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競走部

2017.12.18

【連載】箱根事前特集『それが早稲田のプライドだ』 第10回 光延誠

 全日本大学駅伝対校選手権(全日本)の当日エントリーが発表された時、そこに光延誠(スポ4=佐賀・鳥栖工)の名前はなかった。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)後に発症したケガの影響で全日本を欠場、その後のレース、記録会も不出場となった。箱根(東京箱根間大学往復駅伝)前に思うように練習が詰めていない状況ではあったが、最後の箱根に懸ける思いが揺らぐことはない。今シーズンを振り返るとともに、決戦の時を控えた今の心境を伺った。

※この取材は11月26日に行われたものです。

「結果でチームを勢いづけないといけない」

笑顔で質問に応じる光延

――現在はどのようなメニューを行っているのですか

 出雲が終わってから1週間くらい練習を継続していたんですけど、その後少し腰を痛めてしまって。全日本も走れず、上尾ハーフ(上尾シティマラソン)も八王子(八王子ロングディスタンス)も欠場して、今は他の選手とは別のメニューをやっています。きょうから集中練習が始まるんですけど、それには少し距離を減らして合流するつもりです。状態もだいぶ戻ってきているので、あとはチームに合流して自分が迷惑を掛けた分を取り戻そうという気持ちで集中練習に臨みたいと思っています。

――ケガで練習が詰めない中でどのような調整をされていますか

 全日本も走る気でいましたし、みんなとは別で練習していたんですけど腰の状態も良くならず、箱根と全日本のどちらを選ぶかと言われると自分自身やっぱり箱根に懸けたい気持ちがあったので、今回の全日本は1年生に頼まざるを得ない状況になってしまいました。故障期間中は走るトレーニング以外では筋トレや体幹トレーニングをメインにやっていました。

――今シーズンになって新しく取り入れたトレーニングや練習方法はありますか

 1年から3年までやってこなかったこととしては、僕は不整地を走るのが嫌いだったんですけど、ことしはそれを捨て去ってクロカン(クロスカントリー)をジョグしたり、体幹トレーニングも取り入れてきました。苦手な部分からで逃げていた自分をことしは捨てようと思って、そういったトレーニングは取り入れてきましたね。

――卒論はどういった内容をやられているのですか

 長距離選手はピッチとスライドのタイプがあると思うんですけど、その二つのタイプを分けてそれぞれの特徴をみたり、その中でも特に結果を残している選手をスピード型、ロード型で分けて、どのような走りの違いがあるのかを具体的に調べるということをやっています。

――11月発売の陸上競技マガジン(陸マガ)に掲載されていた選手紹介で、光延選手の趣味の欄に『家具集め』と書いてあったのですが…

 今の寮の僕の部屋は長距離の谷口(耕一郎、スポ4=福岡大大濠)が一緒なんですけど、中が仕切ってあって1人部屋みたいな感じで自由に使えるので、いろいろ買ったりしています。やっぱり陸上のことだけ考えるのは息苦しいので練習は練習、オフはオフでしっかり分けたいなと思って、何か陸上以外のことをしようと考えた際に家具を集めたいなと思いました。それにハマっている最中に陸マガのアンケートが来たので、そう書きました(笑)。

――最近買ったモノは何ですか

 最近買ったのはコーヒーメーカーですね。自分の部屋で飲めるようにしたら同期も後輩も部屋に来て会話もできるようになったので、買ってよかったなと思っています。

――競走部の長距離選手はMonsterを飲んでいるイメージが強いのですが、コーヒーも飲まれるのですね

 そうですね。早稲田はMonsterのイメージが強いと思うんですけど、Monsterがどうしても手に入らない時とかはコーヒーを飲んでいます。ほとんどの選手はMonsterとかを飲んでいるんですけど、僕はMonsterも好きですし、両方飲みますね。

――ここからは今シーズンの振り返りに話を移らせていただきます。まずはトラックシーズンについての質問です。前回の箱根が終わってから日本選手権クロスカントリー(福岡クロカン)に力を入れていたとのことですが、振り返っていかがですか

 福岡クロカンは日本代表(ユニバーシアード)の選考も懸かっていましたし、都道府県対抗駅伝(全国都道府県対抗男子駅伝大会)はありましたけど新チームになっての最初のレースが福岡クロカンだったので、そこで結果を残すとチームにも勢いがつきますし、今後の自分にも自信がつくと思ったので、同じく選考が懸かっていた立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)も目標には置いていたんですけど、それ以上に福岡クロカンの方に力を置いていました。

