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2017.02.15

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第16回 寺井敏博/アイスホッケー

決断は英断に

 背番号『88』。ひときわ目立つ大きな数字を背負ってきた寺井敏博(国教=米国・チョートローズマリーホール高)は、「もう誰もつけないかも」と笑う。アメリカの英雄、シカゴ・ブラックホークスに所属するパトリック・ケインに憧れ、早大としては異例の『88』を選んだ。今やその数字は、このチームには欠かせない数字に。新天地で花を咲かせた男が見た、決断と挑戦の先にあったものとは。

 日本よりもアイスホッケー人気の高いアメリカで生まれ育った寺井。氷上に立ったのは7歳のころだった。幼少期から遠方まで練習に出向き、アイスホッケーに没頭。「お金も時間もかかったので、親に感謝している」と当時を振り返る。高校では入学直後に大ケガに見舞われる挫折を味わったが、その後ジュニアホッケーリーグで競技を続け無事にアメリカの大学への推薦を勝ち取った。日本行きの決断は突然に下される。アメリカで共にプレーをしていた勝田貴之氏(平26国教卒=米国・ライ高)や両親の薦めもあり、早大を受験。当初は全く行くつもりのなかった日本に、足を踏み入れることとなった。

  アメリカと日本では環境が大きく異なる。ホッケー面では、アメリカでは取られなかったペナルティーが日本では取られることが多く、プレースタイルの変更を余儀なくされた。一方、私生活ではアメリカの文化にはない敬語の使い方などに苦戦し、言葉のカベにぶつかる。帰国し9月入学であるアメリカの大学に入り直すこともできたが、寺井にその選択肢はなかった。助けてくれる仲間がいたからだ。個性豊かな同期にはいち早く馴染み、同じ道を歩んできた当時4年生の勝田氏にも支えられた。日本のホッケーにもすぐに対応。主力選手と共に第2セットで起用され、関東大学リーグ戦(リーグ戦)2位、そして日本学生氷上競技選手権(インカレ)の優勝に貢献した。翌年からは第1セットに昇格し、早大を勝利に導くゴールハンターとしてその存在は徐々に大きくなっていく。

独自のプレースタイルで得点を量産してきた寺井

 4年次には副将に就任。二年間タイトルから遠ざかっていたチームを立て直すべく、寺井はプレーで引っ張った。だが思うような結果が残せない中、リーグ戦では予期せぬ試練に直面する。ドロ沼の5連敗。「もう少しできることがあったのかもしれない」。唯一『優勝』を知る代である最上級生の誰もが感じていたもどかしさを、寺井も感じていた。ようやく明確になった課題を修正し臨んだインカレは、宿敵・明大に屈し準々決勝敗退。不完全燃焼のまま四年間の競技生活にピリオドが打たれることとなったが、この大会で最も気を吐いたのは寺井だった。初戦の神戸大戦で5得点を挙げるなど、3試合全てでゴールを決めチーム最多の計8得点。求め続けてきたゴールへの執着心を体現し、アイスホッケー人生の集大成を披露した。

 「いろんな出会いがあって成長できたし、全然後悔していない」。早大での四年間を終えた今、大学進学時の決断について問われると寺井はきっぱりとこう答えた。引退試合となった早慶定期戦の直後に流した涙が、その言葉を裏付けていた。早大の仲間に出会えたこと、日本という国を知れたこと、全てのことは未来への財産となる。第二の故郷・日本で輝いた背番号『88』の勇姿は、後輩たちの胸に確かに刻まれたはずだ。

(記事 川浪康太郎、写真 冨田千瑛)

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