期はほとんどご飯を食べられなかった」と、想像を絶するような厳しい状況の中でも井上は感謝の気持ちを忘れない。「試合当日に母が丹精込めて作ってくれる100gおにぎりを食べるために基準より100g軽くなるように計算して減量する。大きなケガもなく続けることができたのはそんな母のおかげ」と語ってくれた。

 

 印象に残っている試合は2つ、3年時の早慶戦と4年時キャプテンとしての初めての試合だという。2年時に出ることの出来ず悔しい思いをした早慶戦、淡海昇太(平29教卒=神奈川・浅野)など可愛がってもらった先輩達の最終戦ということも重なり、モチベーションも高く臨んだ早慶戦。「試合前は監督からも負けると思われていた、あれが4年間のベストマッチだと思う」と本人も言うように、そこで井上は敢闘賞を受賞する活躍を見せた。もう1つはキャプテンとして初めて挑んだ4年時の関東大学ボクシングトーナメント1回戦。ワセダを背負うと言う重圧を改めて感じることになった。「歴代の主将はこの重みを感じながら戦っていたのかと感じた」と話すように、前日もなかなか眠ることが出来ず早慶戦や下級生の頃のリーグ戦とは全く違う気持ちで試合に臨んだ。

 

 「自分も留学でボクシングから離れた時期に退部を考えた」という井上。そんな時に支えられたのは先輩や同僚たちだった。「戦力にもならない自分を必要としてくれることが嬉しく、そこでリング外でしっかり貢献をしようと思えた」そんな井上、そんなキャプテンだからこそ後輩の気持ちを大切に考え、周りに気を配り続けることができたのだ。1対1のコミュニケーションを心がけ、自分の弱さなどを隠すことなく教え、話を聞いてくれる。そこが井上稜介という人間としての最大の『強さ』である。競技を引退しこれからは戦いの場所がリングから変わるが、存分に『強さ』を発揮し大きく活躍してくれるはずだ。

(記事 森田和磨、写真 庄司笑顔)

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