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2017.12.01

【連載】『伝説のアイスレーサー』特別企画 第1回 中山英子氏

 数々のアスリートを輩出してきた早大の体育各部。当早稲田スポーツ新聞会はその活動を取材し、伝えている。しかし、過去にたった一人だけ当会からもオリンピアンが誕生していることをご存知だろうか。それがスケルトン元日本代表・中山英子氏(平6社卒=長野・松本県ヶ丘)だ。社会人になってから競技に出会い、ソルトレークシティー、トリノと2回の冬季五輪を果たした中山氏。早大時代の思い出から、来る2018年平昌大会の見どころまで幅広くお話を伺った。

※この取材は11月10日に行われたものです。

「ただ楽しくて滑っていました」

当時を振り返りながら語る中山

――早大生時代の思い出を教えてください

早大時代は本当に早稲田スポーツ新聞会一本だったというか。私は社学(社会科学部)だったんですけど授業にも出ず(笑)、毎週神宮球場に行く、それだけでしたね。野球と競走に主に行っていました。私は競走班のチーフでしたね。それでちょうど自分が3年生のときに箱根(東京箱根間往復大学駅伝)優勝したんですよ。あとたしか、箱根号というのを私たちの代で初めて出したか、カラーで出したのが初めてだったのか、そんな年だったかな。あとはフェンシング、相撲、水泳も担当していました。当時藤本隆宏選手(平5人卒=福岡・西日本短大附)とかオリンピックでも活躍した糸井選手(統、平6卒=岐阜商)がいて、水泳も結構強い時代で。まだデジカメじゃなかったので自分で現像していました。時代を感じますよね(笑)。

――そり競技を始める以前には何かスポーツはやられていましたか

中学、高校は陸上部で短距離でハードルをやっていました。

――そり競技について知っていたことは何かありましたか

私は1998年の長野オリンピックを運動部の記者として取材をしたんですけど、そこでそりの担当になったんですよ。それでボブスレーとリュージュを担当しました。それまでは全く知らなくて。長野県の新聞社だったので、長野県の選手の活躍をくまなく追わなくちゃいけなかったのですが、結構活躍している選手がいたことと、私も駆け出しの記者だったので何から何まで取材しなきゃ、という気持ちで訳が分からないままたくさん競技を見ていました。

――それがそり競技との出会いということですが、スケルトンを自分の競技として選ばれた理由は何でしょうか

スケルトンは長野オリンピックのときはまだ正式種目ではなくて、次の2002年ソルトレークオリンピックから採用されたんです。いま、スパイラルという施設があるんですけど、そこを盛り上げていかないといけない、活用方法を考えていかないといけないという中で、スケルトンが一番可能性があるんじゃないかなと思ったんですよ。というのも、ボブスレーは団体競技ですし、そりも大きくて値段も高い。だけど当時スケルトンは器具の値段も高くなかったですし、1人でやる競技なので大人からやり始められる点が競技人口を増やせるチャンスがあるんじゃないかなと思って注目していました。それもありますね。

――初めてコースを滑ったときはどのような感想を持ちましたか

最初1日で2本滑ったのですが、1本目がもう乗り物に酔ったみたいに気持ち悪くなっちゃって。でも2本目を滑ったら気持ちよくてそこではまりました。陸上は高校まででやめて、そこからは特にスポーツはやっていませんでした。自分にそんな才能があるとも思っていなかったですし。それで新聞記者になったんですけど、どうも体を動かしていないと死んじゃうタイプだったみたいで(笑)。長野に就職したので、車を運転すればすぐにスキー場に行けたんですよ。だから狂ったようにスキーをやっていたんですけど、それがそりに変わった感じでしたね。

