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2017.02.19

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第22回 岩渕幸洋/卓球


パラリンピックに懸けた大学生活

 最高世界ランクは11位、国内最高峰の国際クラス別パラ選手権では2連覇を達成。日本では向かうところ敵なしの岩渕幸洋(教4=東京・早実)。念願のリオデジャネイロパラリンピック(リオパラリンピック)にも出場を果たし、ついに早大での四年間に終止符を打った。振り返ってみると、成功までの道のりは険しいものだった。そして、リオパラリンピックでの経験も。岩渕がこれまで歩んできた激闘の四年間を振り返る。

 両下肢関節機能障害という障害を持っていたが、岩渕はとにかく身体を動かすことが好きだった。両親の勧めでスキーやゴルフなど、幼い頃から様々なスポーツに挑戦。「周りができて、自分にできないことはなかった」と、その頃を振り返る。健常者と同じ体育の授業を受け、自分に障害があるという自覚さえもなかった。卓球と出会ったのは中学に入学し、部活動を決めかねていた時だ。道具を使うスポーツが得意だったこともあり、卓球部への入部を決意。体格差が出にくく、それぞれに合った戦型を極められる卓球というスポーツに岩渕は引き込まれていった。

東京パラリンピックでは金メダルを取りたいと岩渕は意気込む

 中学3年の時にパラ卓球を知り、めきめきと力をつけていった。高校では徐々に結果を残せるようになり、3年時には日本代表にも選出。そして、大学2年の時には転機が訪れる。2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催決定だ。同時に、岩渕はパラリンリックへの出場を真剣に目指すことを決意。リオパラリンピックを意識し始めた瞬間だった。しかし、それは苦悩の始まりでもあった。世界ランク向上のためにかさむ遠征費、練習や試合に追われ授業にも出られない日々、そして、周期からの期待を背負っているからこそ感じるプレッシャー。リオパラリンピック代表権獲得を大きく左右する2015年5月の欧州3連戦では全く結果を残せず、出場権獲得が危ぶまれたこともあった。そんな過酷な状況の中にいたのだ。しかし、岩渕は一心不乱に戦った。わずかな望みにかけて出場した同年6月のスペインオープンで、意地の優勝。決勝で一度も勝ったことのない、当時世界ランク3位の強豪を破っての快挙を達成した。この結果で世界ランクを代表権獲得圏内に戻した岩渕は、ついに念願のリオパラリンピック出場権を獲得することとなる。

 「点数もつけられないような内容だった」。リオパラリンピックでは試練が待っていた。観客で満員の会場に、パラリンピック特有の雰囲気。『4年に一度の舞台』を前には緊張は隠せなかった。結果は予選リーグ敗退。お世辞にもいいとは言い難い結果に終わった。しかし、この敗北から得た収穫があった。それはパラリンピックという舞台を知れたことだ。これまで岩渕はパラリンピックを目指してはいたものの、ただ漠然としていた。パラリンピックの舞台に立てたことで自分の目指してきた場所がいかに素晴らしく、名誉あるものなのかを再認識することができた。国の代表として全選手が勝ちに向かってくるハイレベルな大会。だからこそ、勝つことで人々に勇気や元気を与えられる。「東京では必ず金メダルを取りたい」。岩渕にとってリオパラリンピックでの経験は、これからの原動力になるに違いない。

 「全てが早大のおかげ」。岩渕はこの四年間をこう振り返る。多くの支援を募るべく後援会を立ち上げてくれた卓球部OBの方々、互いに切磋琢磨(せっさたくま)し高め合った同期たち、そして、どんな時も応援してくれた友人。早大に在学していたからこそ出会うことができた人々のおかげで今の岩渕がある。卒業しても、この感謝の気持ちは忘れることはないだろう。

 今後の目標は東京パラリンピックで金メダルを獲得することだ。これは競技面での目標であり、パラスポーツを普及させたいと願う自身の夢でもある。「パラスポーツの普及を通して、障害者と健常者の相互理解を深めたい」。パラスポーツを愛する岩渕はリオパラリンピックで様々なスポーツを観戦する中で改めてそう感じた。卒業後は内閣総理大臣杯JTTLファイナル4(日本卓球リーグ年間チャンピオン決定戦)で初優勝を遂げた強豪・協和発酵キリンに入社する。この決断も、その覚悟の表れなのかもしれない。日本卓球リーグで活躍する平野友樹らとともに研さんを積みながら、パラ卓球の第一線をけん引していく。東京パラリンピックではひと回りもふた回りも大きく成長した岩渕の姿を見られるはずだ 。

(記事 本田京太郎、写真 稲満美也氏)

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