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2017.02.07

【連載】『平成28年度卒業記念特集』第2回 中澤彰太/野球

夢の途中

 プロ野球選手になりたい――。野球少年なら、誰もが描く夢だろう。しかし、その夢をつかむことができるのは、限られた人間だけだ。大人になるにつれて、純粋だった多くの野球少年は、どこかでその夢を諦めざるを得なくなる。あるいは、知らず知らずのうちに忘れてしまう。大学時代にまで、そんな夢を追い続けられるということは、どんなに素晴らしいことか。そして、その裏では多くの困難を経験し、多くの人の思いを背負っている。中澤彰太(スポ=静岡)もその一人だ。

 順調な走り出しだった。1年春から1軍に入り、東京六大学秋季リーグ戦(秋季リーグ戦)では本塁打を放つ活躍を見せる。当時の東條航主将(平26文構卒=神奈川・桐光学園)に「出来過ぎ」とまで言わしめたスタートだった。波に乗って迎えた2年春は、出場したほぼ全ての試合で安打を放ち、打率3割を達成する。3年春には全試合にスタメン出場し、リーグ優勝に大きく貢献。鮮烈デビューからリーグ戦優勝まで、完璧に思える競技生活だった。

調子が良い時も悪い時も、四年間を通して出場し続けた

 そして、「4年生と戦う最後のシーズンなので、良い成績を残して送り出したい」と意気込んで臨んだ3年秋。打席に立っても、打てるイメージが湧いてこない。それが焦りにつながる。シーズンを終えてみれば、打率は1割を切っていた。「不調ではなくて実力がなかっただけ」。自身はそう振り返る。秋季リーグ戦を制して進んだ11月の明治神宮大会では初戦で負傷退場し、準決勝以降の出場はなし。思い入れの強い先輩と最後のグラウンドに立つことさえできなかった。4年春も快音は聞かれず、はつらつとした打撃は影を潜めた。このような状態の中で、中澤の支えとなっていたのは、地元静岡の人の存在だった。「あれだけ打てない中でも期待していただいていたので、感謝しかない」と胸の内を語る。静岡高のかつてのチームメイトが、東京に来てくれることもあった。「このカベから逃げたら、次に同じようなカベにぶつかったときに、お前はまた逃げるぞ」と活を入れたのは髙橋広監督(昭52教卒=愛媛・西条)。どんなに調子が悪かろうと起用し続けられた。中澤はたくさんの人の思いも背負っていたのだ。

 期待に応えられずに、不甲斐ない思いを抱えていた中澤は、打てなくなってしまった理由を考えた。うまくいっていたときと比べて、何が欠けてしまったのか。それは、野球を楽しむ気持ちだった。プレーをする年数を重ねるほど考えることが増え、野球を始めた時の純粋な気持ちを忘れていた。「プロを意識して無意識に縮こまっていたのかもしれない」と振り返る。そして、プロ志望届を提出しないことを決めて臨んだ4年秋。神宮のグラウンドには、リーグ優勝をするために野球そのものを楽しむ中澤がいた。最後は攻守ともに高いレベルのパフォーマンスを披露。打っては立大3回戦で3点本塁打を含む5打点の活躍。守ってはプロ顔負けの好守で何度もチームを救った。「最後のリーグ戦は楽しかったですか」と問うと中澤は質問の声にかぶせるようにきっぱりと答えた。「楽しめましたね」。野球を始めたときの気持ちを取り戻した男の表情は生き生きとしていた。

 卒業後はJFE東日本でプレーする。次なるステージは社会人野球だ。「プロに入ることだけが目的ではなし、社会人に行くことが遠回りだとも思わない。自信を持てるようになってからプロ入りし、活躍したい」。語気を強めた。まずは2年後のプロ野球ドラフト会議へ向け、コンスタントに打率を残せる安定感を中心に強化を目指す。「(この四年間で)メンタルは強くなったと思います。たとえカベにぶつかっても、また逃げずに立ち向かいたいです」と微笑みながら口にした。プロ野球選手になりたい――。支えてくれる多くの人の思いを背負って、中澤はきょうも夢を追い続ける。

(記事 吉岡篤史、写真 中丸卓己氏)

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