――立川ハーフのあたりでケガをされていましたが、春先にケガをしたことの影響というのは

 立川もユニバーシアードが懸かっていたので走ったんですけど、僕は持ちタイムがあまり良くなくて。その中でも持ちタイムが上の選手に食らいついていった結果、後半に失速してケガもしてしまいました。六大学(東京六大学対校大会)も関カレ(関東学生対校選手権)もあったんですけど、六大学は安井(雄一駅伝主将、スポ4=千葉・市船橋)と智樹(太田、スポ2=静岡・浜松日体)に任せてしまって。そこから僕自身のトラックシーズンも遅れ始めましたし、関カレで入賞しようと思っていたんですけど、それ以前の問題で練習も積めていませんでした。そこはとても反省しましたし、次に生かせることだったので、関カレ以降はとりあえずケガをしないで練習することを意識しながら練習していました。

 

――関カレはあまり練習が積めない中で臨んだレースだったのですね

 そうですね。ケガをして六大学も欠場して、それ以降練習はできていたんですけどそれまでの練習期間が短かったので、後半でスタミナ勝負となった時に振り落とされてしまいました。練習を継続することの大切さも改めて感じたレースでしたね。

――4年生になってから普段の練習やレースへの姿勢、チームに対する考え方が変わったと感じる部分はありますか

 4年生になるとチームを引っ張っていかないと行けませんし、なにより結果でチームを勢いづけないといけないというのは六大以降すごく感じていました。関カレで4年生がどれだけ活躍するかによってトラックシーズンの結果も決まってくるというのを去年すごく実感しました。対校戦での4年生の頑張り次第でチーム状況も変わってくるんだということは4年生になる前に気づいていたんですけど、関カレで安井と康幸(石田、商4=静岡・浜松日体)がハーフマラソンで入賞して自分も続かないといけないという場面では自分へのプレッシャーもありましたし、そういった部分に負けてしまった悔しさはやっぱりありましたね。そこはチームに出してはいけないと思ったので出しませんでしたけれども。それ以降の練習では積極的に引っ張ったり声を掛けたりする機会は結構増えていったと思います。

――後輩に声を掛ける場面も増えましたか

 そうですね。僕自身ポイント練習の時とかは自分と離れた選手にはあまり声を掛けないんですけど、そういう選手にも声を掛けることでチームの雰囲気も引き締まりますし、後輩が離れてゴールした後にはどんな状況で離れてしまったのかを聞くと自分自身にもプラスにもなるかなと思ったので、そういった練習面でも積極的に声を掛けるようにはしています。僕自身もしていますし、練習では4年生が積極的に声出しをしようと4年生同士で決めていました。

――4年生同士で練習やチームのことを話し合う機会はあるのですか

 3年生は後輩や今のチーム状況に関して全くというほどではないですけど悪いことは悪いと今ほど言えない学年だったんですけど、4年生になってからはミーティングをする場面でも結構言うことは言えますしいいことはいいと言える雰囲気になってきていると思うので、とてもいい雰囲気でやれているんじゃないかなと感じています。

――次に夏の時期についての質問です。夏はどのようなことを意識して練習されていましたか

 1次合宿はケガばかりして離脱してしまって、2次合宿以降どうやって他の選手との差を埋めるのかというのを考えるとどうしても距離に対することを考えてしまって。まずは人以上に距離を踏もうと思っていました。それ以降の試合の結果も不安だったんですけど、まずは距離を踏むことで自信をつけようというのは2次合宿に入る前から決めていました。

――全カレ(日本学生対校選手権)に向けた練習とのバランスは難しかったのではないでしょうか

距離を踏める時は踏んで、スピードを出す練習の時はスピードを出すという感じでやっていたんですけど、思ったよりもスピードが出ずに全カレで戦えるかなという不安はありました。けど練習をしていくうちに自信もついてきましたし、全カレまでは結構自信を持って練習できていました。

――その全カレでは見事6位入賞を果たしました。改めて全カレでの走りを振り返っていかがですか

 関カレと同じで全カレに出るメンバーは「出る以上全員入賞」というのを相楽さん(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)から言われていました。1万メートルで智樹が入賞したり、3000メートル障害の二人も決勝に残っていて、僕と宍倉(健浩、スポ1=東京・早実)は(関カレに続いて)またプレッシャーのあるレースだったんですけど、(早大長距離ブロックで)出るメンバーの中では僕が1番学年が上だったので、また関カレと同じような状況で不安だったんですけど、同じような失敗はしないと決めていました。ガンガン積極的に前に攻めていこうと思って走った結果6位で入賞できたんですけど、競り勝つ場面で他大の後輩に負けてしまったのはとても悔しい結果です。でもこれまでのトラックシーズンを振り返ると悔しい結果ばかりだったのでちょっとはチームに貢献できたかなという一安心を覚えるレースでしたね。

