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2017.02.26

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第33回 平川竜也/ヨット

幾度の荒波を乗り越えて

 史上初の2度目の全日本学生選手権(全日本インカレ)3連覇。この偉業を成し遂げた今季の早大ヨット部の中心にいたのが、平川竜也(スポ=神奈川・逗子開成)だ。主将としてチームをまとめ上げ、個人としても全日本インカレでスナイプ級MVPを獲得するなど、華々しい活躍を見せた平川。しかし、その輝かしい実績の陰には、様々な苦悩、試練があった。平川の激動のヨット人生を振り返る。

 「海が好きだったから」という理由で、中学からヨットを始めた平川。もっと強くなりたいという思いから、中学2年からは地元のクラブチームに入り、本格的にヨットに取り組むようになった。高校でもクラブチームでの練習を続け、シングルハンドクラス(レーザーラジアル級)で世界大会に出場するまでに成長する。このままシングルハンドで競技を続けるか、もしくは大学ヨット部に入って2人乗りに転向するか。決断を迫られたとき、平川は2010年に早大が全日本インカレ3連覇を達成した時の動画を目にした。「自分もこんな風になりたい」。憧れを抱き、早大ヨット部の門を叩いた。

主将になってから気持ちは明らかに変わった

  入部してからは苦難の連続だった。これまでとは一変した練習環境、同期で唯一のスポーツ推薦入学者というプレッシャー。戸惑いばかりで最初は自分のことだけで精一杯だったという。1年生ながら出場した西宮での全日本インカレでは、優勝を逃し泣き崩れる先輩たちを目の前に、何もできず無力感だけが募った。「もう二度と負けたくない。先輩にも後輩にもこのような思いはさせない」。この悔しさを胸に日々の練習に励み、技術を磨いていった。2、3年時は全日本インカレ連覇を達成。3連覇を目指すチームで、平川は主将に就任することとなる。

 平川が主将として意識したのが、チーム全体のことを自分のことのように考える、ということだ。部活をやめたいと言っている下級生も、スランプに陥っているという470級の選手も、3年生までの平川であれば「自分には関係ない」と思っただろう。しかし、主将に就任してからは、「日本一になるという目標のためには、チーム全員の力が必要」と考えるようになった。「自分が変わらないとチームの勝ちはない」。責任感を胸に、平川は先頭に立ってチームを率いていった。迎えたラストイヤーも苦しい時期が続いた。春先はなかなか勝てず、例年調子を取り戻すはずの9月の関東学生選手権でも慶大に屈し総合2位。それでも、平川はこの結果を「チームが変わるいい転機になった」と振り返る。部員たちに「目先の結果は悪くても、全ては全日本インカレ優勝に必要なことなんだ」と意識させた。10月の早慶戦ではついに慶大に勝利し、苦手意識を払拭(ふっしょく)。部員全員が「これなら勝てる」と自信を深め、全日本インカレに臨んだ。

 蒲郡の地で開催された全日本インカレは初日から荒れたレース展開となるが、平川は「実力を出せれば問題ない。いつも通り走れば勝てる」とチームを落ち着かせる。早大はミスを最低限に抑え他大を引き離し、優勝へ大きく近づいた。そして迎えた最終日。「4年間で一番印象に残っているレース」と振り返るスナイプ級最終レースでは、早大の全艇が5位以内という圧巻の走りでスナイプ級優勝、そして総合優勝を決めた。先頭をひた走っていた2番艇にトップを譲られ、涙を流しながらフィニッシュする平川。その涙には、早大ヨット部での4年間のたくさんの思い出、そして幾度となく困難を共に乗り越えてきた部員たちへの感謝の思いがあふれていたように見えた。「こんな自分に主将を任せてくれてありがとう」。平川は主将としての1年間を最高のかたちで締めくくった。

 平川は早大ヨット部での4年間を一言で、「青春」と表した。「これ以上のことはこれからの人生でもないと思う」。さまざまな人と出会い、さまざまな経験をした4年間は平川の人生にとってかけがえのないものになっただろう。これからは社会人として、悲願の全日本スナイプ級選手権優勝を目指す。今後も平川の『青春の続き』から、目が離せない。

(記事 松澤勇人、写真 喜田村廉人)