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2017.03.16

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第54回 金子祐也/男子ソフトボール

チームを束ねたリアリスト

 4年前の春、確かな実績を携えてワセダの門を叩いた金子祐也(スポ=長崎・佐世保西)。1年秋には既に中軸を任されるなど、チームの核として活躍。最終学年となった今季は主将としてチームをまとめた。高校、大学で全国を制した経験を持つなど、その経歴は華々しいものだ。だが、本人は「苦労の連続だった」と自らの競技人生を振り返る。

 自らの意思で競技を始めたわけではなかった。「サッカーをやりたいって言ってたんですけど、(ソフトボールクラブに)父に連れて行かれたんです」。それでも、「やると決めたことはやろう」と、練習や試合を重ねた金子。次第にベースボール型の競技に魅力を感じるようになると、いつしかサッカーへの未練も消えていた。中学校で迷わず野球部に入部すると、3年時には市の選抜選手に選出されるところまで上り詰める。それでも、スポーツばかりが最優先ではなかった。勉強を疎かにしたくないという気持ちに導かれて選んだ高校に入ると、ソフトボールに復帰することに決めた。

金子はプレーでもチームをけん引した

 しかし、高校年代の男子ソフトボールで、長崎県は強豪揃いの激戦区。全国大会の常連で、選抜大会では連覇を続けていた学校などが、いつも目の前に立ちはだかった。「とにかく勝てなかった」。打倒全国王者を掲げ、敗れては悔しさをバネにトレーニングに励む日々。ようやく報われたのは、最後の夏のインターハイ県予選だった。優勝を果たし、軌道に乗ったチームは、そのまま全国を制すこととなる。金子は個人でも県の選抜チームにも名を連ね、国体でも日本一となった。一方で、競技に打ち込む時間が長くなり、進路に悩んでいたが、この時期にワセダへの自己推薦の道があることを知る。魅力的な環境の存在を聞き、迷わず決断した。

 こうして、ソフトボールに導かれるようにしてエンジのユニホームに袖を通すこととなった金子。入部当初こそ「戸惑った」と言うが、1年秋以降は主力として試合出場を重ね、2年夏にインカレ制覇に貢献。そして3年秋、主将に就任した。チームを導く立場になり、インカレでの覇権奪回を見据えて、第一に考えたのはコミュニケーションを増やすこと。メンバー全員がひとつの集団になって戦えるようにするために、試行錯誤を重ねた。競技歴の浅い選手から実力者まで、様々なバックグラウンドを持つ選手が混在する集団をまとめる上で生きたのは、高校時代のチャレンジャーとしての日々と、全国制覇という2つの経験。その幅広い視野を武器に、要求の基準を上げすぎず、全員がモチベーションを保てるように心がけた。しかし、約1年間もがき続け、「自分が声かけしたり戦術を練ったりして、勝つ確率を少しでも上げたい」と総仕上げに入り始めたインカレ直前だった。不慮の事故に見舞われ、金子自らが戦線離脱。「チームに余計な不安要素を作ってしまったことに対して胸が痛かった」とやりきれない思いは今も残る。しかし、「みんなを信頼していたし、みんなが責任を持って戦ってくれた」と、地に足をつけて作り上げた集団に悔いはなかった。

 「もともと考えていなかったし、男子ソフトボールの現状を見ても、続けていくのは現実的ではない」と、大学を最後に競技生活からは身を引くこととなった。「ソフトボールを通して成長させてもらった。指導者の方々からも、社会人として生かせるようなことをたくさん教えてもらったし、主将として人を見る中で、逆にチームメイトからもたくさん学んだ」。培った人間力と、「導くはずが支えてもらった」という仲間の存在。金子はソフトボールを通した学びや出会いに感謝しつつ、ユニホームを脱いだ。

(記事 守屋郁宏、写真 久野映)

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