――全カレではスパートの部分が課題とおっしゃっていましたが、全カレ後にその部分の練習には取り組まれたのですか

 全カレが終わってすぐに3次合宿に行って、スパートのタイミングを図る練習とかも多少はあったんですけど、最初から突っ込んでどこまで粘れるかというのを主にやっていました。それも含めてラストを上げられたらいいなとは思っていたんですけどなかなか難しくて、ラストに関して全カレ以降あまり練習できなかったのはとてももったいないことをしたなという思いはあります。

 

「(出雲で)前半区間を走れたことはとてもいい経験になった」

――続いて駅伝シーズンに関する質問に移ります。出雲では2区で出走し区間7位でした。出雲でのご自身の走りについて思うことを教えていただけますか

 僕は前半区間の1区に行きたかったんですけど、監督から2区と言われた瞬間に切り替えて、智樹がどういう位置で持って来ても自分の区間で流れを変えるということをレース前に思っていました。でも実際は智樹が青学大と並走で持って来たあと、そのまま着いていけば良かったんですけど、少しビビってしまって。青学大の田村君(和希)にはその時点で負けてしまったと思っていますし、着いていけなかった時点で流れを変える選手にはなれていませんでした。難しいレース展開だったんですけど、初めての前半区間でしたし、前半区間を1回走れたことはとてもいい経験になったので、箱根でも同じような場面があった時には迷わず着いていこうと思いました。区間7位というのは僕自身すごく悔しくて、最低でも区間5位以内を目指していた中で最低限の走りもできなかったので、終わった後はチームには申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

 

――これまでの駅伝は後半区間で単独走になる場面もありましたが、初めて前半区間を集団で走ってみていかがでしたか

 単独走の場合は自分の一定のペースで走ればいいんですけど、集団になった場合ではペースの変動が少し激しくてスタミナが消耗するのが結構早いなと感じました。集団の抜けどころもうまく抜けられる選手はそのまま前を追っていったので、そういったところが追う立場の単独走と集団走の違いかなと思いました。

――出雲が終わってから全日本に向けてチームとしてはどのような方針で調整を行っていたのですか

 出雲が9位でみんな悔しいという気持ちを持っていましたけど、それを引きずってしまうと全日本もすぐに控えていたのでその結果にも影響してしまうということで、「悔しい結果は心の底に置いて練習するしかない」ということを安井からも言われましたし、僕自身もそうじゃないかなと思う部分がありました。それ以降練習を踏む選手が結構増えたのは出雲の結果を受けてチーム全体が変わったことだと思いますし、ケガ人が徐々に減ってきていたのもみんなが危機感を持ってやってきたからじゃないかなと思います。

――出雲を通して意識が変わった部分もあったのですね

 はい。

――続いて全日本に関してお伺いします。レースギリギリまで走るつもりでいたとのことですが、走るならば何区で起用される予定だったのですか

 試走は5区と7区でやっていたので出るとしたら5区か7区のどちらかだったんですけど、自分としては走るとしたら5区だったと思います。

――前半区間の3区での起用も予想されていましたが

 他の人からも自分が3区に行くんじゃないかなと言われることは結構あったんですけど、僕自身去年の平さん(和真、平29スポ卒、現カネボウ)の走りを見て3区よりも2区の方に行きたい気持ちがあって。2区はエース級が集まる区間なので僕自身そこで戦いたいなというのは去年の全日本が終わってからずっと思っていたので、状態が良かった場合は2区というのは考えていました。けど状態が悪かったので、違う区間もあるなというのは薄々感じていました。

――出るかどうかの判断はギリギリで行われたのですか

 そうですね。僕自身走れるかと言われるととても不安があった中でそれをチームに出すとチームの雰囲気に影響してしまうのでチームには言いませんでしたが、前日に仕上げをやった後に相楽さんに状態を聞かれた時に、結構きついということを言いました。その前々日くらいから走ってもチームに迷惑を掛けるくらいだったら他の選手を使った方がいいんじゃないかなというのは思っていたんですけど、それは口に出さないようにはしていましたね。

――実際の全日本では光延選手の欠場や安井選手の2区起用など理想通りにはいかないオーダーとなりましたが、レース前のチームの雰囲気はいかがでしたか

 僕も直前に腰が痛いと言っていたわけではなくて出雲が終わってから割とすぐでしたし、安井も2区に行くかもしれないことは本人も思っていたと思います。康幸に関しては別メニューでやっていたので、8区は康幸しかいないというのはチーム全員分かっていたことなのでピリピリした感じはなかったんですけど、それ以外の走るか走らないかというところの選手は少しピリピリしていたとは思います。

