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2017.02.27

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第34回 岩本岳/ハンドボール

強い『信念』を持って

 「ワセダのハンドボール部のキャプテンをやれたことは誇りです」。岩本岳(スポ=東京・早実)は、そう語る。苦しかった四年間。様々なプレッシャーが岩本を襲った。それらを乗り越え、主将としての責務を果たした今、その表情は実に晴れやかであった。

 中学時に日本のハンドボール界ではかなり有名である父親の影響を受けて、岩本はハンドボールを始めた。その当時から「ワセダでハンドボールをしたい」という思いを抱いていた岩本は、早実高への進学を決めた。そうして、そのまま早大ハンドボール部に入部するが、今までとは比べものにならないくらいのハイレベルなハンドボールを目の当たりにする。練習についていけず、更には度重なるケガにも見舞われ、満足にプレーできる状態ではなかった。3年時には少しずつ出場機会が与えられるが、全日本学生選手権(インカレ)ではメンバー登録から漏れてしまう。当時コーチであった大城章氏(平18人卒=沖縄・那覇西)とともに過ごし、相手チームの分析を行うようになる。そこで、大城氏に主将になることを勧められた。はじめは迷いがあったというが、今まで有名な父親と比較されることの多かった岩本は「少しでも自分への見方を変えたい」と腹をくくり、主将就任を決意。伝統ある早大ハンドボール部のキャプテンマークを背負うこととなった。

早慶戦でガッツポーズをする岩本。チームを盛り上げた

  岩本が主将に就任した2016年、大城氏がコーチから退任し、普段の練習からすべて学生主体でやるという大きな環境の変化が早大ハンドボール部に訪れる。戦術面などはエースの川島悠太郎副将(スポ=福井商)などが考えたが、基本的な練習メニューはすべて岩本が考え、学生同士で意見を交換することが求められた。年度が始まった当初は「試合をするのが怖い」と思うほど、不安が大きかった。岩本はそれでも部員の前ではその不安を見せず、強い姿を見せ続ける。関東学生春季リーグ中に手首を骨折して試合に出られなくなったときも、主将として、またチームのムードメーカーとして、声を出し続けた。

 「4年時は、本当にケガが辛かった」と語るように、夏に再びケガをして戦線離脱してしまう。そんなときにも岩本は外からチームが良くなるために一から練習メニューを考え、そしてチームメイトに声をかけた。すべては主将就任時に掲げた目標『日本一になる』、そして『日本一応援されるチームを作る』ためだ。学生だけで練習する環境。いかに、学生らしいハンドボールをするか。学生だけでやる難しさ、辛さはたくさんあった。それでもめげず、掲げた目標を達成するために奮闘した。そんな岩本を中心に、チームは日本一を現実のものとするためにまとまっていったのだ。そうして迎えたインカレ。「徳島入りした時は最高の雰囲気だった」。しかし、結果はまさかの2回戦敗退。コート上にいた選手全員が呆然としていた。『日本一』の夢は、早々と散ってしまったのだ。

 岩本自身が最も悔しかっただろう。学生主体で行うハンドボールの難しさ、そして結果を出せなかったこと、両方が岩本に突き刺さっただろう。それでも、岩本は「負けて悔いなしとは言えない。今でもとても悔しい気持ちはあるけれど、やり切った気持ちはある。キャプテンとして自分は頑張れたと思う」と自身の苦悩の一年間を振り返った。『チームのエース』としての主将ではなくても、『チームのムードメーカー』として、持ち前の明るい陽気な性格でチームを鼓舞してきたその姿は、後輩たちの目にも焼き付いているはずだ。そして、初めての環境で戸惑い、迷ったその姿も。どちらも次につながる、そんなものを岩本は後代に残していった。卒業後は、また新しい夢を叶えるために、『信念』を研究するという。自身が果たせなかった『日本一』の夢は、次なるステージで挑むこととなる。「次は、指導者として日本一を目指したいと思います」。

(記事 佐藤慎太郎、写真 篠原希沙)

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