メニュー

相撲部

« 特集に戻る

2018.02.11

【連載】『平成29年度卒業記念特集』第10回 鬼谷智之/相撲

仲間と戦い抜いた土俵

 「とても濃い4年間でした」。鬼谷智之(スポ=愛知・愛工大名電)はワセダでの相撲生活をそう振り返る。彼がワセダの門を叩いたとき、先輩部員はわずかに2人。2部リーグでの団体戦出場もままならなかった。そんな相撲部も今では1部リーグで強豪校相手に善戦するまでになった。この躍進の中心にいたのは、創部100周年という記念すべき代の主将を務め上げた鬼谷である。決して大きな体ではなかった彼が第一線で活躍し続けられた、その土俵にかけた半生に迫る。

 鬼谷が生まれ育ったのは四国最南端の街、高知県土佐清水市。この地で5歳から相撲を始めた。稽古に励むにつれ相撲の虜になった鬼谷は、のちに母親と二人で地元を離れ、相撲の強豪校である愛知県の愛工大名電高校への進学を決断する。この異郷の地で母親と二人三脚で努力を重ねた鬼谷は、高校3年生の時、ついに全国大会決勝の土俵に立つ。初めての大舞台、それまでに味わったことのない緊張感の中、持ち味である鋭い立ち合いで積極的に前に出る。そのまま土俵際へ追い込み、勝利かと思われたが、相手にうまく投げられ黒星。惜しくも優勝を逃してしまった。しかし、「この経験が大学でも生かされた」と胸を張って振り返る一番だ。

主将としての貫禄を見せる鬼谷

 こうした実績を持ってワセダに来た鬼谷は、部員不足に悩まされていた相撲部にとって、まさに『救世主』であり、他の同期メンバー4人と共に名門復活の礎を築くことになる。入学当初はなかなか結果が伴わず、「どん底でした」と振り返る。それでも2年生となり、ついに歓喜の瞬間が訪れる。団体戦の大将として出場した東日本学生リーグ戦で悲願の2部優勝を達成する。さらには入れ替え戦にも勝利し、実に53年ぶりの1部昇格を果たした。「先輩たちが相撲部を守り続けてくれたおかげです」。この快挙を謙虚な姿勢で振り返る姿からも、鬼谷のワセダへの熱い想いがうかがえる。そして迎えた一年後、53年ぶりに挑む1部の舞台。しかし、鬼谷は大会直前にけがをしてしまい、無念の欠場となる。それでも、彼の脳裏に最も焼き付いている一番はここにある。それは、ここで負けたら2部降格という窮地に追い込まれた状況で、1学年上の先輩である小山雄太氏(平28スポ卒)が見せた意地の勝利である。メンバー外という客観的な立場から見るワセダの相撲には、より一層奮い立たされ、気合が入った。そんな鬼谷は、最高学年となり主将に任命される。それまでは「みんなを引っ張る存在ではなかった」と言うが、そのたくましい背中でチームをけん引し、数々の好成績を残した。特に、東日本学生選手権のAクラスでのベスト8は、チームとしての成長の証だった。

 試合中、何度も放たれた「強気だぞ」と仲間を鼓舞する言葉。それは、常に全力でぶつかっていく鬼谷を象徴しているように思えた。けがに苦しんだり、試合に出られない同期もいた。それでも彼らは最後まで鬼谷についてきた。「本当にいい同期でしたね」と微笑みながら振り返る鬼谷の顔には、感謝の想いが満ちあふれていた。

 大相撲は幕下上位の取組を見るのが一番好きという鬼谷。なぜなら、過去にしのぎを削ったライバルが数多く活躍しているからだ。そんなハイレベルな相手との経験を糧に、今後は大学院へ進学し、コーチとして相撲部に残る。自らの代で成し遂げられなかった1部での上位入賞の夢は、自らが指導する後輩たちに託された。紆余(うよ)曲折を経て、100年分の想いが込められたワセダの土俵。鬼谷の努力を見てきた土俵の神様もきっと微笑んでいるに違いない。

(記事 吉岡拓哉、写真 元田蒼)

« 特集に戻る