――では特に抵抗なく始めることができたのですね

やってみたらスキーの下り降りてくる感覚や、気持ちよさに似ていて。あとは冬の空気がすごく気持ちよかったので体調も良くなったりしました。

――恐怖はなかったですか

怖くなかった。最初は自分でもどこを滑っているのかよくわからないのですが、すごくひどいラインを通っているのにも気づかず、ただ楽しくて滑っていました。

――競技のために会社を辞めたということですが、決意の理由は何でしょうか

続けたかったからですね。バンクーバー五輪に私は出られなかったんですよ。あと年齢も年齢だったし、会社からの支援をそこで打ち切られたんです。でも1年考えて、どうしてももう一回やりたいと思いました。それを実現させるためには会社を辞める以外方法がなかったんですよ、もう休めなかったから。私たちの競技ってトップでやっていくためには10月中旬から2月くらいまで海外で試合に出続けないといけなくて。どうしてもその間会社に行けなくなるじゃないですか。だから辞める以外に選択肢がなかったんですよね。会社から支援してもらっていたときは、その期間を出張扱いにしてもらえていた感じでした。

――そり競技に要求される資質や体力はどういった部分でしょうか

ボブスレーとスケルトンに関してはまずダッシュ力かな。そりの形状は違うんですけど、いずれにしてもそりを押して走っていって乗り込むので。私の種目で言うと、とにかく約20歩ダッシュが速いことが大事だと思います。私も陸上をやっていたときスタートダッシュだけは得意だったんですよね。あとハードルを5台くらい並べてそれを走って跳ぶ練習ばっかりしていたんですけど、それがすごく生きました。そういうのもあって、私はなぜか低い姿勢でそりを押して走るというのが速かったんです。始めたときからそこは割と上手くいったので、これはもしかしたら日本で一番になれるかもなと思って。オリンピックに出たいというよりは一番になりたいというのが最初のきっかけでした。始まったばっかりで競技人口も少なかったのですが、一番になるためにはやっぱりそれなりにちゃんとやらないとダメですし、私もアスリートの取材をしていたのでスポーツの世界がそんなに簡単じゃないことも知っていたので敬意は払っていました。なのでちゃんと学んで、体をつくっていかないとなと思いました。そういう中で、もしオリンピックに出られたらラッキーと思っていたところソルトレークで運良く出られた感じですね。

――メンタル面では何かありますか

半分以上メンタルが大事な競技ですね。今思えば18年間やったのですが、結局ほとんどメンタルを操れればかなり良いんだなとわかりました。フィジカルの練習は当然するじゃないですか。始めたときから直感的に思っていたのは自分を裸にさせられるような気持ちになるというか。他の人には見えないけど自分の心がタイムや滑走に現れてしまうというか。それが怖かったけど魅力でもありました。

――メンタルトレーニングなどもされたのでしょうか

トレーニングはした時期もあったのですが、結局は辛いことをたくさん経験してカウンセリングを受けたり、自分自身をよく見られるようにすることの方が大事にしていましたね。辛いこととかって知らぬ間に目をそらしているんですけど、それを受け入れられるようになったり。それまで気が付いていなかった弱い自分や緊張している自分を見られるようになってから100パーセント以上の力を発揮できるようになりましたね。そういう方法がわかったのかなと思います。

「好きなことをこれだけやってこられたというのはすごく幸せ」

――そり競技に興味を持っている大学生に何か言いたいことはありますか

一つ言いたいのは、陸上選手は向いていないと思うんです。ボブスレーの後ろの方で押す役割をする人はいいと思います。でもそりをコントロールしたり、スケルトンに関しては向いていないかなと。一番いいのはダッシュが速い、サッカーとか野球とかの選手ですかね。海外を見ていても、スケルトンでは体をコーディネートする力や空間認識能力がすごく重要だと思います。コースをまっすぐ見ていくんですけど、同時にまわりを見られる視野も絶対必要なんですよね。陸上ってまっすぐ見ることが多くてそういう目の使い方はしないじゃないですか。スケルトンは本当になるべく動かないで微妙な呼吸程度の動きで操作するので。陸上選手ってダイナミックな動きが得意だと思うので、出力を調整するのが難しいかなと思います。あとはタータンは速くても、氷の上を走るとなるとまた別なので。いろいろな力が必要なのですが、ダッシュが速いというのとあと最近は体が大きいこと、重さはあった方がいいかなと思います。女子選手でも最近は普通に70キロとかありますし。私が今まで見てすごいなって思ったのはサッカーの中田英寿さんですね。CM作成のときに指導をしたんですけど、本当に飲み込みが早くて身体能力も高かったです。この人は本気でやったらオリンピック行けるだろうなと思いました。自分が何年かかけてわかったことをすぐ理解していて、やっぱりコーディネート力というかそういうものが重要だなと。

