その他

« 特集に戻る

2017.02.24

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第30回 吉川航平/レスリング

支え、支えられて

 「レスリングは好きじゃないです(笑)。こんな疲れるスポーツで楽しいなんてないですよ」と語った吉川航平主将(社=秋田商)。言葉とは裏腹に表情には充実感とレスリングへの感謝をたたえていた。闘志むき出しで体力の全てを注ぎ込むそのスタイルで駆け抜けた4年間。小学生の頃、父の同職者が道場をしており、そこに同級生が通っていたのがきっかけで始めたレスリングは気付けば吉川にとってかけがえのない生活の一部となっていた。

 中学生の頃から大学レスリング界は意識していた。大学進学に際して出稽古に訪れた中で早大の雰囲気と選手の強さに惹かれ、自己推薦の誘いを受けて「このチャンスを絶対に生かそう」と入学を決意した。しかし当然待っていたのはハイレベルな環境。1年生から出場機会を得るも、早大には幼馴染で同級生の多胡島伸佳(スポ=秋田・明桜)ら世界レベルの選手がいた。練習や試合で多くの選手の華麗なプレーを日々目にすることで、「彼らみたいなきれいなタックルは出来ない」と器用さに自信のない自分がフリースタイル(フリー)の選手であることに疑問を抱くようになる。

 転機は2年生のリーグ戦でのケガ。このケガをきっかけに上半身で戦うグレコローマンスタイル(グレコローマン)の練習に重点を置くようになる。そこからは技術より精神力とフィジカルを磨き、劣勢でも前にガツガツ出ていくスタイルの確立を目指した。過酷な減量も気持ちで乗り切った。グレコローマンの練習に重点を置いたことはフリーに好影響を与える。2年生の東日本学生秋季新人戦のフリーで2位。3年生では、代役として初出場した内閣総理大臣杯全日本大学選手権のフリーで3位になると、またも初出場でシニアも出場する天皇杯全日本選手権(天皇杯)のフリーで4位に入った。「勝負は時の運だから3年生で勝てたのも時の運」と振り返る吉川だが成長を見せ、レスリングを楽しんだ一年となった。

 しかし、主将となり迎えた最終学年。周りの支えもあり、主将として「マイナスのプレッシャーを感じることはなかった」という吉川だが、調子が上がらない。初戦で敗れた明治杯全日本選抜選手権の試合後には「全てが0点」と語った。そんな状況でも吉川はチームの底上げに着手し、型にはまらず効率的に実力を伸ばす方法を部員一丸で突き詰め続けた。その結果、ハンドボールや鬼ごっこをして雰囲気を良くしてから練習に臨むなど他大にはない独自の練習が生まれる。そして最後の大会となった天皇杯。ベスト8止まりだったが、リードされても大黒柱として勝利を信じて攻め続ける吉川の姿がそこにはあった。「もちろん全国チャンピオンになりたかったですし、そういうさじ加減で考えたら30点くらいかもしれないですけど全体を通してみたら満足できる4年間だったので、素直に100点あげてもいいかなと思います」。真っすぐにレスリングと向き合ったからこそ生まれた充実感だった。

引退試合となった天皇杯。全力を出し切り競技生活を終えた。

 卒業後は大学で学んだレスリングの知識を生かして指導の道に進む。「大学で色々な人と会えて視野が広がった。お金を出してくれて自分の好きなようにさせてくれた親には感謝していますし、そういう親になりたいなと思います」。自身が大切にしている「努力・感謝・笑顔」を最後まで貫いた吉川は後輩たちにバトンを渡し、指導者という新たなステージに挑む。

(記事、写真 皆川真仁)

« 特集に戻る