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2017.02.25

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第31回 松原寛志/米式蹴球

理想の主将像

 全てを懸けてきた4年間の終幕は、甲子園の地で訪れた。試合後、涙を浮かべながらもしっかりと観客を見つめ深く一礼。気丈に振る舞い、胸を張った。松原寛志(法=東京・早大学院)は最後まで主将であり続けた。フィールドに立つ『71』の番号が、日に日に大きくなっていったのは錯覚ではない。そこには、最前線で戦う力強い主将と同時に、チームを思う不器用な主将の姿が隠されていた。

 口下手だった松原が目指したのは「プレーで引っ張る主将」。けがをしない強みを生かし、フィールドで見せる背中でチームを導こうとした。しかし、課題は山積みだった。4年生が引退したとはいえ、100人を優に超す大所帯での意思疎通は困難を極め、チームがうまくまとまらない。松原自身も初の主将で「足を引っ張ってはいけない」という焦りから、アグレッシブなプレーができないでいた。迎えた秋シーズン。消化不良の弊害は第二節にして現れた。格下の日体大との試合でまさかの延長戦。勝利したものの、強敵がひしめく後半戦に向けて大きな不安が残った。「変わらなければならない」。そう思ったのもつかの間、次戦の中大戦でも1点差の危ない試合。松原は、主将としての自分を見失っていた。

観客席を見据える松原

 復活のきっかけとなったのは慶大戦での敗戦だった。「僕自身が李卓くん(慶大)に遠く及ばなかった。僕が目指していた「プレーで引っ張る」というのをまさに体現していた」。目指すべき目標をグラウンドで目の当たりにし、松原は変わった。すると、それに呼応するようにチームの団結力を増していった。主将を包み込むハドルはより力強く、そしてより温かくなっていく。誰もがチームのために動いていた。松原の『寛(ひろ)い』背中を、全員で支えていた。

 「みんなに助けられた」。落ち着いた口調に、苦楽を共にした仲間たちへの信頼をにじませた。松原寛志という男だったからこそチームが付いてきた。松原の存在がチームを変え、2年連続の甲子園ボウルへと導いたのは間違いない。松原には、みんなが自然と付いてくる魅力がある。これも、理想の主将像と言えるのではないだろうか。

(記事 高橋団、写真 大槻竜平氏)

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