――中には他の競技と両立させている選手もいますが、しようと思えばできるものなのでしょうか

そうですね。海外でもボブスレーの後ろ乗る人とかは特に他競技もやっている人がいますね。でも当然ですけど、甘くはないです。例えば恵まれた競技環境にいた人にとっては信じられない世界でしょうし。

――ご自身が出場して感じた、オリンピックの魅力はどういった部分でしょうか

誰もが注目することですかね。私たちの種目は特に、それしか見てもらえないというかそういう部分もあるので、目立つとかそういうことではなくてみんなが見てくれることでプレッシャーがかかりますよね。そこでどれだけ自分の力を発揮できるのかというのがすごく面白いと思っていました。でもそれを果たせずに終わりましたね。出た2回のオリンピックというのはそこまで自分のメンタルが行きついていなかったので。それを果たしたくて最後目指していたんですけどかないませんでした。メンタル的には最後に行くにつれ良くなっていたと思うのですが、体がついてきませんでしたね。

――大会によって雰囲気は違うのでしょうか

場所によりけりですね。ソルトレークはコースのわきにお客さんがずっと鈴なりにいて、滑走中に歓声が聞こえてきたんですよね。普通はヘルメットをかぶると全く聞こえないんですけどそれが聞こえてきたので。あの体験は最初で最後でしたね。トリノのときは山奥で、ドイツでやる世界選手権の方がお客さんいるんじゃないかなというくらいでした(笑)。ただ、滑り降りてミックスゾーンに行くとすごくメディアがたくさんいて待ち構えていて光が当たるので「あぁオリンピックだな」と思いました。

――世界中で転戦をされると伺ったのですが、その難しさや魅力はどういった部分でしょうか

私は海外、特に欧米が好きで心地よくいられる場所だったので、そういうところで過ごしたり色々な場所に行くのは楽しかったです。私たちの競技って恵まれているわけではなかったので、そういう遠征も全部自分たちで予定を立ててやっていたのですが、そういうのも楽しかったですね。どうしようもなくなったら英語も何となくしゃべりますし、そのおかげで少し話せるようになって今仕事にも生かされていますし。

――他国の選手との交流もされましたか

そうですね、もちろん。お互いに助け合っていかないとやっていけないですし。海外の選手のお家にホームステイさせてもらうこともありました。強い選手はどんな生活を送っているのかなというのも見たりしていました。普通に仲良くなって今でも友だちの選手もたくさんいますね。

――現役中に一番印象深かった出来事は何でしょうか

2回出たオリンピックというのはもちろん忘れられないです。あとは自分の力が落ちてきて、体が動かなくなってしまったあとに4年間くらいかけて取り戻すことができて、自分にあり得ないような力というか120パーセントの力が出せるようになった瞬間があったんですよね。まさかこのタイムを出せるとは思ってもいなかったような記録を何度か出して。あと一回だけワールドカップで5位入賞をしたことがあるんですけどその時もコースが勝手に見えるというか先が読めていく、ゾーンに入っているような状態になっていました。どうやっていたのかその時はわからなかったんですけど、そういう試合をできた瞬間というのは忘れられないですね。

