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2016.02.09

【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第5回 榊原春奈/漕艇

尽きぬ向上心

 圧倒的な実績を持つ早大のエースが卒業を迎える。榊原春奈(スポ=愛知・旭丘)は1年時に五輪出場を果たし、その実力でチームをけん引してきた。大学での4年間はケガによる不調にも苦しんだが、実力者ぞろいの早大漕艇部という組織の中で精神的な成長を確かに感じた。遠からず日本のエースとなる榊原が、ボートへの思いを語る。

 中学時代は合唱部に所属。「何かスポーツがひとつできればいいな」という気持ちで、両親も経験者だったボートを始めた。高校時代は女子部員がわずか5人ほどのチームだったが3年間で一気に頭角を現し、世界ジュニアボート選手権にも出場。国際大会への意識が強かった榊原は「トップクラスの選手への理解があるのではないか」と、早くから早大進学を決めた。

 1年時に出場したロンドン五輪について、当初はあまり出場したいと思っていなかったという。実績のある日本人選手と一度戦ってみたいという理由で出場した国内選考会で自身も驚きの勝利。勢いそのままにアジア大陸予選でも優勝し、五輪出場を決めた。しかし、いきなりの国際舞台に加えて練習環境も劇的に変化。直前のワールドカップでも結果を残せず、何を対策すればいいのか分からない日々を過ごしたまま本番を迎えた。自分の漕ぎに良いところを見つけられなかったというほど力を出せず、大きな挫折感を味わったが、世界のトップレベルに抱いた憧れは現在の向上心にはっきりとつながっている。

ロンドン五輪の経験が榊原の原動力となっている

 漕艇部に入部したのは五輪終了後の夏。当初は精神的な疲労が大きく、チームに溶け込むには時間を要した。しかし当時の原口聖羅女子主将(平25スポ卒=長崎・大村)を中心とする先輩のサポートにも助けられ、時間をかけながらもチームに馴染んでいった。度重なるケガに苦しみ始めたのもこの時期だった。あばらと腰の痛みに耐えながら漕ぎ続ける日々。ナショナルチームの選考にも比重を置いていた榊原は、ケガの完治よりもごまかしながら漕ぐことを優先せざるを得なかった。以降、ベストコンディションを取り戻すには3年の冬までかかることとなる。一方で早大漕艇部というチームへの意識は、確かに大きくなった。「自分がシングルスカルを漕いでいればいいや」と思っていた1年時は、オリンピックの経験も生かすことが出来ず、役に立たなかった一年間だったと振り返る。転機は2年時に迎えた全日本大学選手権。直前のクルーチェンジによってシングルスカルから対校クォドルプルへの配置転換が決まった。4年生のために、伝統的な強さを誇る同種目のために、クルーとして勝ちたいという思いが一気に強まった。自身の経験を存分に還元し、同種目連覇に大きく貢献することとなる。4年時には副将を務め、随一の競技力を生かしチームを背中で引っ張った。実力を持つ自分が姿勢を正すことでチームの意識を向上させることを志した1年間となった。その志が実を結び、この年早大漕艇部は男女共に近年最高の結果を残す。

 卒業後は海外留学を決めているという。よりレベルの高い選手の中で揉まれ、一人のボート選手として成長を図る心づもりだ。将来の目標について東京五輪に関して聞かれることも多いと言うが、自身はあまりそれを意識していない。「ボートというものを通じて自分がどういう人間になるか興味があるんですよ」と語り、競技の結果よりも内面的な部分でのレベルアップを志している。自身がなりえる最高の選手になったと感じた時が、時期に関わらず競技を引退する時だ。ロンドンで抱いた憧れと、早大漕艇部で得た人間的な成長。それを軸とした榊原は、さらなる高みへ向上心を抱いている。今後のボート生活でも、より一層競技力を磨き、伴って内面的な部分を成長させていくはずだ。自身の目指す「最高の選手」にたどり着いたとき、榊原は間違いなく日本のエースに君臨することとなる。

(記事 喜田村廉人、写真 土屋佳織氏)

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