――全日本当日は5区の宍倉選手のサポートについていたとのことですが、レース前に何か声を掛けたりはされましたか

 僕自身1年生の時にあそこの区間で失敗していて、その時は初駅伝で結構ガチガチだったことを思い出しながら宍倉にもアドバイスをしていました。やっぱり三大駅伝初戦が全日本でシードも懸かった試合ということで、宍倉自身も前日緊張してあまり会話をしていなかったので、宍倉の緊張をほぐすことを第一優先に考えていました。宍倉自身緊張しても走れないというのは分かってはいたと思うんですけど、やっぱり前日から結構緊張していたので、5区のコースのアドバイスとか気温が上がることは事前に伝えました。それでも緊張するのは仕方なかったですけど、彼自身終わった後相当悔しそうだったので、この経験を箱根でぶつけてくれればいいなということは宍倉に対して思っています。僕としても彼に結構責任を掛けてしまった部分はありますし、彼の悔しい気持ちを見て箱根で勝ちたいと強く思いました。全日本でチームに迷惑を掛けた分最後は箱根でしっかり結果を残そうというのは全日本が終わってからの思いです。

――チームがシード落ちという結果を受けた時の心境は覚えていらっしゃいますか

 僕が1年生の時にチームがシード落ちしていて、なおかつ自分のところで2人に抜かれてしまって、今回もそれと同じような結果で後輩には申し訳ないという気持ちはあります。次入ってくる高校生にも負担を掛けてしまったというのは本当に申し訳ないですし、走らないといけない4年生が走れないというチーム状況で替えがいないというのはとても痛いというか、替えがいない今の状況でそれ以外の選手がもっと結果を出さないと何かあった時に動揺してしまう場面があると思います。集中練習もそうなんですけど、練習の時からそういった選手がきつい練習にもついていくことによって箱根を走れるかもしれないと思ってくれればどんな状況があったとしても最低限では走ってくれると思うので、そういったところも気にしつつ、僕自身これ以上ケガできないというのをしっかり思いながら集中練習をやっていきたいなというのはあります。

「自分自身も納得のいくレースを」

――次に箱根に関する質問に移ります。箱根での光延選手ご自身の目標というのは

 僕は3区を走りたいと思っています。去年はただ往路を走りたいという気持ちでしかいなかったんですけど、前回の箱根が終わってからどこに行きたいかなと考えた時に3区に行きたいというのが最初に浮かんできて、ずっと3区を走ることを目標にしてきました。そこで最低限区間3位以内、最高区間賞を獲れるようにやっていきたいというのは目標でもありますし、そこで4区以降の選手にどういった流れをつくるかという点で3区がとても重要だと思うので、重要区間を行きたいなという思いも込めてその目標を立てました。

――3区を走る上でどのような走りができれば有利に働くと感じていらっしゃいますか

 3区に関しては気候次第でタイムも変わってきますので、どんな状況でも走れる選手が強い選手だと思います。僕自身も気候がどんな状況であれ自分のペースで走れるように集中練習で自信をつけて、いざどんな気候でも自信を持って走れる状態にはしておかないと他大の選手には勝てないと思います。そういったところも気にしつつ、風もあるので体の軸がぶれないように体幹などをしっかり鍛えていくことは重要じゃないかなと思います。

 

――「駅伝では結果を残せていないので」とよく話していらっしゃいますが、エンジを着た最後の駅伝である箱根ではどのような走りを見せたいとお考えですか

 憧れのエンジで走るのももう箱根が最後になってしまいましたが、駅伝に関しては納得のいく走りができていないですし、なおかつ駅伝の時は親とかも応援に来てくれているのに情けない走りをしてチームにも迷惑を掛けているので、最後くらいはチームに貢献して終わりたいなと思っていますし、それしか考えていないです。

――最後に箱根に向けての意気込みをお願いします

 このチームで走る最後の大会なので悔いのないように終わりたいですし、自分自身でも納得のいくレースをしたいと思います。また後輩とも走れる最後のレースなので、何か後輩に残せればいいかなという思いで走りたいという気持ちでいます。

――今回の箱根はぜひ笑顔のタスキリレーを見せていただきたいです

 後輩の歓太(清水、スポ3=群馬・中央中教校)とかに、中継所でタスキを渡す時に苦しそうな顔しかしていないというのをよく言われたので、最後のタスキリレーは何としてでも笑って渡せるように走りたいと思います。そうしたら後輩も少しはほっとできるかなと思うので、最後は笑って渡します!

――ありがとうございました!

(取材・編集 小川由梨香)

最後の箱根に懸ける思いを書いていただきました!

◆光延誠(みつのぶ・まこと)

1995(平7)年7月18日生まれのB型。168センチ、51キロ。佐賀・鳥栖工高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分53秒08。1万メートル29分03秒47。ハーフマラソン1時間03分44秒。取材日は光延選手の卒論提出の約3週間前でした。進捗状況を伺ったところ、「まだまだ終わらないです…」とのこと。どうやら書きたいことはありったけ書いたけれども字数が足りず、他に何を書けばよいか悩んでいるとのことでした。果たしてどのようなトピックを書き足して提出したのでしょうか…。