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2015.03.26

【連載】『平成26年度卒業記念特集』 第64回 小倉順平/ラグビー

全ては勝利のために

 「チームが勝つも負けるも自分次第」。4年間主力として、また4年時は副将としても早大を引っ張り続けた小倉順平(スポ=神奈川・桐蔭学園)の言葉だ。自分が何をすればチームが勝てるのか。どんな状況であれどん欲に勝利を求め続けた小倉のその言葉には、自身のラグビー人生が詰まっていた。

 高校時代には主将として桐蔭学園高を初の花園優勝に導き、大きな期待を受けながら早大に入学。その年の帝京大戦では、関東大学対抗戦(対抗戦)の初スタメンも飾る。責任あるSOというポジションを1年生ながら務め上げるのには苦労も多くあったはずだ。しかし小倉はそんな状況の中でも萎縮することはなかった。この時から芽生えていた、チームのために自分は何ができるのか、という意識。2年生になり、U20日本代表に選出され世界を舞台に活躍するようになってもその思いは変わらない。3年時にはBKリーダーに任命され、周囲を引っ張らなければならない存在となっても、「自分がどうすべきかが重要」と、自らの考えを見失うことはなかった。それでいてBKリーダーという立場から周りへのコミュニケーションを意識し、勝利のため、ひいてはチームのため、自分がやらなければいけないことを一つ一つ実行していった。

 迎えたラストイヤー。最終学年として、BKリーダーとして、さらには副将として――。しかしどんなに肩書が変わろうとも小倉はぶれない。「みんながやれていない役割を探して、それを最終的に担うようになれたら」と、冷静に周りを見渡しチームの穴を埋めた。そしてついにやってきた最後の対抗戦。早明戦では慣れないCTBでの出場ながらも「結果的に勝てればいい」と、ここでも勝利のため、自分の役割を全うした。対抗戦を終え、少しずつではあるが成長を感じながらも小倉は決して満足しない。「(成長を)もう少し実感できるようにならないと駄目」。勝利に対する飽くなき追求をやめることはなかった。

早大の司令塔として君臨した小倉

 なぜ小倉はこれほどまでに勝ちにこだわるのか。それには桐蔭学園高の藤原秀之監督による影響が大きい。SOというポジションに対して強いこだわりを持っていた藤原監督。小倉は、これまで培ってきたラグビーに対する考え方を覆された。迷い戸惑う日々の中で、SOとして自分自身が何をすべきかを考えるようになったという。「いま振り返ると高校の監督はすごかった」と語るように、U20日本代表などでほかのコーチと関わっていくなかでも、藤原監督の教えが風化することはなかった。

 「チームが勝つも負けるも自分次第」。4年間を通してこの信念を貫いた。1年時からチームのために何ができるのかを冷静に考え、さまざまな役割を担ってきた小倉。早大で過ごした日々を「結局優勝はできなかったが、得るものはいろいろとあった」と振り返った。卒業後は、近年力をつけてきているトップリーグのNTTコミュニケーションズへの入団が決定している。大学からトップリーグに舞台を変えても、きっと貫いてきた信念が変わることはないだろう。冷静でいながら勝利に対する熱い気持ちを持った早大の司令塔は、これからも勝利に向かって走り続ける。

(記事 進藤翔太、写真 近藤廉一郎)

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