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2017.02.23

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第27回 田中健翔/男子バレーボール

ケガに、自分に、バレーに向き合った4年間

 2016年12月3日、全日本大学選手権(インカレ)の3位決定戦。打てば決まる。この日の田中健翔(スポ=熊本・鎮西)の活躍はまさにそんな印象だった。決定率は驚異の68、42パーセント。早大が誇る『スーパーエース』が大舞台で躍動する姿がそこにはあった。しかし、田中が過ごした4年間は決して順風満帆なものではない。

 バレーを始めたのは小学生の頃。父や兄弟の影響だった。「もっと高いレベルでバレーをやりたい」と強豪・鎮西高校への進学を決める。レべルの高さに圧倒されながらも努力を重ね、3年時にはキャプテンとしてチームを全国大会へと導いた。鎮西高校同様に学生主体の練習を行う環境に惹かれ、田中は早大への入学を決める。しかし、「楽しくバレーができれば」と大学入学当時のバレーに対するモチベーションはそれほど高くはなかったという。そして入学後から1度も出場機会を得られないまま、チームはインカレで優勝。自分が試合に出ていないことへの悔しさが募った。この時、田中は10月に左膝の半月板を故障した影響で全くプレーができない状況だった。高校から3年連続で手術を経験したことに加え、バレーに対する気持ちも薄れていたことから「正直、くさりかけていた」と田中は当時を振り返る。いつしかバレーを楽しめなくなっていた。試合に出場し活躍する同年代のライバルを尻目に、リハビリに励む生活。2年生になっても怪我の影響から、なかなか思うようなプレーができない。苦しみもがき葛藤する日々が続いた。そんな中、田中の闘志に火を付けたのは喜入祥充(スポ3=大阪・大塚)、山﨑貴矢(スポ3=愛知・星城)といった下級生ながら主力として活躍する選手の存在だった。「このままでは終われない」。田中のバレーに対する姿勢は入学時とは明らかに変わっていた。

3位決定戦で驚異の決定力を見せた田中

 そして3年、春季関東大学リーグ戦からスタメンとして定着した。決定力を評価されレフトからオポジットへポジションを変更し、それまでの鬱憤(うっぷん)を晴らすかのような活躍で得点を量産。インカレ直前に再び故障に見舞われるが、もう下を向くことはない。せめてコートに立てる状態にしよう、と少しでもチームの力になることを考えた。

 迎えたラストイヤー、最後のインカレ。田中はこの大会に臨む前に大きな決断を下していた。「大学限りでバレーをやめる」。インタビューの後半にこの決断に至った理由を尋ねると、静かにこう言い切った。「やるからには日本の最高峰の舞台でやりたい。中途半端に続けても、バレーを嫌いになるだけ。」本気でバレーに向き合った4年間があったからこそ、この決断をさせることとなった。この決断を悲しく思うファンも多いことだろう。しかし、3位決定戦での田中の一つ一つのプレーが会場の観客を大いに湧かせ、多くの人の目に刻み込まれたことは間違いない。そして何より、そこにはバレーを楽しむ田中の姿があった。「バレーのように、夢中になれるものを見つけたい」。14年間のバレー人生に終止符を打ち、新たな道を歩き始める。

(記事、写真 杉山睦美)

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