――そういう感覚というのは時間が経っても覚えているものなのですね

 覚えていますね。最後の方は競技者としては高いレベルにはいけなかったんですけど、そういう自分が今持っている力を上回る力を出すコツがわかっていた感じはありました。どういうときにその状態が生まれるとか、毎回違うのですがその時の集中力とか緊張感とかは特別でした。それは日常生活にも応用できるのかなとも思います。昨年12月に選手を辞めて、そのあと少し滑ったりもしたんですけど「無理だ」と思いました。もちろんトレーニングをしていなくて筋力が落ちているというのはそうなんですけど、それだけじゃなくてどれだけ体に負担がかかって、どれだけ緊張してどれだけ集中していたのかがわかりました。それくらい緊張して集中していないと無理だなと。だから0か100かの競技というか、危険も当然伴うし中途半端は許されない競技だと思います。今滑ったら体がバラバラになるんじゃないかなと思いますね。

――応援してくれた方へはどのような思いがありますか

長い間自分が応援されていることに気づけていなかった部分がありました。最後は自分が応援されていることもわかるようになったんですけど、当たり前にあったものになかなか気づけていなかったなと思います。親が当たり前にいることのありがたさに若いうちは気づけない、みたいな感じだとは思うのですが今の状態を感謝できる気持ちというのは大事だなと思えるようになりました。自分が意識しきれていなかった部分があったなと思いますし。そういうことに気付けるようになると選手として力を発揮できるようになるんじゃないかなと思います。感謝や喜びを感じられるようになると人は成長できるというか。

――世界各国色々なコースを滑ってこられたと思いますが、好きなコースはありますか

ヨーロッパのコースの方がテクニカルな感じなんですけど、私はそっちの方が好きでしたね。ドイツのコースは成績も出やすくて好きでした。全てコースの形状は違うので、やっぱり得意不得意はあって、滑りやすいところ滑りにくいところはあります。氷の付き方や気温でコンディションは変わりますけどね。

――自分自身で道を切り開いてここまでやってこられたと思います。苦労は多かったのではないでしょうか

苦労しかしてないですね(笑)。でも自分で好きなことをこれだけやってこられたというのはすごく幸せだと思いますし、辞めてどうなるかと思いましたけどたまたま東京オリンピック開催が決まって、今までやってきたことを生かした仕事ができているというのは本当にラッキーだと思っています。

――今後どういったかたちで競技に携わっていきたいと考えていますか

選手から求められればできる範囲のお手伝いはしたいと思っています。でもまずは自分が社会できちんと生きていくことによって、その競技をやっていたことが意味のあることだと認めてもらえるのではないかなと。ちゃんと生きて、行動で示していくのが一番かなと思っています。

――アスリートがセカンドキャリアをどう築いていくかというのは課題も多いですよね

そうなんですよね。それはすごく問題で。なので人としてちゃんとして選手を育てるには組織もきちんとすることが大切だと思います。それから日本は自分の言葉で意見を言ったらダメというような風潮がまだあると思うんですよね。海外の人を見ていると自分の言葉を持っているというか。これから変わっていくためにはそうじゃないとダメなんじゃないかなと思います。わがままを言うとかではなくて、思ったことを伝えて、意見交換がきちんとできるように自立していかないと、と思いますね。

――では最後に平昌五輪のそり競技の見どころを教えてください

押切麻李亜さん(株式会社ぷらう)という女子ボブスレーの選手がいるのですが、彼女は入賞を狙っていけるくらいの素質を持っていて良いアスリートなので応援してほしいです。体も大きくて、海外の選手と同じくらいのパワーも持っていますし、本当に良い子で応援したくなるアスリートだなと思います。期待できると思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 太田萌枝)

昨年末に行われた全日本選手権にて。3位入賞を果たし、この試合をもって現役を引退した。(本人提供)

◆中山英子(なかやま・えいこ)(※写真)

すごく気さくにいろいろなお話をしてくださった中山さん。平昌五輪では中山さん一押しの女子ボブスレー、そしてスケルトンにも注目です!