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2017.02.23

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第26回 山口頌平/男子バレーボール

真摯に謙虚にそして貪欲にバレーと向き合った4年間

 昨年の12月3日。早大バレー部は全日本大学選手権(インカレ)で3位という結果を残し今季を終えた。チームを率いてきたのは山口頌平(スポ=長崎・大村工)。波乱の多かったこの一年、試合中の山口はいつもどこか険しい表情を浮かべていた。しかし、エンジのユニフォームを着て戦う最後の試合では全力で喜び、悔しがる姿を見せ、試合後は清々しい笑顔を見せた。そのわずか2週間後、天皇杯ファイナルラウンドが行われている東京体育館には新境地となる堺ブレイザーズのチームTシャツを着た山口の姿があった。立ち止まる暇もなく更なる高みに向け新たな一歩を踏み出した山口にとってこれまでのバレー人生とは。そして、早大での4年間とは一体どんなものだったのだろうか。

 「バレー見学に行きたいんやけどついてきてくれん?」「いいよ」。山口がバレーを始めたのは小学2年生の頃。友達の誘いを受けたのがきっかけだった。何気なく始めたバレーだったが負けず嫌いな性格は健在で、小学校卒業時には「中学になったらもっとうまくなっていい成績を取ろう」。中学卒業時には「高校では絶対に全国に出てやる」と迎える節目節目で次のステージを見据えながら確実にステップアップを遂げてきた。そして、高校2年生の時の全日本高等学校選手権(春高)では優勝を果たす。元々、大学ではリーグトップレベルの関東で自分の力を試したいと思っていた山口はこの春高での優勝もあり声が掛かった早大への進学を決めた。

スパイカーに合わせ正確なトスを上げる山口

 入学前の前のインカレで全国3位を収めたチームからセッターが抜け、そこにはいるかたちで1年目からコートに立った。1年生としてコートに立つというプレッシャーを背負いながらも見事インカレ優勝に貢献してみせた。華々しい一年目とは裏腹に2年目ではなかなか結果が出せない。最後のインカレでもセンターコートに立つことができずに悔しさを噛みしめた。「壁にぶつかり挫折を味わった」と山口は当時を振り返る。しかし一方でこの経験が後の試合で、大一番を勝ち抜く粘り強さにつながったとも語った。

 キャプテンとして迎えたラストイヤー。再び壁が立ちはだかる。目標としているインカレでの日本一奪還に向け練習量やトレーニング量を増やした。しかし、それが結果に結びつかない。4年生が中心にチームをプレー面、精神面で引っ張っていこうという意気込みも強すぎるあまり力んでしまい裏目に出てしまう。いつしか共に戦ってきた同期にさえ信頼してトスを上げられなくなり、コートに立つ山口の表情にも焦りと苦悩がにじんでいた。そんな中、何度も同期の間でコミュニケーションを重ね、本来の力がプレーに出せるようになるとチームは上向き始める。春季関東大学リーグ戦6位に始まり、東日本大学選手権(東日本インカレ)で準優勝、秋季関東大学リーグ戦で3位。そしてインカレでは全国3位という結果を残し、優勝という目標にはあと一歩届かなかったが満足のいく試合で4年間を締めくくった。

 「バレーにもっと興味がわいた」。大学での4年間でバレーに対する姿勢に何か変化があったかという質問に山口はこう答えた。ラストイヤーではU-23に選出され国際大会に出場する機会もあり、より高いレベルのバレーに触れた。時間があるときはバレーの動画を見て過ごすようになったという。アジアカップでのベストセッター賞を始め、春・秋リーグ戦、東日本インカレ、全日本インカレと出場したすべての公式戦でセッター賞を受賞し大学ナンバーワンセッターの呼び声も高い。しかし、セッター賞について話を聞けばいつも「みんなのおかげ」と言う。数字で決まるアタッカー賞やブロック賞とは異なり印象で選ばれるセッター賞。その印象もチームメイトが上げたレシーブを自分がトスでつなぎアタッカーが決めることによって決まるものだ。「バレーは一人じゃできない」。そのことを理解している。そして、「トスを上げるというセッターの仕事をきっちりこなし、アタッカーを生かす」という理想のプレイヤー像にブレはない。「やると決めたからには精一杯。もっと上のレベルに到達したい」。真摯(しんし)で謙虚にそして貪欲にバレーと向き合う山口の姿勢はこの4年間で確固たるものとなっただろう。新たな舞台での挑戦はもうすでに始まっている。

(記事、写真 藤原映乃)

 

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